彼女は死神刑事

文字数 2,927文字

 混み始めた喫茶店を出た宮間は、嫌々ながら谷上の自宅のマンションへ向かうことにした。

 黒羽と別れてから既に一時間半ほど経過している。
 そろそろ合流しなければ、サボっていたことを署に密告される恐れがあった。
 宮間としては避けたい展開だ。
 黙っているように釘を刺さねばならない。

 不純な決意を胸に、宮間は駅前でタクシーを拾う。
 道が渋滞気味なので時間がかかりそうだが、マンションまで歩くのが億劫だったのだ。
 運転手の世間話に適当な相槌を打ちつつ、なんとなしに外の風景を眺めて過ごす。

 結局、三十分ほどかけて目的地に到着した。
 運賃を払った宮間は、領収証を手にタクシーを降りる。

「結構いいところだなぁ。儲かってるのかね」

 羨ましそうにマンションを見上げながら、宮間はエントランスを覗く。
 そこには誰もいない。
 正面には両開きのガラスドアがあり、しっかりとロックされていた。

 宮間はテンキー付きのインターホンに谷上の部屋番号を入力する。
 数秒後、応答が返ってきた。

『はい』

 人間味の薄い淡々とした声音。
 どうにも聞き覚えがあった。
 具体的には一時間半ほど前に喫茶店で会話をした気がする。

 宮間はなんとなく嫌な予感を覚えながらも用件を告げる。

「夕塚署の宮間です。先ほどお電話した件でお伺いしました」

『…………』

 返答はない。
 代わりにエントランスのドアが、カチリと音を鳴らした。
 オートロックが解除されたらしい。

「……犯罪臭がするけど気にしたら負けか」

 宮間は深く考えるのをやめてエントランスを抜ける。

 どのみちここで戻るという選択肢はなかった。
 インターホンから聞こえた声が本当にパートナーの刑事なら、余計に確認しなければならない。
 何か問題が発生していた場合、自分まで叱責される恐れがあるのだから。

 宮間はエレベーターで四階まで上がり、一番手前の部屋で足を止める。
 そこが谷上の自宅であった。
 インターホンのボタンを押すと、軽やかな電子音が鳴り響く。

 少し待っても反応はない。
 エントランスにてインターホンの応答があったので、留守ということはあるまい。

 怪訝に思った宮間がドアに手をかけると、抵抗もなく開いてしまった。
 隙間から見える室内は薄暗く、中の状況はよく分からない。

「あー……谷上さーん、ちょっとお邪魔しますよ」

 僅かな思考の末、宮間は頭を掻きながら部屋に踏み込んだ。
 目は依然として死んでいるが、視線はじっくりと室内を観察している。
 無気力な宮間を警戒させるだけの雰囲気が漂っていた。

 宮間はやや慎重に廊下を進む。
 耳を澄ませると、奥の部屋から何やら物音がした。
 位置からしてリビングだろうか。

 左右の閉め切られた扉にも気を配りつつ、宮間は奥の部屋へと入る。

「谷上さーん、います……か」

 次の瞬間、宮間は言葉を失って固まった。
 表情に大きな変化はないが、眠たげだった双眸が確かな驚きを覗かせる。

 谷上涼子は部屋にいた。
 ただし、椅子に縛られた形で。

 乱れた黒の長髪に、恐怖で引き攣った顔。
 口にはタオルを詰め込まれており、呻き声しか出せないようにされている。

 何者かによって拘束されているのは明らかだ。
 ハッと顔を上げた谷上は、部屋に現れた宮間に向けて懸命にうなる。
 涙で濡れた目は助けを求めていた。

 そんな谷上をよそに、宮間は深々と息を吐く。
 目の前の光景に対する言葉なき感想だった。

 異常事態こそ彼が嫌うものだ。
 そういう時は決まって仕事が増える。
 ましてやこんな犯罪以外の何物でもないところに立ち会うなど、宮間が最も避けたいシチュエーションであった。

 早くも平常時のテンションに戻った彼は、気だるげに肩をすくめる。

「で、これはどういう状況かな。黒羽ちゃん」

 彼の問いかけは、谷上のそばに立つ人物へのものだった。

 両手に革のグローブを着けた黒羽は、人形のような無表情で宮間を見つめる。
 瞳は形容し難き紫色の輝きを湛えていた。

「谷上さんが殺人犯です。自供していただこうと思ったのですが白を切るので、やむを得ず強硬手段を取った次第です」

 そう言って黒羽は、テーブルにナイフを置く。
 些細な音にも谷上はビクリと震えた。
 宮間がここへ来るまで、一体何が行われていたのか。

 両者の力関係を見せつけられながら、宮間はリビングのソファに腰かけた。
 ついでに電子タバコもくわえて煙をくゆらせる。

「まったく、大胆なことをするねぇ。でもどうして谷上さんが犯人だと確信したのかな。凶器でも見つかったかい?」

「私には視えました。それだけです」

 黒羽の答えを受けて、宮間は面倒そうな顔をする。
 一人の目の容疑者である西田と会った時も、彼女は似たようなことを言っていた。

 どうやら自身の勘を盲目的に信じているらしい。
 その挙句、容疑者を証拠もなく犯人と断定して拷問紛いの行為にまで及んでいる。
 不祥事どころの騒ぎではない。

 色々と察した宮間は電子タバコを弄りながら嘆く。

「やっちまったなぁ。連帯責任とか言われたら泣きそうだよ」

 宮間は、黒羽から目を離したことを後悔していた。
 まさかこのような事態になるとは。

 多少我慢してでも監視しておくべきだった、と今更ながらに彼は思う。
 そうすれば現状よりはマシなことになっていたろう。

 もっとも、眼前で拘束されたままの谷上を心配しない辺り、宮間の人間性も大概ではあるが。
 その証拠に泣き言を吐きながらも、彼は決して腑抜けた顔を崩さない。
 後悔と言っても精々「余計な仕事が増えて困った」くらいのレベルである。
 五十歩百歩な酷さだろう。

 宮間が署にどう報告するか考えていると、黒羽がすたすたと近寄ってきた。
 彼女はじっと宮間を見下ろす。
 そして、ぽつりと言った。

「五人。職業柄にしても少し多いですね」

「――ほう。なるほど」

 一瞬だけ面を食らったような顔をする宮間。
 彼は何かを悟った様子で電子タバコを箱に仕舞った。
 黒羽の質問には答えず、ソファから立ち上がる。

「俺に関することで、五人という情報に心当たりは一つしかない。どうして知ってるのかな?」

「私には視えたからです」

「その視えたってやつだけど、もうちょい詳しく教えてくれない? ただの厨二病じゃないみたいだし」

 宮間は軽い調子で手を合わせて頼む。
 ただし、先ほどまでの不信感や呆れた雰囲気は無くなっていた。

「……そういえばまだ説明していませんでしたね。言及されないので忘れていました」

 黒羽は少し考えたのちに、自身の目を指で示す。
 静かな煌めきを秘めた紫色の両瞳。
 彼女は抑揚に乏しい話し方で告げた。

「私には他者の殺害人数が視えます。この力が由来で、警視庁では死神刑事と呼ばれていました。改めてよろしくお願いします」

 死神刑事、黒羽は優雅な動作で礼をした。
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