5-2その木札は名誉の印
文字数 4,313文字
牛舎の前で、円辺は柿をかじっていた。
アルパカが首を伸ばし、半分かじりとる。あざやかな連携。もらう方も与える方も慣れっこなのだ。
今日のアルパカは、荷車にベルトでしっかりとつながれている。赤と緑と黄色と青、つみきのような原色で塗られた二輪の荷車。大きさはまさにアルパカにジャストフィット。かたわらの地面には箱につまった瓶の山。1リットル入りのガラス製、プラスチックの蓋で密封され、中にはミルクが満たされている。
ぴん、とアルパカが耳を立てる。
ミレが小走りでやってきた。いや、戻ってきた。
ブレザーの胸ポケットから、柿の種をとりだす。
受け取り、円辺は大事そうにしまいこむ。
たとえ一週間後に死ぬ運命だとしても、この男は果樹を植える。三年後になる実に希望を託す。ミレは思った。
固く、固く拳を握るJKに、ピュアなおっさんがのほほんと声をかける。
いちはやく屈みこみ、自ら手本を示す。
言われた通りにミレはひざを曲げて屈みこむ。その姿に何故か円辺があわてた。
とすん、と置かれた箱の中、ガラス瓶がかちゃかちゃ触れ合う。
馬車。引くのは馬ではないけど馬車。アルパカだけど馬車。
ほこらしげにアルパカが鼻を鳴らす。
言葉を交わす間も手は休まず、てきぱきとミルクを積み込む。
円辺はアルパカの手綱をとって歩き出す。ごとごとと荷車が動き出す。車輪はタイヤだが本体は木製。動けばきしむ。ごとごと鳴る。
ごとごとと荷馬車が進む。立ち込める微妙な濃さの霧の向こうから、にゅうっとつきだす四角い街並み。各家の前には、牛乳瓶を入れるための蓋つきの箱が並んでいる。空き瓶を取り出し、中身の入ったミルク瓶を入れる。
「ああ、一回につき二本だ。瓶は持ち帰って、また使う」
ミレは教えられた通りにミルク瓶を二本持って、牛乳箱に向かう。
円辺は呼び止め、もう一本箱から抜き取った。
果たして、箱の中には空き瓶が三本あった。
首をかしげるミレに、円辺は門口を指差した。そこには木札が。ちっぽけな赤い木札が打ち付けられている。バラの焼印、そして金箔押しの漢字が二文字……やたらと画数が多い。いわく
殉教者を出した家庭は、優遇される。そう言う決まりになっている。
にかっと歯を見せて笑うとミレは拳を握り、親指を立てる。
ハレルヤ、彼女の意志に1ミリのゆらぎも無い。
ため息混じりで円辺が答える。肩をすくめて。
荷車に積んだミルク瓶のうち、半分近くが空き瓶に入れ替わった頃。
不意に霧の中から、農家が現れた。門の奥に広がる畑と平家と庭と納屋。町の中に突如出現する農地。驚くことはない。ここは計画的に作った町じゃない。転生トラックに飲み込まれ、でたらめに再構成された場所なのだ。逃げ場のない閉ざされた生け簀。
それでも人は、生きる。食われても命の営みは続く。
庭先で水をまいていた女が手を止め、顔をあげる。日に焼けてはいないが(そもそもここは直射日光とは無縁だ)麦わら帽子を被り、農作業にふさわしい動きやすい服を着ている。
とたたたーっ。
母屋から男の子が走ってくる。手には洗ったばかりのミルク瓶が二本。
円辺は男の子から空き瓶を受け取り、入れ違いに新しいミルクを渡す。
息子の姿を母は満面の笑顔で見守る。
エプロンの下、母親のお腹はまぁるくふくらんでいる。臨月なのだ。
円辺がうなずく。
母親は愛おしげにふくらんだ腹をなでる。
適応。人間はしぶといのだ。転生トラックの腹の中でも、生きて、種をまき、耕し、増える。
然り。牛乳入れの上に、青いギンガムチェックの布で包んだ弁当箱が乗っていた。
首を傾げるミレ。一方で円辺は両手で大事そうに弁当を持ち上げた。
ぽっくりぽくりとひづめが鳴る。ガラガラゴロゴロ馬車がゆれる。
四角いつぎはぎの街並みが途切れ、不意に出現するトウモロコシ畑。慣れたつもりでいても一瞬、めまいを覚える唐突さ。
見渡す限り一面に、生い茂る緑の茎。高さは大人の背丈ほど。歩み入ればすっぽりのみこまれる。まっすぐ走る畝に沿って、きちんと整列した緑、緑、緑。先端に揺れる穂、葉っぱの根元にさなぎのようにみっしり実ったトウモロコシ。あざやかな緑は遠ざかるにつれて次第に霧と一体化し、畑の終わりは溶け込んで見えない。
そこだけが、霧に切り取られた現実。転生トラックの中にいることを忘れそうになる。
ゴンゴンガサガサ、バサササ。
畝の上、トウモロコシをなぎ倒して進む、進む。ハーベスト式大型コンバイン。六つの金属の爪の生えた腕の奥、回り続けるローラーは一枚一枚が研ぎ澄まされた刃物。
バリバリむしゃむしゃバキバキバササ。
轟音とともに片っ端から問答無用、トウモロコシを飲み込みかみ砕き、硬い茎も葉っぱももろとも粉砕獅子奮迅。後に残るは根っこのみ。通り過ぎた場所は真っ平ら。
ゴンゴンガサガサ、ばきばきバサササ。
大型コンバインは着々と、黙々とトウモロコシを刈り取り進む。実は後部のタンクに収納され、葉っぱと茎は粉砕される。刈り取りと脱穀を一度に行う全自動。素晴らしきかな、人類の叡智。これぞ文明の利器!
青々と伸びた葉っぱ。天つくようにすっくと立った茎。ミレは膝をつき、足下の土をすくいとった。
ミレは立ち上がる。両手をめぐらせ、広がるトウモロコシ畑を指し示す。
ミレは片方の目をすがめた。
円辺は目を伏せ、かぶりを振る。それはまるで、足下からはい上がる『考えてはいけないこと』を、ひっしで振りおとそうとしているように見えた。実際、そうしていたのだろう。
のびあがり、コンバインに向かって手を振る。
ゴンゴンガサガサ、バサササ。
すさまじい騒音。故になかなか声は届かない。円辺はさらにぶんぶんと勢い良く手を振った。左手に持った弁当の包みを高く掲げる。
運転席の男が、こっちを見た。そして、手を振り返す。気づいたか?
ミレが一歩前に出る。
ゴンゴンガササ……ガガッ、ゴゴゴ。
規則正しく響いていた駆動音が、乱れる。男はまだ手を振っている。いや、もがき苦しんでいる!
びしゃあっ!
運転席のガラスに、血が飛び散った。