3-4彼の下心の理由

文字数 2,248文字

「うはーっ! 気持ちいいっ!」

 風呂と言ってもドラム缶。風呂場と言っても家の外、勝手口の回りをざっくり塀で囲っただけの空間。屋根はない。しかしてここは転生トラックの腹の中、霧は出ても雨は降らない。

「しっかし、よくこんなに水が手に入ったねー、円辺さーん」

「転生トラックの腹の中だからねぇ。水は割と豊富なんだよ」

「あー……」

「ラジエーターとか、水が必要な部品もあるだろ、あんま詳しくないけど」

「なるほど」

「オイルも可燃性だし。他にも燃える物はけっこう見つかるしね。ゴミの始末も兼ねてる」

「わかった、うん、それ以上言うな」

 衝立の向こうで円辺は肩をすくめた。

「着替え、ここに置いとくから」

「さんきゅー。ああ、脱いだもんに手ぇ触れたら」

 腹の底から轟く低い声。

解体するよ」

 ぞくぅっと大の男の背筋を凍らせる。

「おっけーおっけー、触りません」

 ねとつくオイルの汚れと、生臭いにおい。丹念に洗い流してお湯から上がる。

「何だこれ」

 用意されていたのは、ダサ可愛いロゴ入りのパーカーとTシャツ。なぜかサイズとカラーのバリエーションはやたらと豊富。そして黒のジャージに靴下。

 ひとしきり首をひねってから、適当に組み合わせて身に着ける。選んだのはグレイのカモフラパーカー、内側に白のTシャツ、黒ジャージは下だけ。幸い、サイズはぴったりのが見つかった。髪をぬぐい、タオルを首にひっかけてからおもむろに、オイルまみれの服とガスマスクをつまみあげる。


 洗濯は入浴より時間がかかる。だが豊富なお湯と石鹸のおかげで、いつもよりずっと早かった。

「上がったよ、円辺さん」

「はいはい」

「まさかタオルに石鹸まであるとは思わなかった」

「パークのお土産用だよ」

「パーク?」

 改めてロゴを見る。

「Yonaふれあいパーク……」

 読み上げる。律義。

「うん。俺の職場、んでもって今の住み処」

「言われてみれば風呂場の囲いに『ふれあいパーク』とか書かれた看板があったような」

「町と一緒に飲み込まれちゃったんだ」

 見ると、円辺の着ている白いTシャツにも同じロゴが入っていた。可愛いといえば可愛いが、デフォルメの加減が半端で、微妙に、惜しい。

「もしかしてこれ、アルパカさん」

「そう、アルパカさん」

 渡されるマグにもアルパカさん。

「パークの土産物は、幸い在庫が豊富でね」

「売れてなかったんだ」

「……まあね。ちっちゃいけど生産工場もあるから、自給自足もできる」

「あー、手作り工房」

「うん。作っといてよかったよ」

 何とも言いがたい微妙な表情でミレは中味を一口すすり。途端にきゅるっと目を見開いた。

「うぉ、牛乳だっ!」

 おそるおそるもう一口。

「夢じゃない。粉ミルクじゃない。ほんとに、ほんとに、ほんものの新鮮な牛乳だーっ!」

「しぼりたてだよ」

「こ、こんな貴重品……何ヶ月、いや何年ぶりだよぉ……」

 ぼとりと涙が落ちる。目尻のきゅっと上がった切れ長の目から、ぼとぼとと、あとからあとから滝のように。

「何も泣くことなかろう」

「泣くわ! こんなん!」

 物流が断たれれば、乳製品の供給も断たれる。灰と塵の荒野には、コンビニも冷蔵庫も宅配便も無い。新鮮な食品を口にできるのは極めてレア。あまりに稀。

「そーかそーか、おかわりあるから、ゆっくり飲みなさい」

 ず、ず、ずずずずじゅぅいいい。


 音を立てて最後まで飲み干し、満足そうにため息一つ。それからぐいっと拳で涙を拭う。

「で。まだ答えを聞いてない」

「あ、うん」

「なんであたしを助けた」

 ことりとカップをテーブルに置く。

「獣機に飲まれた人間に触れるなんざ、あんまりにリスクが高過ぎるだろ。下手すりゃ、あんただって引っ張り込まれる」

「知ってる」

「なぜ、そこまでした。無償の善意は疑え。むしろ下心ありきの親切の方が、よほど信用できる」

「ドライだな」

「今どきの子だからね」

「うん。それじゃあ答えよう」

 どっかりと椅子に腰を降ろすと、円辺は身を乗り出した。テーブルにひじをついて背中を丸めるその姿は、ほんの少し小さく見える。

「実はね、おじさん、もうすぐ死んじゃうんだ。だからその前に、少しでも善いことしとこうと思って」

「神様へのゴマすり?」

 ミレは眉間に皺をよせ、半眼でねめ付ける。腕組みして、せわしなくつま先で床をたたく。まだ納得はしていない。

「……宗教って基本、そんなもんだろ。神様にしかられないように、悪い事を我慢して、善い事をする」

「まあね」

「それに、君は強い」

 沈黙。

「獣機と戦う力がある。生き抜くだけの知恵も回る。安心して、まかせることができる」

「何を?」

 ドアの外、軽快な足音が近づく。響く歌は幼い子供のいとけなき声。


『ごらんよ空の鳥 野の白百合を』

「あれ、この歌……」

 ばーんっとドアが開いた。

たーだーいまーっ。あれ、お客さん?」

 おさげの幼女がそこにいた。ぶかぶかのくすんだカーキ色のパーカーに膝丈のデニムのズボン、黒い靴下灰色の靴、間のすねの白さと細さが浮き上がる。まるでそこだけ別の生き物。年のころは八つか七つ、顔立ちは円辺をマイルドにして、若くして、女性らしい愛らしさをブレンドして縮めた感じ。


 要するに、似ている。年齢と性別をこえてもなお、隠しようのない類似性、すなわち遺伝子、あるいは血縁。ひと目でミレは理解した。

「そーゆーことか」

「そーゆーことです」

 ここはヨナ町、転生トラックの腹の中。一度のみこまれたらもう、逃げられない。

「俺達同様、君はもう、どこにも行けない。そうだろ? 常道・E・ミレ」

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登場人物紹介

常道・E・ミレ
主人公。家族の仇を探して灰と塵の荒野をさすらう女子高生。転生トラックの天敵にして無慈悲な狩人。「来いよ、解体(バラ)してやる。鉄の一片、ネジの一本すら貴様の痕跡は残さん!

円辺・P・朗太
ヨナ町で農場を営む中年男。父一人子一人。見かけによらず魂のピュア度はすさまじく高い。
「おじさん、もうすぐ死んじゃうから」

円辺・G・心斗
父親と二人で農園を営む元気な幼女。年齢は八歳。
名前は「ハート」と読む。

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