それからぼくたちが仲良くなったかというと

文字数 1,295文字

それからぼくたちが仲良くなったかというと、そんなことはなかった。
同じクラスだったし、目があえば「おはよう」程度の挨拶はした。けれどお互いの家を行き来するとか、休憩時間をいつも一緒に過ごすなどという種類の親しさをぼくたちが示すことはなかった。ぼくはそういうことは苦手だったし、彼もそうらしかった。

化学の実験で同じグループになったりしたときには、いくらか話をした。

臼井くんは不器用そうに手足を動かすけれど、じっくりと観察してみると彼の指の動きは丁寧でなめらかだった。臼井くんの手のひらにおさめられたフラスコやビーカーは、サイエンス・フィクションな楽器のように見えた。透明なガラスの内側に液体をたたえた奇妙な楽器。高名な芸術家のように優雅に指をすべらせて、力強くなにかを訴えかけてくる。
ぼくは、透明人間で、だれとも仲がよいわけではない臼井くんの様子を見守るのが好きだった。
ぼくは臼井くんを見ると自分に欠けているものがあることに気づく。
ぼくと臼井くんはどこかが似ていた。ぼくたちにはあらかじめ失われているなにかがあるような気がした。それは水分なのかもしれない。ぼくたちは異質に乾いていた。まわりから見てわかるほどではなくても、当人は自分たちの身体がひからびていることを感じていた。
感じたがっているだけなのかもしれない。ほかのみんなとは違うのだと信じこんでいたいのかもしれない。ガキ特有の思いこみの進化系。異邦人である自分を感じ、信じることで、やっと外部と接触している脆い自我。
自分の連想に自分でちゃちゃをいれる。

それでも──―ぼくたちは、ひからびていた。

風の強い日に手をのばせば、そのまま指さきがパサパサと欠けおちて空へと粉になって飛んでしまいそうだった。あっというまにぼくは砂塵になり、風に撒かれ、あとかたもなく消失する。そのビジョンはぼくを魅了した。ぼくは自分が乾いて砕けてゆくことに安らぎを感じた。
危ないよ。
臼井くんがいった。
焦げた色の石綿金網の上に乗せたビーカーのなかで液体が沸騰していた。
ぼくは化学変化を調べるためにフラスコをふっていた。
手がすべって大きくフラスコを揺らしてしまった。
その手を臼井くんに止められる。軽くおさえられる。
危なくないよ。手がすべっただけ。
フラスコの内部で液体がゆっくりと色を変えて形を成していった。
わきあがる積乱雲のようだ。
扱っていたのは危険な液体ではなかった。それでも注意されたことでぼくの脳裏に浮かんだ「割れるガラス」のイメージは痛みと音を連想させて、ぼくの肌はゾクリとあわだった。
恐怖の若葉のようなもの。
まだ形成されきらない恐怖の萌芽。小さく、すぐに忘れそうな想い。
感情というものは種子として人間の心のなかにインプットされているのかもしれない。
あらゆる感情と、そこからはじまる気持ちの螺旋。上にむかって、あるいは下にむかって渦巻く感情のおりなす模様、吐き出される付属物としてのなにか。

すべては、そこに、あるのだ。
 
種子に水をやる手を待って、そこに、あるのだ。
臼井くんがぼくに触れた一瞬のぬくもりを感じながら、ぼくはそう思いついた。

狂気もまた、そこに、ある。
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登場人物紹介

臼井くん
うすい

ぼく
ちょろくて寒い

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