5-2その木札は名誉の印

文字数 4,313文字

 牛舎の前で、円辺は柿をかじっていた。

「むふーんむふーんむふん」

「はいはい、どうぞ」

 アルパカが首を伸ばし、半分かじりとる。あざやかな連携。もらう方も与える方も慣れっこなのだ。


 今日のアルパカは、荷車にベルトでしっかりとつながれている。赤と緑と黄色と青、つみきのような原色で塗られた二輪の荷車。大きさはまさにアルパカにジャストフィット。かたわらの地面には箱につまった瓶の山。1リットル入りのガラス製、プラスチックの蓋で密封され、中にはミルクが満たされている。

「むふ?」

ぴん、とアルパカが耳を立てる。

「お」

 ミレが小走りでやってきた。いや、戻ってきた。

「おかえり」

「ただいま」

「ゆっくり休んだかい?」

「ああ、いい気分転換になったよ」

ブレザーの胸ポケットから、柿の種をとりだす。

「柿ごちそうさま。はい、これ種」

「ありがとさん」

 受け取り、円辺は大事そうにしまいこむ。

「まくの? それ」

「ああ。しっかり世話すれば、のびてまた実がなる」

 たとえ一週間後に死ぬ運命だとしても、この男は果樹を植える。三年後になる実に希望を託す。ミレは思った。

(こんな人を、みすみす転生トラックなんかに食わせちゃいけない。食わせてたまるか、絶対に!)

 固く、固く拳を握るJKに、ピュアなおっさんがのほほんと声をかける。

「それじゃミレさん」

「あ、ああ」

「その牛乳の入った箱を、車に載せてくれ」

「了解」

 いちはやく屈みこみ、自ら手本を示す。

「こうやって、ひざを使うんだ。無理に背筋だけで持ち上げると、腰を痛めるぞ」

「わかった」

 言われた通りにミレはひざを曲げて屈みこむ。その姿に何故か円辺があわてた。

「あ、こらこら、そんなに脚開いたらっ」

「大丈夫。スパッツ履いてる」

「……そうなんだ」

 とすん、と置かれた箱の中、ガラス瓶がかちゃかちゃ触れ合う。

「この車も、円辺さんが作ったの?」

「ああ、パークがまだやっていた時にね。子供を乗せるのに使ってたんだ」

「それでこんなにカラフルなんだ」

「うん、人気があったよ。アルパカ馬車」

 馬車。引くのは馬ではないけど馬車。アルパカだけど馬車。

「ふーん、むふふーん」

 ほこらしげにアルパカが鼻を鳴らす。

「だからアルパカさんも慣れてるんだね」

「ベテランだよ」

 言葉を交わす間も手は休まず、てきぱきとミルクを積み込む。

「ありがとう、君のおかげで今朝は、搾乳も瓶詰めも、いつもより早く終わったよ」

「どういたしまして」

「さて、出かけようか」

円辺はアルパカの手綱をとって歩き出す。ごとごとと荷車が動き出す。車輪はタイヤだが本体は木製。動けばきしむ。ごとごと鳴る。

「町が飲み込まれてから、何年だっけ?」

「二年だ」

「よくそれだけ長い間、牛乳を自給できてるね」

「ラッキーだったんだよ。たまたま、ほんっとうにたまたま、うちの牧場の雌牛が身ごもっていた。無論獣医なんかいるはずもない。俺がこの手でとりあげた。その子牛が……」

「オスだった、と」

「うん。おかげで二年間、我がYonaふれあいパークでは子牛にも、ミルクにも不自由していない」

 ごとごとと荷馬車が進む。立ち込める微妙な濃さの霧の向こうから、にゅうっとつきだす四角い街並み。各家の前には、牛乳瓶を入れるための蓋つきの箱が並んでいる。空き瓶を取り出し、中身の入ったミルク瓶を入れる。

「二本ずつ?」

「ああ、一回につき二本だ。瓶は持ち帰って、また使う」

 ミレは教えられた通りにミルク瓶を二本持って、牛乳箱に向かう。

「おっと、ちょっと待った」

円辺は呼び止め、もう一本箱から抜き取った。

「え?」

「その家は、三本だ」

 果たして、箱の中には空き瓶が三本あった。

「何で?」

首をかしげるミレに、円辺は門口を指差した。そこには木札が。ちっぽけな赤い木札が打ち付けられている。バラの焼印、そして金箔押しの漢字が二文字……やたらと画数が多い。いわく

「殉教」

「うん」

「ああ、そう言うことか」

「うん。そう言う決まりなんだ。覚えておいてくれ」

 殉教者を出した家庭は、優遇される。そう言う決まりになっている。

「すまんね、こんなことまで手伝わせちまって」

「いいんだ、指名された以上、後継者の務めは果たすさ。それに、こうして街の中を回るのは役に立つ」

「何に?」

 にかっと歯を見せて笑うとミレは拳を握り、親指を立てる。

「情報収集!」

「君、まだやる気なの?」

「もちろん! 一週間以内に、この超大型転生トラックを解体する」

 ハレルヤ、彼女の意志に1ミリのゆらぎも無い。

「あー……」

 ため息混じりで円辺が答える。肩をすくめて。

「やる気なんだね」

「狩場を知るのは狩りの鉄則だ。もっともここは、獲物の腹の中だけど……いくら詳しく知っても、知りすぎるってことは無い」

荷車に積んだミルク瓶のうち、半分近くが空き瓶に入れ替わった頃。


不意に霧の中から、農家が現れた。門の奥に広がる畑と平家と庭と納屋。町の中に突如出現する農地。驚くことはない。ここは計画的に作った町じゃない。転生トラックに飲み込まれ、でたらめに再構成された場所なのだ。逃げ場のない閉ざされた生け簀。


それでも人は、生きる。食われても命の営みは続く。


「あら円辺さん」

 庭先で水をまいていた女が手を止め、顔をあげる。日に焼けてはいないが(そもそもここは直射日光とは無縁だ)麦わら帽子を被り、農作業にふさわしい動きやすい服を着ている。

「やあ、奥さん。ミルク持ってきたよ」

「ありがとう」

 とたたたーっ。


 母屋から男の子が走ってくる。手には洗ったばかりのミルク瓶が二本。

「はい、どうぞ!」

「お、ありがとう。えらいぞ」

 円辺は男の子から空き瓶を受け取り、入れ違いに新しいミルクを渡す。

「気をつけてな」

「うん!」

 息子の姿を母は満面の笑顔で見守る。

「はりきってるな」

「うん。もうすぐおにいちゃんになるんだもん!」

エプロンの下、母親のお腹はまぁるくふくらんでいる。臨月なのだ。

「こいつに家ごと飲み込まれたときは、この先どうなるかと思ったけれど……ほんと、どうにかなるもんだね」

 円辺がうなずく。

「ああ」

母親は愛おしげにふくらんだ腹をなでる。

「この子にとっては、空の無い町が『普通』になるのね」

「そうだな。ここが故郷だ」

 適応。人間はしぶといのだ。転生トラックの腹の中でも、生きて、種をまき、耕し、増える。

「あら、あの人、お弁当忘れて行っちゃった」

 然り。牛乳入れの上に、青いギンガムチェックの布で包んだ弁当箱が乗っていた。

(どうやったら、あそこに忘れてくんだろう)

 首を傾げるミレ。一方で円辺は両手で大事そうに弁当を持ち上げた。

「届けるよ。通り道だ」

 ぽっくりぽくりとひづめが鳴る。ガラガラゴロゴロ馬車がゆれる。


 四角いつぎはぎの街並みが途切れ、不意に出現するトウモロコシ畑。慣れたつもりでいても一瞬、めまいを覚える唐突さ。

「広いな」

「ああ。去年、大江さんの農場はこの畑ごとそっくり飲み込まれたんだ」

「去年? 街と一緒じゃなかったのか」

「うん。時々、転生トラックが気まぐれに飲み込んでるんだ。そうやって、新しい人や設備が増える」

「ふぅん」

「君もそうだろ?」

「ああ、そうだね」

 見渡す限り一面に、生い茂る緑の茎。高さは大人の背丈ほど。歩み入ればすっぽりのみこまれる。まっすぐ走る畝に沿って、きちんと整列した緑、緑、緑。先端に揺れる穂、葉っぱの根元にさなぎのようにみっしり実ったトウモロコシ。あざやかな緑は遠ざかるにつれて次第に霧と一体化し、畑の終わりは溶け込んで見えない。


 そこだけが、霧に切り取られた現実。転生トラックの中にいることを忘れそうになる。


 ゴンゴンガサガサ、バサササ。


 畝の上、トウモロコシをなぎ倒して進む、進む。ハーベスト式大型コンバイン。六つの金属の爪の生えた腕の奥、回り続けるローラーは一枚一枚が研ぎ澄まされた刃物。


バリバリむしゃむしゃバキバキバササ。


轟音とともに片っ端から問答無用、トウモロコシを飲み込みかみ砕き、硬い茎も葉っぱももろとも粉砕獅子奮迅。後に残るは根っこのみ。通り過ぎた場所は真っ平ら。

「うお、すげえ馬力!」

「ドイツ製だとさ。一人でこの面積を収穫するには、これぐらいやらないとな」

「……もしも人間が巻きこまれたらどうなるんだろう」

「やめて、想像したくない」

ゴンゴンガサガサ、ばきばきバサササ。


 大型コンバインは着々と、黙々とトウモロコシを刈り取り進む。実は後部のタンクに収納され、葉っぱと茎は粉砕される。刈り取りと脱穀を一度に行う全自動。素晴らしきかな、人類の叡智。これぞ文明の利器!

「なー円辺さん」

「ん?」

「この畑、街より後に飲み込まれたって言ったよね」

「ああ」

 青々と伸びた葉っぱ。天つくようにすっくと立った茎。ミレは膝をつき、足下の土をすくいとった。

「この土は、まだ生きている」

「そうだな。この畑が来たおかげで、食い物には困らなくなったよ」

「おかしい」

「何が?」

「転生トラックに食われた植物は、スピリッツを食われて塵となる。土もそうだ。草も生えない荒れ地となる。こんなに豊かな作物が実るはずがない」

 ミレは立ち上がる。両手をめぐらせ、広がるトウモロコシ畑を指し示す。

「なのに何故。何故、この畑は生きてるんだ?」

「さあな。図体がでっかいから、消化しきれなかったんじゃあないか?」

「そうだろうか」

「君もそうだったろ?」

 ミレは片方の目をすがめた。

「何だかまるで、手間ひまかけて、わざなわざ中の人間を生かそうとしてるみたいじゃあないか……水槽の中のアリにエサを与えるみたいに」

「だれが? 転生トラックが? まさか」

 円辺は目を伏せ、かぶりを振る。それはまるで、足下からはい上がる『考えてはいけないこと』を、ひっしで振りおとそうとしているように見えた。実際、そうしていたのだろう。

「考えすぎだよ、ミレさん」

のびあがり、コンバインに向かって手を振る。

「おぉーい、大江さーん!」

 ゴンゴンガサガサ、バサササ。


 すさまじい騒音。故になかなか声は届かない。円辺はさらにぶんぶんと勢い良く手を振った。左手に持った弁当の包みを高く掲げる。

「おぉーい、大江さーん、弁当持ってきたぞー」

 運転席の男が、こっちを見た。そして、手を振り返す。気づいたか?

「待って」

 ミレが一歩前に出る。

「何か、動きがおかしい」

「え?」

 ゴンゴンガササ……ガガッ、ゴゴゴ。


 規則正しく響いていた駆動音が、乱れる。男はまだ手を振っている。いや、もがき苦しんでいる!


びしゃあっ!

運転席のガラスに、血が飛び散った。

「あ、食われた」

「う、まさか、あれは」

「感染したんだ」

「獣機ーーーーーっ!」

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登場人物紹介

常道・E・ミレ
主人公。家族の仇を探して灰と塵の荒野をさすらう女子高生。転生トラックの天敵にして無慈悲な狩人。「来いよ、解体(バラ)してやる。鉄の一片、ネジの一本すら貴様の痕跡は残さん!

円辺・P・朗太
ヨナ町で農場を営む中年男。父一人子一人。見かけによらず魂のピュア度はすさまじく高い。
「おじさん、もうすぐ死んじゃうから」

円辺・G・心斗
父親と二人で農園を営む元気な幼女。年齢は八歳。
名前は「ハート」と読む。

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