死神刑事の吐露

文字数 3,617文字

 居酒屋に入った宮間と黒羽は、空いた席に案内された。
 隅の四人掛けのテーブルだ。
 ちょうど店内が一望できる位置にある。

「それではご注文が決まりましたら、またお呼びください」

 お冷とメニュー表を置いた店員は、そそくさといなくなってしまった。
 どうやら別の客がオーダー待ちだったらしい。

 頬杖を突いた宮間は、それなりに混み合う店内を眺める。

「なかなか繁盛してるねぇ。結構人気みたいだ」

「週末なのも関係しているかもしれません」

 事務的な返しをしつつ、黒羽はメニュー表をめくっていく。
 まるで重要な書類にでも目を通しているかのような真剣さだ。
 とても居酒屋にいるとは思えない佇まいである。
 何が彼女を駆り立てるのか。

 そんな黒羽の姿に苦笑しながら、宮間は電子タバコをくわえた。
 深く味わうように息を吸い、時間をかけて旨そうに吐き出す。

 黒羽が僅かに眉を顰めた。

「おかしな臭いのする煙ですね」

 宮間は心外とでも言いたげに肩をすくめる。

「おかしな臭いって失礼な。みんな大好きカレーフレーバーだよ」

「控えめに言って吐き気を催します」

「これっぽっちも控えめじゃない感想だね」

 取り留めもないコントを挟みつつ、宮間は通りかかった店員を呼んだ。
 メニュー表のドリンクページを開きながら彼は注文をする。

「梅酒のロックを一つ」

「私はウーロン茶を」

 あとは適当な一品物の料理をそれぞれ頼む。
 店員はオーダー内容を繰り返して確認を終えると、慣れた手際で厨房へと去っていった。

 それを見計らって宮間は黒羽に尋ねる。

「黒羽ちゃんってもしかしてお酒呑めない人?」

「苦手ではないのですが、そこまで強くないですね。酔って醜態を晒したくないので、人前では基本的に飲まないようにしています」

「ほうほう。やっぱり真面目だねぇ。俺みたいに肩の力を抜いた方がいいんじゃない?」

「宮間さんはもっとしっかりしてください」

 しばらくすると、飲み物と数品の料理がやってきた。
 テーブルに並んだそれらを見て、宮間はさっそく梅酒のグラスを軽く掲げる。

「そんじゃ、せっかくだし乾杯でもしとこうか」

 ウーロン茶入りのジョッキを持った黒羽は、即座に疑問を投げた。

「何に対する乾杯ですか」

「うーん、そうさなぁ……」

 問われた宮間は、顎をさすって天井を仰ぐ。
 特にこれといった考えはなかった。
 楽しく酒が飲めれば満足である。

 それでも訊かれれば答えるしかない。
 宮間は数秒の思考を経て、何を思ったのか黒羽にウィンクを送る。

「君の瞳に……というのはどう?」

「おまけして三点ですね」

「あっはっはっは! 世知辛いねぇ。まあいいでしょ。はい乾杯」

「乾杯」

 ジョッキとグラスが小気味よい音を立てて打ち合わされた。
 宮間はぐいっと呷り、黒羽はこくりと一口だけ飲む。

「とりあえず生! ってのがいいんだろうけど、実はビール類がそんなに好きじゃなくてね」

「私もあの苦味が慣れません」

「だよねー。やっぱ、好きなのを呑むのが一番だ」

 宮間はポテトフライをつまむと、ケチャップを付けてから口に運んだ。
 かりかりとした食感に塩の旨みが重なり、遅れてケチャップの酸味が畳みかけてくる。
 飽きの来ない美味さだ。
 慣れ親しんでいるが故の安心感があった。

「…………」

「…………」

 それからはしばらくは会話もなく、黙々と飲み食いが続いた。
 周囲の喧騒をよそに、二人の席には独特の雰囲気が漂っている。

 気まずいというわけではないはずだが、なんとなく話が切り出しにくい。
 ここにいるのは、謹慎中の刑事とその相方を務めた刑事だ。
 二人がこの場に集まった経緯を考えれば、こういった空気なのも当然のことかもしれない。
 少なくとも、黒羽はそう感じていた。

 そんな彼女の思惑を打ち砕くかのように、宮間はさらりと核心に触れる。

「黒羽ちゃんはどうして過激な捜査をしたのかな」

 小皿にチーズ春巻きを乗せながら、宮間は黒羽の様子を窺う。
 その目には、普段とは異なる興味の色が滲んでいた。
 何事も惰性がモットーの彼にしては珍しい。

 ストレートな質問に押し黙る黒羽だが、少しの逡巡の末に口を開く。

「私には、他者の殺人経験が視えます。つまり他の捜査官よりも事件解決への糸口を掴んでいるのです」

「確かにね。ほぼ正解みたいなヒントを貰ってるようなもんだし」

 梅酒を呑み干しながら宮間は頷く。

 殺人事件において、犯人が既に分かっていることは何物にも代え難いアドバンテージである。
 それさえ判明すればどうとでもなる要素と言ってもいい。
 熱意ある大半の刑事にとっては、まさに喉から手が出るほどに求める力だろう。
 無論、宮間のような非仕事人間は、欠片の羨望も抱かないが。

「でも実際に逮捕へ踏み切るには、様々な証拠や煩雑な手続きが必要です」

「気軽に牢屋へぶち込めたら、誤認逮捕やら汚職警官の横暴やらで大変なことになるからね。仕方ないよ」

 黒羽は拳でテーブルを叩いた。
 煌めく双眸の奥では、静かな炎が燻っている。

「私はそれに我慢なりません。こちらが野放しにする間、犯人が新たな罪を重ねることは多々あります。隙を見て逃亡することだってあります。未然に防げたであろう悲劇が、他ならぬ規則の弊害によって引き起こされているのです」

「ははぁ。今までそういうことを経験してきたわけね」

 宮間は相槌を打ちながら、コリコリと軟骨の唐揚げを咀嚼する。
 あくまでも食べる手を止めるつもりはないらしい。
 黒羽の鋭い視線を受け流し、彼は店員に追加注文を頼んだ。

 たこ焼きを爪楊枝で刺しつつ、宮間は緩い調子で語る。

「黒羽ちゃんの主張も分かってきたよ。ルールに縛られてホシを泳がせてしまうくらいなら、違法捜査だろうがさっさと捕まえたいってことね」

「概ね間違っていません」

 要するに、黒羽は職務に忠実すぎるのだ。
 犯人逮捕のためならば、その手段は一切問わない。
 たとえ拷問を行ってでも自白させる。

 なぜなら彼女には殺人経験が視えるから。
 死神刑事の眼を以てすれば一目瞭然なのだ。

 そして、相手が犯人だと知っているが故に過激な方法も取れる。
 煩わしい正規の工程を踏むより、脅して認めさせる方が遥かに手っ取り早い。
 黒羽という刑事は、それを理解し実行できる精神を持ち合わせていた。

 もちろん周りからすれば、証拠もなく容疑者に制裁を加える異常者である。
 犯人が視えたという訴えを、戯言や妄言として切り捨てられたことだって数知れない。
 しかし、彼女はたとえ汚名を被ってでも、職務を全うしたいと考えていた。

「本当、クソが付くほど真面目というか……いや、違法捜査上等ってことは不真面目になるのかね。うーん、よく分かんねぇや」

 運ばれてきた酒と料理を受け取りつつ、宮間は投げやりに感想を述べた。
 一体、ここまでの話の何を聞いていたのかと疑問になる態度である。
 彼の視線と箸は、追加注文分の料理に夢中だった。

 これにはさすがの黒羽も、ため息混じりに苦言を呈する。

「……宮間さん、これでも悩み抜いた末に打ち明けたのですが」

「もちろん分かってるよ。だからこそ、どう返すか考えていたんだ」

 燻製のナッツを齧る宮間は微笑する。
 心なしか、腑抜けた気配が薄れていた。
 彼はグラスの中の氷を揺らしながら告げる。

「黒羽ちゃんさ、一人で頑張りすぎなんじゃない? 月並みな表現だけど、もっと周りを頼ってもいいんじゃないかな」

「それだと逮捕が遅れて、新たな犠牲者が出る恐れがあります」

「チームワークで補えばいい。協調性は大事って言うでしょ? 一人ひとりが完璧じゃなくていい。互いに欠点を補えばいいわけで。独りよがりな無茶はいつか破綻するよ」

「……宮間さんに協調性を説かれるとは思いませんでした」

 ぽつりとつぶやいた黒羽は、温くなったウーロン茶を飲み干す。
 その顔にはまだ迷いが見えるものの、先ほどまでのような切羽詰まった雰囲気はなくなっていた。
 宮間の言葉を受けて、少し吹っ切れたらしい。
 彼女は揚げ出し豆腐を箸でつまんでもぐもぐと食べ始める。

 それを見た宮間は、メニュー表をめくりながら笑みを深めた。

「やる気がなさすぎる俺と、やる気がありすぎる黒羽ちゃん。足して二で割ったらちょうどいいよね」

「――やる気がない自覚はあったのですね」

「そりゃまあ……って、いま笑った?」

「笑っていません」

 凸凹刑事コンビの飲み会は、まだ始まったばかりであった。
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