#2
文字数 2,550文字
うわばみと言い、おろちとも言う。いわゆる大きな蛇のことであるが、現実的には大型のニシキヘビ類を指すものだろう。そのニシキヘビでも体長は十メートルくらいが最大で、胴の太さも人間の腕ほどだとか。またそんな古めかしい言葉で蛇を示すことは日常でまずなく、出会うこともなさそうだ。
むしろうわばみやおろちは、昔話や伝承において人間をひと吞みにできるほど巨大で、山のヌシや水の神ともあがめられる化け物を指す場合が多い。川に見慣れない橋がかかっているな、と思って渡ってみればそれは大蛇の胴体だったといった話や、山の中で歩き疲れ、ちょうど倒れている木があったので腰掛けたらそれが突然動きだし、実は大蛇だった、といった話が全国で見られる。
日本神話に現れるヤマタノオロチは巨大な蛇の神として有名であろうし、ノヅチやイクチといった蛇の化け物を聞いた人もいるかもしれない。その姿を見ただけで高熱を発し、死に至るとまで言われるのが化け物としてのうわばみであり、おろちである。
そんな巨大な蛇の化け物が、夜の山の奥、土と緑と枯れ葉の香りがする中、岩永琴子の目の前で鎌首を上げ、眼を光らせている。
その胴体の幅は樹齢数百年の巨木ほどもあるだろうか。乗用車一台がそっくり胴体に乗り、走ることもできそうだ。この大蛇が口を開ければ、岩永どころか競走馬でさえ一瞬で吞み込めるに違いない。頭から尾までの全長はあまりに長く、木々の間を縫い、尾の先は夜の闇に消えている。
「おひいさま、当方の悩み事のため、遠路はるばるかような場所までご足労いただき、ありがとうございます」
頭を高い所に置きながらも大蛇は低姿勢でうやうやしくそう言った。
「いえ、それが私の役目なので、礼を言われることでは」
岩永は少々機嫌が悪いのを大蛇に気遣われたか、と少し反省する。
機嫌が悪い理由はもちろん、麓から手ぶらで歩き登っても二十分はかかる山中に、隣の県からやってこなければならなかったことではないので、大蛇に責はない。
ここまで登ってくるのにも山の妖怪達が輿を用意して乗せてくれ、いくつも火の玉を浮かべて先を照らしながら運んでもくれたので大して疲れてはいない。標高が上がったのと午後十時を過ぎた時間の夜気も手伝って気温の低下はあるものの、薄手のコートを身につけ、ベレー帽をかぶっているので気にはならなかった。
岩永を見下ろすこの大蛇こそが、Z県M市の西側一帯の山を何百年と住処とするヌシである。一帯で代表的な山の名を築奈というので、築奈のヌシ、と多く呼ばれるという。長く生きているためその身は大きく、力は強く、知能も高く、従う怪異も多い。月の光もか細い山奥であるが、周りでは化け狐達が集まってそれぞれ狐火をともして辺りを照らしているので暗くもなければ寂しさもない。樹木の精霊と言われる木魂達も提灯を手に、岩永の視界をなるべく明るくしようと木の上に立っている。
他にもヌシとの付き合いがあるらしき種々雑多な化け物達が見受けられ、興味本位か遠巻きにちらちらとこちらをうかがっている。
つまり岩永は、妖怪、あやかし、怪異、魔、と呼ばれるもの達が集う山奥に人としてひとり立ち、巨大な怪蛇と相対している格好である。秋も深まって肌寒く、通常ならのんきにしていられる状況ではないだろうが、岩永にとってはある意味これが日常だ。
「そもそもヌシ様はこの辺りでは人間からも水神として祀られたことがある方。ご用とあればこちらが足を運ぶのは筋でしょう」
岩永はかぶっていたベレー帽を脱いでひとつ頭を下げた。
あやかし達は大抵の場合知能が低く、それゆえに岩永のような知恵を貸してくれる者を必要とするのだが、この大蛇は人の言葉をよく使い、その振る舞いからして例外に属するだろう。どちらかと言えば一帯のあやかし達に知恵を貸す側だ。そのため、岩永も丁寧な言葉遣いで応じている。
しかしヌシは申し訳なさそうに答えた。
「人間に水神として祀られたのもずいぶんと昔の話。この沼にあった祠もすっかり朽ち、雨乞いに捧げ物を運ぶ者もなく、今は当方の存在を知っていても実在は信じていないといったもの。また当方はいくらか神通力や異能を持ち、そこらの妖怪変化よりは優れたるものの、神などとはおこがましいかぎり。雨乞いなどされても気象を操るまでの力は持たぬわけで、廃れるのも当然でしょう」
ただし雨を降らせる力を持っていたとしても、神様に雨を降らせてくれるよう願う儀式は廃れただろう。廃れた神は時に化け物として退治される。なら忘れられたり信じられなくなる方が双方にとってトラブルは少ない。
そして岩永達がいる場所の左側には、ヌシが話に出した暗い水面を冷たく広げる沼があった。楕円ではあるが、直径は五十メートルもあるだろうか。大きいと言って差し支えない規模だ。夜ともあって対岸は見えないが、狐火の明かりが濁った水と、ごく最近人の手が入って倒れているらしい周りの茂みを照らしている。
岩永が前もって調べたところによると、この沼はかつて水神が棲むと言われ、それゆえ麓の村では日照りが続いた時など、列を成して祠に捧げ物を運び、雨乞いの儀式を行った時代もあったという。大蛇は龍とともに水の神とされることが多く、こういった沼に棲んでいるとされ、よく祀られていたりもする。
かつてヌシが沼に訪れ、身を洗ったりその水を飲んだりしているところを村人に目撃され、水神と認識されたのだろう。山奥にある大きな沼であるため、そういった化け物が潜んでいそう、という話は最近でも伝わっているらしく、日本の怪物伝説のひとつとして、『築奈の沼の大蛇』と妖怪や怪物の噂をまとめた本に取り上げられてもいた。
その本の著者や編集者は、よくある大蛇伝説と適当に伝承をまとめただけで、まさか実在するとは欠片も思わなかったろう。実際問題、近隣の市町村でも信じている人はまずいないだろうから、それが自然である。化け物の目撃場所として話題になり、訪れる人が増えた、という話もない。田舎であり、山中であり、登りを二十分も歩かねばならないとなれば面白半分くらいでは訪れにくい場所だ。
実在する怪異の大蛇は目を閉じ、嘆息した。
むしろうわばみやおろちは、昔話や伝承において人間をひと吞みにできるほど巨大で、山のヌシや水の神ともあがめられる化け物を指す場合が多い。川に見慣れない橋がかかっているな、と思って渡ってみればそれは大蛇の胴体だったといった話や、山の中で歩き疲れ、ちょうど倒れている木があったので腰掛けたらそれが突然動きだし、実は大蛇だった、といった話が全国で見られる。
日本神話に現れるヤマタノオロチは巨大な蛇の神として有名であろうし、ノヅチやイクチといった蛇の化け物を聞いた人もいるかもしれない。その姿を見ただけで高熱を発し、死に至るとまで言われるのが化け物としてのうわばみであり、おろちである。
そんな巨大な蛇の化け物が、夜の山の奥、土と緑と枯れ葉の香りがする中、岩永琴子の目の前で鎌首を上げ、眼を光らせている。
その胴体の幅は樹齢数百年の巨木ほどもあるだろうか。乗用車一台がそっくり胴体に乗り、走ることもできそうだ。この大蛇が口を開ければ、岩永どころか競走馬でさえ一瞬で吞み込めるに違いない。頭から尾までの全長はあまりに長く、木々の間を縫い、尾の先は夜の闇に消えている。
「おひいさま、当方の悩み事のため、遠路はるばるかような場所までご足労いただき、ありがとうございます」
頭を高い所に置きながらも大蛇は低姿勢でうやうやしくそう言った。
「いえ、それが私の役目なので、礼を言われることでは」
岩永は少々機嫌が悪いのを大蛇に気遣われたか、と少し反省する。
機嫌が悪い理由はもちろん、麓から手ぶらで歩き登っても二十分はかかる山中に、隣の県からやってこなければならなかったことではないので、大蛇に責はない。
ここまで登ってくるのにも山の妖怪達が輿を用意して乗せてくれ、いくつも火の玉を浮かべて先を照らしながら運んでもくれたので大して疲れてはいない。標高が上がったのと午後十時を過ぎた時間の夜気も手伝って気温の低下はあるものの、薄手のコートを身につけ、ベレー帽をかぶっているので気にはならなかった。
岩永を見下ろすこの大蛇こそが、Z県M市の西側一帯の山を何百年と住処とするヌシである。一帯で代表的な山の名を築奈というので、築奈のヌシ、と多く呼ばれるという。長く生きているためその身は大きく、力は強く、知能も高く、従う怪異も多い。月の光もか細い山奥であるが、周りでは化け狐達が集まってそれぞれ狐火をともして辺りを照らしているので暗くもなければ寂しさもない。樹木の精霊と言われる木魂達も提灯を手に、岩永の視界をなるべく明るくしようと木の上に立っている。
他にもヌシとの付き合いがあるらしき種々雑多な化け物達が見受けられ、興味本位か遠巻きにちらちらとこちらをうかがっている。
つまり岩永は、妖怪、あやかし、怪異、魔、と呼ばれるもの達が集う山奥に人としてひとり立ち、巨大な怪蛇と相対している格好である。秋も深まって肌寒く、通常ならのんきにしていられる状況ではないだろうが、岩永にとってはある意味これが日常だ。
「そもそもヌシ様はこの辺りでは人間からも水神として祀られたことがある方。ご用とあればこちらが足を運ぶのは筋でしょう」
岩永はかぶっていたベレー帽を脱いでひとつ頭を下げた。
あやかし達は大抵の場合知能が低く、それゆえに岩永のような知恵を貸してくれる者を必要とするのだが、この大蛇は人の言葉をよく使い、その振る舞いからして例外に属するだろう。どちらかと言えば一帯のあやかし達に知恵を貸す側だ。そのため、岩永も丁寧な言葉遣いで応じている。
しかしヌシは申し訳なさそうに答えた。
「人間に水神として祀られたのもずいぶんと昔の話。この沼にあった祠もすっかり朽ち、雨乞いに捧げ物を運ぶ者もなく、今は当方の存在を知っていても実在は信じていないといったもの。また当方はいくらか神通力や異能を持ち、そこらの妖怪変化よりは優れたるものの、神などとはおこがましいかぎり。雨乞いなどされても気象を操るまでの力は持たぬわけで、廃れるのも当然でしょう」
ただし雨を降らせる力を持っていたとしても、神様に雨を降らせてくれるよう願う儀式は廃れただろう。廃れた神は時に化け物として退治される。なら忘れられたり信じられなくなる方が双方にとってトラブルは少ない。
そして岩永達がいる場所の左側には、ヌシが話に出した暗い水面を冷たく広げる沼があった。楕円ではあるが、直径は五十メートルもあるだろうか。大きいと言って差し支えない規模だ。夜ともあって対岸は見えないが、狐火の明かりが濁った水と、ごく最近人の手が入って倒れているらしい周りの茂みを照らしている。
岩永が前もって調べたところによると、この沼はかつて水神が棲むと言われ、それゆえ麓の村では日照りが続いた時など、列を成して祠に捧げ物を運び、雨乞いの儀式を行った時代もあったという。大蛇は龍とともに水の神とされることが多く、こういった沼に棲んでいるとされ、よく祀られていたりもする。
かつてヌシが沼に訪れ、身を洗ったりその水を飲んだりしているところを村人に目撃され、水神と認識されたのだろう。山奥にある大きな沼であるため、そういった化け物が潜んでいそう、という話は最近でも伝わっているらしく、日本の怪物伝説のひとつとして、『築奈の沼の大蛇』と妖怪や怪物の噂をまとめた本に取り上げられてもいた。
その本の著者や編集者は、よくある大蛇伝説と適当に伝承をまとめただけで、まさか実在するとは欠片も思わなかったろう。実際問題、近隣の市町村でも信じている人はまずいないだろうから、それが自然である。化け物の目撃場所として話題になり、訪れる人が増えた、という話もない。田舎であり、山中であり、登りを二十分も歩かねばならないとなれば面白半分くらいでは訪れにくい場所だ。
実在する怪異の大蛇は目を閉じ、嘆息した。