3-2空の無い町
文字数 1,834文字
ぽっくりぽくりとひづめが鳴る。薄い地面を踏みしめて。水気をふくんだ黒い土。音がするのはすぐ下に、固い床があるからだ。
あたりは見慣れた薄明かり。黄ばんだ曇りの仄暗さ。天井と床の合間には、ふわふわ漂う蒸気の膜……すなわち霧。視界が半端に閉ざされる。時折吹き抜けるはずの突風と、つかの間裂ける雲の切れ目からさしこむ日の輝きはここにはない。
薄いようで、決して晴れない微妙な濃さの霧。彼方の景色を遮って、振り返れば後ろを塞ぐ。見えるようで、見えない。見えない隔壁は存在しないも同じ……ぶつかるまでは。絶妙なさじ加減、故にかえって閉塞感は薄らぐ。
周囲に並び立つのは鉄筋コンクリート、四階建ての雑居ビル。長く伸びる一続きの建物を内壁で区切った部屋がテラスと階段で繋がりる。一階と二階は店、ひさしから突きだす看板と大きめの窓でそれとわかる。
三階から上は住居。等間隔に並ぶ金属製のドアとのぞき窓、表札でそれとわかる。だが油断はできない。表札の中にも不意に看板が混じり、看板の中に表札が混じる。種々雑多、古えの保存食、果実入りグラノーラもかくありきや。
びっしりと雫のついたガラスの向こうで人影が動く。
この町は生きている。見える範囲に人がいる。だが、見ているだけだ。決して外には出てこない。
ぽっくりぽくりとひづめが鳴る。左右の建物はまだ途切れない。時折、明らかに別の建物が混じり、急ごしらえの渡り廊下が間を繋ぐ。鉄パイプと針金、時にはガムテープまで総動員した継ぎはぎの橋。
ぽっくりぽくりとひづめが鳴る。
どこまで歩いても空は見えない。
長い首、ひょろ長い足、つぶらな黒い瞳にふかふかの白い毛。純白とはゆかないが、コップの中のミルクくらいには白い。背中には荷物がくくりつけられている。
JKが「へっ」っと鼻で笑う。
建物と建物の間にぽっかり空いた細い道。左右に迫る壁の間、ひょろ長い空間に湿気が満ちる。
ぽっくりぽくりとひづめが鳴る。左右の壁に音が響く。
男の口の端がぐにゃっと下がる。
細い道が終わり、急にあたりが開ける。と言っても裏庭の寄せ集まった、いびつな四角い広場に出ただけなのだが。かさっかさに乾いた荒野に比べればなんともささやかな広がり。どっちを向いても壁が見える。失われて久しい文明の賜物。だが、妙に落ち着かない。
道の出口に看板があった。ご多分にもれず建材の一部にくみこまれ、階段を支えている。何気なくミレは読み上げた。
男は……いや、円辺は、こんっと看板をたたく。
不意に目の前に、半分になったメリーゴーランド。ぶったぎられて斜め半分、地面からつき出している。まるで昔からそこにあったように、周囲の建物と融け合っている……ただし、物理的に。境目は真新しい。と、言うから生々しい。今やすっかりおなじみとなった、ねっとり粘つく黄褐色のオイルがしたたり落ちる。
ミレが顔をしかめる。しゃがれ声でうめき、口をおさえる。にじみだすにが酸っぱいだ液を、借り物のハンカチに吸い取らせる。
その一言が背中を押した。円辺は足を止め、おくゆかしく視線をそらした。