#7

文字数 3,434文字

 五年前、D県で谷尾葵の恋人である町井義和と葵の知らない女性が、その女性の住むマンションで心中と思われる状況で死んでいるのが発見された。町井は谷尾葵と交際する一方で、別の女性とも付き合っていたのである。
 心中をどちらから持ちかけたかはわからずに捜査は終わっているが、町井は勤務していた大手建設会社で経理を担当し、数字を不正に操作してかなりの額の金を横領していたのが事件後に発覚している。近々経理から別部署に変わるという状況にあり、監査が近づいていたのもあって、横領を隠せないと観念した町井が女を誘って死んだ、というのがありそうな話だった。
 当時、葵はD県でひとり暮らしをし、医療事務の仕事をしていたが、この事件を受けてZ県M市の実家に戻り、二年ほど家族以外に会わず引きこもるように暮らしていたという。恋人に他の女性がいただけでも大きな痛手だが、その女性と心中し、会社で不正もしていたとなれば深く傷つき、外部と接触を断ちたくもなるだろう。
 彼女の実家は築奈山のすぐ麓にある一軒家で、両親が役所勤めをするかたわら畑仕事などをしていた。家のすぐ裏が築奈山で、周りに民家も少なく、誰にも気づかれず山に入るのが可能な立地である。
 その後、葵は同市でまた医療事務の仕事につき、近所付き合いもきちんと始めて穏やかに暮らしていた。一年前に両親が相次いで病死し、以来その家でひとり暮らしをしていた。両親が畑仕事をしていたこともあって、作業に使っていた一輪車が家にあった。
 そうして今年の九月二十四日の金曜日の夜七時半頃、吉原紘男がその家を訪れ、葵に告白する。
 紘男は町井と同じ社に勤める町井よりひとつ年上の男で、葵も顔と名前は知っていた。そして五年前の町井の事件は紘男の計画によるもので、経理の不正をしていたのは紘男であり、その罪を町井にかぶせるため、心中を偽装して女性と一緒に殺した、という。町井が葵とその女性の二人と付き合っていたのは事実であったが、葵との結婚を考えてもう一方とは別れようとしており、それを機に紘男の不正を社に告発しようとしていたという。
 それまで町井は紘男の不正を知っていたが先輩であり、二人の女性と付き合っているとの弱味も握られ、強く出られなかったが、ここで何もかも清算しようとしたそうだ。
 紘男の計画はうまくいき、横領の罪からも逃れ、仕事の上で有利になる家の女性と結婚し、子どもも儲け、仕事でも出世コースに乗って万事うまくいっていた。
 しかし今年になって勤めている会社で立場が悪くなり、さらに妻子を事故で失うという不幸に見舞われた。その上健康診断で内臓のあちこちに不審な影が見つかり、再検査でも何かわからず、再々検査の段階になった。不幸の連続だった。
 紘男はこの負の連鎖に『これは五年前のことの報いだ』と思うようになり、その罪を懺悔するべく、葵のもとを訪ねたという。今の段階で悔いれば、過去からの運命的な報復を逃れ、自身の命だけは助かるかもと考えたらしい。
「犯人、谷尾葵の話によるとそういったことだそうです。実際、被害者の吉原紘男は最近、会社の同僚に青白い顔で『五年前のことを謝らないと』と言っているのを聞かれていますし、町井さんの親族にも連絡を取っています。町井さんの三つ下の弟に、吉原紘男から電話で、五年前の件に関して近いうちに会えないか、と打診があったそうです。その時は忙しくて具体的な話ができず、吉原紘男は先に葵さんと会うことにしたのでしょう」
 岩永は雑誌や新聞の記事で拾った情報をヌシに語った。警察発表ではもう少し簡略化されていたが、おおむね間違いはないと思われる。
 紘男の告白を聞いた葵は呆然とするも、気がついた時には包丁を手にし、紘男を刺し殺していたという。葵はその後、紘男の持っていた携帯電話や財布などを抜き取り、一輪車に死体を積み、山中にある沼へ向かった。午後十時を過ぎていたそうだ。夜ではあったが何度か登った経験があり、電灯も複数持っていたので大丈夫と考えたらしい。
 紘男は男であるが葵と体格的にそれほど差はなく、さらに最近の不幸の連続ですっかりやつれ、体重も落ちていたので、ひとりで運ぶのは思ったより大変でなかった、とも葵は言っているということだ。
 葵の自供によると、こうして九月二十四日の深夜、吉原紘男の死体は山奥の沼に捨てられた。翌日の二十五日の土曜の午前中は雨があったせいか誰も山に入らなかったようで死体は発見されず、晴れた翌日の二十六日になって死体が発見された。
 葵の計画は夜のうちに死体は大蛇の化け物に食べられ、事件は表面化せず、他県の会社員が行方不明になったくらいで捜査もされず終わりになる、というものだった。携帯電話やその他の持ち物を死体から取ったのは、大蛇が食べる時に嫌がりそうと感じたからだという。服は身につけたままでも食べてもらえると思ったらしい。
 だが死体は食べられず、事件は表沙汰になった。ここはある意味ねじれがあるかもしれない。大蛇がいないから死体は食べられなかったのではなく、大蛇はいたが食べる気がなかったので事件が発覚しているのだから。
 被害者の身許は発見の翌日には判明した。携帯電話や身分証はなかったが、ポケットに社章が入っており、そのデザインは有名ではなかったものの調べればすぐにどこの社のものかは割り出せ、勤めていた建設会社へすぐ問い合わせがなされた。死体は沼の濁った水に浸かっていたが腐敗はさほど進んでおらず、関係者によって吉原紘男に間違いないと確認される。
 そして被害者が最近、『五年前』を気に病む発言をしていたという同僚の証言から過去の横領と心中事件が浮かび上がり、それに接点のある人物が死体の発見された現場の麓に住んでいることまでじきにつながった。
 紘男は電車を使って最寄り駅まで来て、そこから徒歩で葵の家へ向かっていた。田舎とあって、夕刻も過ぎてから見慣れない男が駅に降りたのを覚えている駅員や住民が何人かいた。周囲に気づかれず山中へ死体を運べそうな条件の家は地域で限られており、過去の事件がわからない段階でも、谷尾葵は早々に有力容疑者として警察に目をつけられたろう。
 警察にかつての恋人の事件とのつながりを訊かれ、最初は黙っていた葵だったが、やがて詳細を自供したという。
 五年前の町井義和の事件についてはどこまでが真実かは不明であるものの、紘男の行動や紘男が自宅に残していたメモから、彼が大きく関与していたのは間違いないと見られた。またそうでもなければ、紘男が葵の所をわざわざ訪ねる理由もなく、紘男から事前に葵へ連絡を入れている記録もある。二十四日に訪れて良いかの連絡だったという。
 凶器と被害者の携帯電話、財布や身分証といった所持品は未発見であるが、葵の証言によると身分証はこまぎれにして自宅の庭で焼き、凶器や被害者の他の所持品は、死体を沼に捨てた後、同じくそれぞれ沼に投げ入れたという。
「このところ警察のやつばらが沼をしきりにさらっておるらしいですが、どうやらそれら凶器といったものを探しているようですな」
 ヌシは岩永の説明で、いまだ日中、山が騒がしい理由を知ったようだ。
「こんな場所となると人員を登らせるのだけで大変でしょうし、底の泥も厚くて、捜索は難航しているでしょうね。警察としては凶器くらい押さえておきたいでしょうが」
 犯人の葵が、死体を大蛇に食べてもらおうとした、と無茶なことを言っているだけに、証言の信憑性に関わる物的証拠は手にしたいだろう。
「それでヌシ様、犯人の谷尾葵は死体以外にも沼に何か投げ入れていましたか?」
「そのような素振りがあったようにも思いますが」
 ヌシの証言はやや心許ない。死体を落とす時に一緒に放っていたり、何気ない動作で捨てていれば判然としないというのもありそうだ。
 岩永は一口飲んだペットボトルのふたを締めて脇に置き、空になったお椀へ水筒の中に半分ほど残っている豚汁を注ぐ。まだ温かい。
「手に入る情報は限られているので、あれこれ想像で補完しないといけないところはありますが、犯人が死体を沼に落とした理由は、やはり単純なものでしょう」
 ヌシは岩永が箸を取ってまた豚汁を食べようとしながら話し出したのに不審げに訊く。
「単純、ですか」
「はい。こういう場合、大抵は真犯人をかばうためです」
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登場人物紹介

岩永 琴子《いわながことこ》

西洋人形めいた美しい女性。だが、幼い顔立ちのため中学生くらいに見えることも。11歳のころに神隠しにあい、あやかし達に右眼と左足を奪われ一眼一足となることで、あやかし達の争いやもめ事の仲裁・解決、あらゆる相談を受ける『知恵の神』、人とあやかしの間をつなぐ巫女となった。15歳の時に九郎と出会い一目惚れし、強引に恋人関係となる。

桜川 九郎《さくらがわ くろう》

琴子同じ大学に通う大学院生。自らの命を懸けて未来を予言する「件《くだん》」と、食すと不死となる「人魚」の肉を、祖母によって食べさせられたため、未来をつかむ力と、死なない身体を持つ。あやかし達から見ると、九郎こそが怪異を超えた怪異であり恐れられている。恋人である琴子を冷たく扱っているように見えるが、彼なりに気遣っているのかもしれない。

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