第13話

文字数 2,292文字

『――お客さん。起きてください』
 タクシードライバーの「着きましたよ」の声で起きる。
 はっと意識が戻ると、何てことはない。
 見慣れた「レティーロ駅」の前だ。
「あれ、さっきまでの出来事は、夢?」
 夜、街灯の灯り。タクシーの外では人々の喧騒が聞こえている。でも、まだ夢の中に居るように少し微睡んで「でも、何だかまだ不思議な感覚がする」そんなことを思っていると。タクシードライバーが声をかけてくる。
「具合が悪いんですか?」
「そう。確か、私はタクシーに乗って」
 考えているとタクシードライバーは再び聞いてくる。
「お客さん。大丈夫ですか?」
「え、ええ。少し疲れていて眠ってしまったようです」
 私は、しばらく呆然としていた。けれど「では、料金を払ってください」とタクシードライバーに言われて「え、ええ。取材の協力ありがとうございました」と伝えた後に、料金を支払って曖昧な意識のままタクシーを降りた。
 私が降りるとタクシーはさっさと行ってしまう。
「あれは夢だったのかな?」
「コールとディアボロの話」をまだ覚えている。
 夢だったとしたら、すぐにも忘れてしまうかもしれない。
〈あれだけの話を忘れてしまうのも何かもったいない。何かに使えるかもしれない。とりあえず、手帳にメモだけでもしておくか〉
 私はボールペンで手帳に思い出せることをメモした。

 そうやって道に立っていると帰宅する人に「ドン」とぶつかられる。こんな、大通りで立ち尽くしてメモしている私が悪い。往来だ。
「とりあえず、帰ってからパソコンに打ち込むか」
 歩いていつものバス停に行き、やって来た市バスに乗って帰路につく。後部座席、固い緑色のシート席に座りながらメモに色々と書き足した。

 * * * * *

 夜の10時。無事に自宅に戻ってきた。
 パソコンの電源を入れてからしばらくぼんやりする。さっきのメモを.txtにする前に、しばらく「余韻」に浸っていた。オカルトは時に良い赤ワインのように「余韻」を残す。そこに揺蕩っていたいような余韻だ。
「コール。ディアボロ。本当のことだったのだろうか?」
 使用人のリリーの顔まで思い出せる。
 不思議な感覚だ。あれはただの夢なのに。
 とりあえずメモしたことはWriteソフトで.txtとして残した。少し疲れて、私は、ブラウザを開いて「スペイン語圏のオカルト掲示板」を巡回する。新着がいくつかある中「ボルヘス」の文字に目が止まる。
「自分のPNだからか、意識が向く」
 掲示板「ボルヘス」冒頭に書かれた文に覚えがあった。

〈〈××邸に現れた女性の幽霊との遭遇に成功。これがその時の写真である。女性は、そして、口元で何かを呟いて、私をおびき寄せるように手招きしていた。取材は危険なものになり、一時退却をして邸を出て、振り返ると、窓から「悪霊たち」がこちらをじっと見つめていた。私は、カメラで撮影した。
 写真はその時のものになる。
 映っている「無数の手」は人間のものではない〉〉

「あ、どうも本当に、私の書いた記事っぽいな?」
 ネットに私の書いた記事が載っている。
「自分の書いた記事が、こうして広まってくれるのは、何か少し嬉しいな。書いたものの風も吹かぬ、では寂しいものがあった」
〈〈女の幽霊は見た存在のもとに現れる〉〉
「でも、何かちょっと違うな?」
 素人が勝手に書き換えたのだろうか?
「全く。そのまま載せればいいものをさ」
 そう言いながらも続きを読むと、心臓を掴まれるかのような文字列が。
〈〈記者、ボルヘス・K・ジェロームはもうこの世に居ない〉〉
 背筋に冷たいものを感じ取った。
〈〈向こうの世界へ連れ去られてしまった〉〉
 私は、思わずブラウザを閉じた。
「くだらない改編。投稿者が面白いと思って変えたんだろうか?」
 くだらないネットの戯言だと。
「今日もさっさと寝てしまおう。明日には少し良いものを食べないと。駅前のデリで野菜の入ったサンドイッチでも買おう」

 その日の夜もインスタントのマカロニチーズを食べた。

 * * * * *

 後日。太陽の光と午後。
〈何となく、まだ夢の中に居るようだ〉
 デリで買った「野菜キチンサンド」を食べ終わる。
 しばらく休んでいると出版社からの電話がかかってきた。
「はい。ルミナです」
『ご機嫌よう。マルディーニです』
 編集者の「マルディーニ」からだった。
 お互いに仕事上の付き合いで、出版社で何度も会っている仲。私とやり取りするのは彼が多い。金髪のラティーノ。愛想が良くて人と話すことが好きで、電話越しからでも「陽気」という雰囲気が伝わってくる。
 別に嫌いじゃないが、インドア派の私は彼が少し苦手だ。
「実は、先日の取材のことで君に話したいことがあって」
「先日の取材というと、タクシードライバーの?」
「いや、その前「郊外の邸に出向いた時」の取材」
 マルディーニの電話越しからでも伝わる明るい声。
「実は、君の記事がネットのオカルト掲示板に載ったらしくてね。それで、どうもオカルト好きの間で話題になっているんだ。世界の、心霊スポットを回っている連中の間で「どこだ?」って。それで、編集部に「もっと詳しく」というメールが来てね。良いことだね。それで、もう一度、あの邸に取材に行ってほしいんだ」
 言われて少し躊躇ってしまった。
「あそこ。本当に「出る」んですよね」
「好都合じゃないか。前回より良い写真も撮れるかもしれない。君の記事は評判が良いからね。じゃあ、まだ出版社に鍵があるから取りに来てくれ。では」
 マルディーニはそう言って通話を切る。
 私は「諦め」のため息を吐く。
「まあ、出版社の要望なら断れないよね」
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