二人の夕食

文字数 2,135文字

 高層マンションを後にした宮間と黒羽は、駅前のロータリーを歩いていた。
 黒羽の案内で夕食の店に行く最中である。
 彼女の話によれば、ここから駅沿いに飲み屋街へ向かうそうだ。

「黒羽ちゃんはよく外食とかするの?」

「いえ。専ら自炊です」

「偉いねぇ。面倒臭くなったりしない?」

「宮間さんとは違いますので」

 雑談を交わす二人は、人混みの間をすり抜けていく。
 見ればサラリーマンや学生の集団が多い。
 ちょうど帰宅ラッシュの時間帯らしかった。
 バス停とタクシー乗り場も人の列に溢れ、雑多な光景という印象を強めている。

 そんな中、黒羽はきちっとしたパンツスーツ姿で颯爽と行く。
 外出のためにわざわざ着替えたのだ。
 無論、職務でもないのだから、本来は私服でも構わない。
 ひとえに彼女自身のこだわりだろう。

 色々と徹底したスタンスの黒羽に、宮間はやれやれと肩をすくめた。

「謹慎中くらい、もっとラフな格好でいいんじゃない?」

「宮間さんは仕事中くらい身嗜みを気にした方がいいかと」

 安物のスーツを着崩した宮間を一瞥し、黒羽は冷ややかに反論する。
 彼女の指摘通り、宮間の恰好はお世辞にもしっかりしているとは言い難い。
 そこらの酔っ払いに比べれば辛うじてマシ、といった程度である。

「ははっ、こいつは手厳しい。まあ善処するよ。そのうちね」

 宮間は軽く笑って誤魔化す。
 改善するとは断言しない。
 元よりその気は皆無だからだ。
 これで直せるくらいなら、とっくの昔に真人間になっている。

 そうして下らないやり取りをすること約五分。
 二人は飲み屋街にある一軒の居酒屋の前にいた。
 木目調の落ち着いた外観で、入口に吊るされた赤提灯が柔らかな光を落としている。
 メニューボードには白チョークで季節限定のおすすめ料理が記されていた。

 店内から聞こえるにぎわいを耳にして、宮間は口元を綻ばせる。

「いいねぇ。もしかして行きつけの店とか?」

「利用したことはありません。存在自体、つい先ほど知ったばかりです」

 なんでも近所の飲食店を検索して、口コミや評価が良かったのがここなのだという。

 考えてみれば、黒羽は夕塚署に配属となってから日が浅い。
 ここへ引っ越したのもつい最近のことだろう。
 自宅周辺の店に疎くても不思議ではない。

 宮間は申し訳なさそうにポリポリと頬を掻いた。

「なんか悪いね。気を遣わせちゃったかな。知らないなら知らないで言ってくれればいいのに」

 すると、黒羽は宮間を見上げる。
 存外に真っ直ぐな視線だ。
 紫色の両眼は、薄暗い中でも変わらぬ美しさを内包する。
 黒羽は淀みない口調で宮間に告げた。

「いえ、わざわざお越しいただいたのですから、これくらいの配慮は当然です。それでは失礼いたします」

 そう言って頭を下げた黒羽は、自然な動作で帰ろうとする。
 放っておけばあっというまに雑踏へ消えてしまいそうだ。

 予想外の展開に虚を突かれた宮間は、ほとんど反射的に呼び止める。

「ちょいちょい、黒羽ちゃん? いきなりどうしたのさ。何か気に障ることでも言ったかな?」

 黒羽はきょとんとした顔で首を傾げた。

「お店までの案内が終わったので帰ろうとしただけです」

「あー、なるほどね……」

 そこで宮間は察する。

 黒羽は本当に案内役のつもりだけでここまで来たらしい。
 そして宣言通りに店まで到着した今、ここにいる必要はなくなったと判断したのである。

 宮間としては、一緒に食事でもどうかと考えていたのだが。
 せっかく来たのだから、ちょっとした話くらいはしておきたかった。
 一応、気になることだってある。
 彼をここへやった張本人の花木も、それを望んでいたに違いない。

 さりげなく黒羽の進路上に回り込みながら、宮間は指をぱちんと鳴らした。

「よかったら一緒に夕食でもどうかな。ちゃんと奢るからさ」

「こちらがご迷惑をおかけしている身なのに、それはさすがに……」

「大丈夫、大丈夫。これも経費で落ちるだろうし。それが無理なら花木さんに請求するし」

 宮間は何も大丈夫でない理論を駆使して黒羽を説得していく。
 とは言っても別に本気で引き留めたいわけでもないので、平常通りの軽いノリで誘うだけだ。
 断られたら潔くお一人様を謳歌するだけである。

「ついでに職務上の話もしたいしね。たった一日だけどコンビだって組んだ仲だしさ。まあ、これも仕事ってやつさ」

「仕事ですか」

「強制じゃないけどね。呑みの付き合いってのも大事だよ?」

 うつむきがちに迷う黒羽に対し、宮間はへらりと笑って言葉を畳みかける。

 そんな状態を通りすがりの人々に奇異の視線で見られること十秒。

 くるりと方向転換した黒羽は、つかつかと居酒屋の入口まで移動した。
 彼女は宮間に背中を向けたまま、いつもの口調で言う。

「仕事なら仕方ないです。早く入りましょう」

「……はいはい、そんなに焦らなくてもいいのに」

 急かす黒羽に苦笑しつつ、宮間は先行して居酒屋の引き戸を開けた。
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