4-2群れの子羊、孤高の狩人
文字数 3,082文字
低い声が割って入る。
円辺だ。ぬうっと立ち上がって進み出て、教父と呼んだ男と向かい合う。それまですくめていた肩を張り、猫背をぴんと伸ばして。一周り、体が大きくなったように見えた。
大きな、優しい手に押しとどめられる。重なる懐かしい手の面影に、ミレの殺気が抜ける。
ミレは歯を食いしばる。
彼女は瞬時に理解した。いや、理解しなければならなかった。
閉ざされたコミュニティにおける新参者の立場は弱い。しかも相手は『転生教団』。転生トラックに食われることこそ、至上の幸せと信じる狂信者どもだ。教父の号令一つで何でもする。たとえ殺人でも善行と信じてためらわずに。何人が犠牲となろうとも決してあきらめない。止まらない。そんな奴らが最大の派閥。
それがヨナ町。逃げ場の無い閉ざされた空間。
工具使いは獣機の天敵だ。しかし、殺人者では無い。
食いしばった顎をほどき、答えを返す。よどみなき声で。
広げた翼のように美しく、均整の取れたコンビニ袋の半仮面。目出し穴からのぞく目が、露骨にがっかりしたように見えた。
口が……そう、教父の口はやけに大きかった。特に両角がつりあがり、歯を見せずに笑った瞬間は。
教父は人さし指を立て、リズミカルに左右に振る。
ミレは口をゆがめて、答える。ぼそりと低い声で。
教父は満足げにうなずく。反抗的な少女を、意のままに従わせる下衆な喜びを隠そうともせずに。矮小!
彼女はしかし教父の方など見ていなかった。ガラス窓に写る円辺の目。ひたと見すえて、うなずく。受け止め円辺もまた、小さくうなずき返す。
儀式は終わった。少なくともこれで、よそ者として強制的に『転生』させられる危機は去ったようだ……当面は。
教父はゆるやかな身振りで右手をかかげ、人さし指と中指を立てた。軽く曲げた親指を添えて。
カサササササっ。
緑のきらめきが消え、信徒が後に続く。最後の一人が退場するやいなや、扉がしまる。心斗だ。ちいさな体の全力をふりしぼって、閉めた。衝撃で床と壁が震え、テーブル上のカップがかちゃりとゆれる。
ミレは思った。
ああ、初めて心斗の『こころの声』を聞いた、と。
そして、気づく。
転生トラックはこの世の道理をぶっちぎりで外れた混沌の申し子。体のしくみも極めてでたらめ。あまりに図体がでかすぎると、どうやら飲み込んだもの全てをいっぺんに消化することはできないらしい。定期的に一定の質と量の『食事』を与えておけば、他は消化不良のまま残される。
さっき中に入ってきたのはほんの一部だ。コンビニ袋を被った信徒どもが、家の周りにひしめいていた。見える範囲にぎっしりと、おそらくは霧の中までも。あいつらは最大の群れなのだ。いつ食われるかわからないのは恐ろしい。恐ろしいのなら、狂ったシステムの一部になってしまえばいい。恐怖の一部になれば怖くない。仲間入りを拒んでも、町からは出られない。
この町の人間は、生殺与奪の権限をあの緑の教父サマとやらに握られている。だから逆らえない。
円辺は左手首をつきだした。そこには、大型のデジタル時計が巻かれていた。日に焼けたごつごつとした指が、かちりと小さなボタンを押す。
ぽーん!
四角いディスプレイに表示される数字。ひと目見るやいなやミレはびっくり仰天。その場で10センチ飛び上がり、「うぇっ」とひっくりかえった声をあげる。
魂ピュア度計測機能! ご存知の通り、今世紀のスマートウォッチには標準搭載されている機能である。
不安げにすり寄る娘とともに、円辺はふかぶかと頭を下げる。
ミレは困った。とても困った。
迷っている時間は、無い。
唇を噛み、うつむく。目に入るのは靴と、木組みの床と黒手袋をはめた己の拳。
そう、拳だ。
キチ、キチ、キチ。
小指がきしむ。
キチ、キチ、キチ。
本来、肉の指のあるべき場所に埋め込んだ、機械仕掛けの小指がきしむ。血の通わぬはずの義指が鳴く。
即座にミレは思い出す。いや、もとより片時も忘れたことなどなかった。ただこの忌々しい超絶巨大な獣機に飲まれてからこっち、めまぐるしいあれやこれやに振り回されていただけで。胸のど真ん中、心の羅針盤が示す方向は、ただ一つ。
ほっと円辺が顔をほころばせる。それはあきらめの入り混じる、苦い涙を含んだ笑みであった。
あわてふためく円辺、しかしミレはゆれない、ブレない、たじろがない。
心斗はひしとばかりに父親の服をつかむ。目の端に涙をにじませて、それでもまっすぐミレを見る。
あっぱれ、八歳児。
父の答えはかすれた声で尻すぼみ。信じてないから、自信がない。
腹の底からしぼりだす無垢の叫び。手垢にまみれた大人の事情をすっぱりきっぱりさえぎった。
父は深い、長いため息を吐き、娘を抱きしめる。時に行動は雄弁だ。他人の目をうかがった言葉よりもずっと。