4-1空の鳥、野の白百合
文字数 3,106文字
ずっしり重く固まる空気を、一気呵成に吹き飛ばす幼女の笑顔。そしてはきはきした声。
幼女の迫力に押されておもわずフルで名乗りを返す。
元気よくさしのべられる右手。少し考えてから、ミレはかがんで視線を合わせ、しっかりと握った。
口まわりがむずっとなる。が、こらえる。そうだ、この子の一生に比べれば、二年はおよそ四分の一。充分に長い。
ハートはのびあがり、くもったガラス窓に指で字を書く。
ちらっとミレは横目で円辺(父)を見る。したり顔でうなずいているが、ほお骨の周りがなんとなく赤い。
心斗は得意げに胸を張る。
二人は窓に書かれた『斗』を見る。湿気で曇った窓ガラスの、そこだけが透明。外の景色が見える。
ぎんっとミレの目が全開。三白眼ぎみの目が白さ増量、逆立つ眉とあいまって人相が悪化。触れなば斬れん鋼の刃。
おそるおそる問いかける心斗。小さな肩に手をかけてミレは優しく、しかし断固たる動きで幼女を窓から引き離す。
心底うんざりした口調で舌打ち。
ガラスに書かれた『心斗』の文字から水滴が垂れる。ほどなく、ドアがばたーんっと開く。入ってきたのは間に合わせの白装束に、コンビニ袋を被った集団。がばがばの衣裳と覆面で男か女か若者か年よりかもわからない。だが、彼らの信じる宗教はわかる。
そろいもそろって額に殴り書きされた『転』の文字!
教団信者は答えない。無言のまま、すーっと左右に別れる。一斉に胸に手を組み、ぶつぶつと唱え始めた。
唱えながらゆーらりゆらりと体を左右にゆらす。
低い、抑揚のない唱和が家の中を埋め尽くし、壁に床に反響する。不気味。
ミレは一歩前に出た。円辺親子の前に立ち、守りの盾となる。
入ってきたのは、緑の男。細身で手足がやたらとひょろ長く、背も高い。
緑の靴、ぴたっと脚にはりつく緑のズボン、ぎんぎらぎんの派手な装飾をびっしり埋め込んだ緑のタキシード。裾はべらぼうに長く、動くたびに鱗のような金属片が、ちかちかまぶしい。
くどいくらいに装飾過多の服装。中でもとりわけ凝っているのはその覆面だ。ひときわ白いコンビニ袋を美しく切り絵のように細工して、幾重にも重ねてある。鼻から上を覆う半仮面(ドミノ)。薄く柔らかな材料を用いているにも関わらず、完璧に左右対称だ。額に黒ぐろと油性マジック書かれた『転』の字は、まるで印刷でもしたかのように美しく整っている。
服装同様、言動はやたらと派手でうっとおしい。しかし声はあまりに甘美。ずっと聞いていたい、途切れればもう一度聞きたい。そう思わせる何かがある。
両腕を広げて身をかがめ、しげしげとミレをのぞきこむ。
ひょろ長い腕をのばし、白い手袋をはめた両手をうごめかせる。やたらと指が長い。少女の体に触れるか触れないかの距離。ギリギリのラインで胸から腰、太ももにかけてひらひらと上下させる。何度も何度も執拗に……不謹慎!
「すぐさま、適切な伴侶を見繕ってさしあげましょう! あなたほど健康な体ならすぐにでも繁殖可能! 早くしないと羊水が腐っちゃいますからねえ。せっせと種付け、さくっと妊娠! Let it ! 産めよ、増やせよ、地に満ちよ!」
ついにミレの忍耐が限界突破。露骨に嫌悪の情をあらわにし、男の手をはらいのける。
ぱきんっと固い音。
男はひくっと口をひきつらせ、申し訳程度に一歩、下がった。
緑の男は天井をふりあおぎ、両手を広げる。
ミレは目を半開きにしてねめつける。しかし教父サマは見ない。聞かない。気にしない。あくまでペースを崩さない。
「外の世界のあなたは、何の価値も無い人間だった。だれからも必要とされていなかった。私にはよーくわかります。ああ、何もおっしゃらずともよろしい。今の時代、よくあることです! 恥じることはない。私はあなたのような何の価値も無い見捨てられた人間の理解者ですからね! ありがたく思いなさい? あなたのように意味無き日々を生きる人間を、ここまで気にかけている者などそうそういませんよ」
「しかーし! ここに来れば『出産する機械』『子を産み育てるメス』としての役割を与えてあげましょう。存在を認めてあげます。居場所を与えてあげます! アナタは我々に必要とされる。どーぅです? それこそアナタの求めていることでしょう! ありがたーく群れの一員となりなさい。我々の群れで、繁殖しなさい!」
一斉に教団信徒どもが唱和する。
詠唱を遮られ、信徒の動きが止まる。だがそれも一瞬。すぐにカサカサとコンビニ袋の音を立て、猛烈な勢いで体を左右にゆすりはじめる。
ミレが身構える。黒手袋をはめた手を握りしめる。左足を引き、腰を落として身構える。
ぴたり。緑の男の一言でぴたりと信徒の動きが止まった。
コンビニ袋ごしのくぐもった声が唱和する。
ミレは叫んだ。心の中で。
声に出さないのは狂信者どもをこれ以上刺激して、円辺親子を巻きこみたくなかったからだ。
生殖だの繁殖だの、無価値だの初対面の男に言われて黙って引き下がる理由は無い! どこにも無い! 1ミリも無い! このねっとりした気色悪さ。上から目線の押しつけ、べったりした嫌悪感。物理的にたたきのめしてやらなきゃ収まらない。
普段なら人間相手にここまで血気にはやるミレではない。しかし、うら若き乙女の羞恥が怒りに火をつけて、ついでに燃焼促進剤をぶちまけていた。
おお神よ!
一触即発、マジで修羅場が始まる5秒前!