ぼくはそれからしばらく

文字数 1,777文字

ぼくはそれからしばらく臼井くんのまわりにも父と同じ膜がはっているのではないかと、何度か探してみた。
とくになにも見えなかった。
臼井くんは空気をゼリーのように凝固させることはなかった。
僕と父のあいだにある膜のようなものは孤独や寂しさを表すものなのだろうか。
詩的な表現すぎる。こんなこと口には出せない。思うだけしかない。ぼくは口に出せないことばかり考えている。昔はなんでも思うはしから口にできたというのに。

早朝にウサギの墓を掘ってから一ヶ月過ぎたころだった。
ぼくたちはまた朝はやくに桜の樹の下で会った。
臼井くんは双眼鏡と大ぶりのナイフを持っていた。
おはよう。
いつも妙なもの持ってるね。今度はナイフ?
ぼくは手をさしだし、臼井くんからナイフを見せてもらった。
頑丈そうなサバイバルナイフだ。
柄にしまわれた刃を出すと、シュッという小気味いい音がした。
磨かれて、先のほうが白銀に小さく波打って光っている。
バードウォッチングに使うの? 茂みを刈りながら崖を進むとか?
ぼくがナイフを返しながら訊くと、
そういうふうに使うこともあるけど…
実はね。内緒にしてくれる?
なにを?
このナイフで、学校を破壊してる。
そして臼井くんは得意げにニッと笑った。
少し照れているようにして。
学校の屋上に鍵がかかってるだろう? 立ち入り禁止になってるだろう? 危険だからって。事故防止だって。そこの鍵を毎朝、ちょっとずつ壊してた。昨日やっと開いたんだ。
開いたの?
行ってみる?
ぼくはうなずいた。
山の上の学校の屋上。
ほんとうは途中でだれかが気づいて、そこでおしまいになるだろうと思ってたんだ。たいして期待してなかった。なのにだれにもみつからなかった。鍵もちゃんと開いたし……。
グラウンドをぬけて、学校の階段をのぼりながら、臼井くんはいつもより早口で話した。
手足が決まったリズムで動いている。足取りが軽い。
屋上の鍵は臼井くんがいったとうりに、破壊されていた。
……すげぇ。
グチャグチャにゆがめられたドアノブと、それが固定されていた引っ掻き傷だらけの金属の板のようなものをぼくは指でそっと撫でた。
ウサギの惨殺につづく第二の事件。犠牲者はドアノブ。死因は何回にもわたる鈍器による殴打と推定。
ぼくはテレビの刑事ドラマの口調で、抑揚をおさえてそういった。
臼井くんはぼくの台詞に顔をくしゃっとゆがませる笑いをみせた。
笑いながら扉を開ける。

その日はとても晴れていた。
極上の天気だった。
空が高くて、青くて、ちょうどいい形と大きさのふんわりとした白い雲が空のところどころに浮かんでいた。
学校の屋上から見上げた空は広大な牧場のようだった。のどかで、気持ちがいい。
すげぇ……!
他の言葉は出なかった。すごいものは、ただ、すごい。
ぼくは「うん」とのびをして屋上のあちこちを見回した。
臼井くんはフェンスにもたれて、目をこころもちすがめて遠くの空を見ていた。
目、悪いの?
なに?
横にならんだぼくのほうにむきなおり、目をしばたたせる。
いや…目が悪いのかなって思って。
どうして?
どうしてって…
いっつも目をしかめてるから。臼井くんは。遠くを見るときとか。あと黒板を……
そしてふいに恥ずかしくなって口をつぐんだ。
黒板を見ている臼井くんの様子。フラスコやビーカーを扱う臼井くんの手。
言葉にしたとたんにぼくは自分が変質的に臼井くんをみつめつづけ、観察していたような気になってくちごもる。

臼井くんはぼくの困惑をどううけとったのか、眉を下げた情けない笑顔で、
目が悪いのって、わかっちゃうんだね。むかし…すごく視力が落ちたときがあって。おばあちゃんが気にして、毎日できるだけ遠くの景色をながめてると視力はもどるってそう教えてくれたから。クセになってるみたい。いつも気がついたら遠くを見てる。
そうなんだ。
いわれたとうりにしてたら視力はもう落ちなかくなった。でも、もとには戻らなかった。テレビやファミコンやパソコンなんかもあんまり触ってないんだけど。目に悪いって。従兄弟に機械オンチって馬鹿にされてる。
臼井くんは最大の恥を告白するようにおもいつめた顔をしていた。
ぼくは自分の先刻のとまどいを棚にあげて、なにも視力ごとき、機械ごときでそんなに深刻な顔をしなくてもいいのにと思う。
けれど悩みなんてたいていそんなものだ。当事者にしかわからない。説明できない。溝は深い。
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登場人物紹介

臼井くん
うすい

ぼく
ちょろくて寒い

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