2-1崩壊の始まり

文字数 2,212文字

 転生トラック!

 イデアとスピリットを無差別に食い尽くす、最凶最悪の破壊者にしてどん欲な捕食者。黙示録にもそう書かれている。

“だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか”

 いかにしてこの存在が生まれたのか、説明するにはまず、ざっくり五年ほど時を遡らねばならない。

“ほど”などと言うあいまいな表現をご容赦いただきたい。既にご存知の通り灰と塵の荒野では、時間と言う概念は、既に意味を持たないのだ。

 ああなんたる悲劇。

 その日、日本が終わった。オリンピックの開催を待たずに。

 ああなんたる悲劇。

 突如大発生した転生トラックの暴走によって全ての都市は灰と散り、生きとして生ける命、人知の生みし文明、ことごとく貪り食われて塵と化した。灰は灰に、塵は塵に。奴らの通った後に残るのは、ぺんぺん草も生えない不毛の荒野。


 ああなんたる悲劇!

 ご存知のように奴らは『オリンピックの負の落とし子』である。黙示録にもそう書かれている。

“そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた”

 初手から無茶な計画。一番乗り気な人たちは、呼ぶだけ呼んだらはい、それまでよ。圧倒的に超過した予算、無駄に費やされる時間、そしてあらゆる企業と人とを食いつぶす、『無料奉仕』と言う名のおぞましき奴隷制度。

 過労死あるいは自殺、悲惨な事故による突然の死。数多の犠牲者は殉教者の名のもとに祭り上げられ、彼らの名は光り輝く記念碑に刻まれた。過重労働はことごとく美談に仕立て上げられ、愚痴を言うことすら許されない。

 圧迫された重圧は根雪のように堆積し、結果、働く全ての人々を容赦なく押しつぶした。


 報われず、酬われず、満たされない、終わらない、逃げることさえかなわない。だれも助けてくれない。


 やり場無き現世の絶望は、おのずと来世への切なる希望を求める。


 ねじ伏せられた慟哭は、ほんの小さな火種でいともたやすく大爆発、大連鎖。


「報われたい」

「満たされたい」

「認められたい」

「ここではないどこかに行きたい」

「こんなに苦しいのだから、生まれ変わって来世では今より幸せになりたい」

「ならなきゃいけない。なれないはずがない」


 時と場所と人により、上皮(かわ)は変われど根ざす悲願は変わらない。すり減り、おしつぶされ、疲弊しきった心には、安易な救いが必要なのだ。


「トラックにひかれて転生して、現世の知識で大活躍」

「誉められたい。すごいって言われたい」

「必要とされたい、言われたい」

「ここでなければどこでもいい!」

「トラックにひかれて異世界に転生して俺TUEEでハーレムうはうは!」


 希望と欲望のテンプレートはすなわち一つの宗教。


「できなくっても今よりはマシ」

「ここでなければどこでもいい!」


「今飛び出せば、もう明日から仕事に行かずにすむ」


 背中を押すのは逃れられない絶望と無力感。求める救いは異世界への転生。


「ここでなければどこでもいい!」

「トラックにひかれれば!」

「トラックにひかれさえすれば!」


 せっぱ詰まった転生志願者は、後の事など考えない。考えられる段階ならその一歩、思いとどまる、踏み出さない。

“一粒の麦が地に落ちなければ一粒のままである。しかし地に落ちて死ねば多くの実を結ぶだろう。”

 たぶん、こんなことのための言葉じゃない。だが描き出された地獄図はまさにこれ。実ったのは全て毒麦。

 相次ぐ投身自殺はただでさえ、過重労働にあえぐトラック運転手の首をもしめあげた。

 人をはねれば人生破滅。荷物は買い取り遺族は破産。

 ああ、なんたる悲劇。

 結局だれも救われない。だれのためのオリンピック。だれのための祭典か。


 トラックにひかれて死ねば、異世界に転生して幸せになれると言う概念!

 人生ぶち壊しにされたトラック運転手の怨念!

 そして、もはや転生にすがるしかなかった社畜の無念。


 ごねりごねりと混ぜ合わされ、練り上げられた怨嗟と悔恨の泥団子。幾千幾百と寄せ集まって、血と脳髄、臓物のこびりついた事故車に宿り、生み出した……恐るべき怪物、人類が自らひりだした負の落とし子を。

 最初の一台がいつ、どこで出現したかは定かではない。気づくとそいつはそこら中にいた。

 奴らが貪り食うのは、建造物や工業製品に宿る「作った人間」の技術。構造内に組み込まれた思考(イデア)。そして、有機生命体に宿る魂(スピリット)。ご存知の通りイデアを失った物体は灰と化す。スピリットを食われた生命体は塵と化す。

 故に。

 人類の築き上げてきた文明社会はあっけなく崩壊し、あらゆる物流と情報は断絶した。


 獣機(じゅうき)。


 それこそが、この怪物どもに与えられた公称。直後に情報網は分断された。

 しかし人々は彼らをこう呼んだ。


 転生トラックと。

 文明崩壊よりだいたい五年。

 主だった都市は姿を消し、携帯もネットも意味を失った。絶えず空気中を漂う灰と塵とが仲良く太陽の光をさえぎって、空は黄ばんだ雲に覆われた。終わり無き黄昏の中、生き残った人々は廃虚からゴミを拾い、過去の遺物でほそぼそと食いつなぐ日々を送っている。

 おお、神よ。

 このまま人類は一方的に追いつめられ、食い尽くされるのを待つしかないのか?

 否!

 どんな怪物にも、天敵はいる。故に、人は生きのびたのだ。ざっくりおよそ五年の月日を!


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登場人物紹介

常道・E・ミレ
主人公。家族の仇を探して灰と塵の荒野をさすらう女子高生。転生トラックの天敵にして無慈悲な狩人。「来いよ、解体(バラ)してやる。鉄の一片、ネジの一本すら貴様の痕跡は残さん!

円辺・P・朗太
ヨナ町で農場を営む中年男。父一人子一人。見かけによらず魂のピュア度はすさまじく高い。
「おじさん、もうすぐ死んじゃうから」

円辺・G・心斗
父親と二人で農園を営む元気な幼女。年齢は八歳。
名前は「ハート」と読む。

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