狂気というものはどこから生まれるものなのだろう。

文字数 640文字

狂気というものはどこから生まれるものなのだろう。
狂気。対応する理性。
あるいは、恐怖という感情。
怒り、喜び、そのときおりの感情と付属する複合物としての「気持ちの気配」のようなもの。
それは通り雨のようにして、ふいに、おとずれて去ってゆくものなのだろうか。
それとも宵闇のようにそっと背後からしのんで近づいてくるのだろうか。
新聞の記事となってぼくたちに恐怖や狂気の形状についての思いをめぐらせる機会を与えてくれる犯罪者たちと、ぼくをへだてているものの存在について、ぼくは考える。
自分自身の閉ざされた心の扉のむこうにリアルな形が存在しているような気がして、考えはじめると止まらなくなる。
『いまの若者たちが感じているこの時代の閉塞感が──―』
『現実から逃避する育たない子どもたちの──―』
テレビの画面から語りかけてくる大人たちの論理はいまひとつ、ぼくの心には響かない。
心に響くようなことを言う大人がこの世にいるなんて思ったことないけどね。
ぼくは13才で、両親は離婚を考慮中。
ぼくの名前なんてどうでもいいよね。
ひとりっ子。
友人はたくさんいるけれど、ほんとうに友人なのだろうかと考えはじめると、自分でもよくわからない。いわゆる「大人たち」が語るところの、希薄な人間関係を好む現代っ子のタイプだ。
そこそこに要領がよくて成績は上の下で見た目は中の上あたりでおしゃれにもそれなりに気をつかう。
プラス独白というかひとりで考えるときは「こういう口調」な性格だ。

中学1年生。

ぼくの通う学校は、山の上にあった。

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登場人物紹介

臼井くん
うすい

ぼく
ちょろくて寒い

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