#12
文字数 1,641文字
「では、ではあの女は何を探させているのです? かつて何を沼に沈めたとお考えなのです?」
裂けるような口を開いてヌシは解を求めた。岩永は軽く答える。
「それは当然、彼女のかつての恋人、町井義和さんに関わるものでしょう。彼女を裏切り、他の女性と心中した恋人をそれは憎んだでしょうね。その事件の後、田舎に帰って二年も引きこもっていたというのですからかなりのショックだったでしょう。しかしその恋人は、知人の罠にかかり濡れ衣まで着せられて殺されたと知ったんです」
ここで彼女の恋人に対する感情は大きく変わっただろう。
「他の女性と付き合っていたのは事実であっても、彼女と結婚する意志があり、罪も犯していなかった。谷尾葵としては恋人を許し、彼に関わる物事を憎んだのを悔いたと思われます」
「なるほど、わかりました。その恋人との思い出の品をかつて沼に捨てたのですか。自分を裏切った男を思い出す品など乱暴に捨てたくもなりますな。そしてそれを取り戻そうとしたと。いやしかし、そのような物品を回収させるくらいでわざわざここまで死体を運ぶなど大げさではありませんか?」
ヌシは幾分強気な調子で指摘する。岩永は恬然とそれを認めた。
「もっともです。第一彼女は恋人の事件後、ひとり暮らししていたD県からここに戻っています。そういう恋人に関わる品は、引っ越しの時にすっかり処分するものです。多少写真やプレゼント類が残っていても燃やすかゴミに出すかで十分でしょう」
岩永は水筒をしっかり閉め、タッパーも閉じ、お椀と箸を袋にまとめてリュックに詰め直す。そんな岩永にヌシは苛立ったように迫った。
「ならば、何を沼に捨てたというのです?」
「そうですね。恋人との間にできた赤ん坊とか」
岩永はあっさり笑って言ってみせる。ヌシはその答えに体を固める。ここにおいてそれほど意外ではないと岩永には思えるが、ヌシの想像の外ではあったのだろう。
岩永はペットボトルのお茶を飲みながら補足説明を続ける。
「恋人の町井義和の死後、田舎に戻った谷尾葵はやがて自分が死んだ恋人の子どもを授かっているのに気づいた。自分を裏切った男の子どもです。子どもに罪はないとはいえ、どうするか悩んだでしょうね。彼女は田舎に戻ってから二年ほど周りとの付き合いを断っています。少々お腹が大きくなっていても気づかれなかったでしょう」
子どもがお腹にあっても自覚するのには時間がかかる。恋人の事件の時はまるで兆候もなかったのが、二ヵ月後にわかるというのもありえる話だ。
「さすがに無事子どもが生まれていれば育てたでしょうが、彼女はその子を自宅で未熟なまま流産し、嬰児の遺体が彼女の手元に残りました」
現代、病院に行かず、または様々な事情で行くことができず、赤ん坊を産み捨てる、流産、死産した嬰児を公衆トイレなどに放置するという出来事をニュースで目にする時がある。川や海でその亡骸が発見されたという例もある。
「それは処理に困るものでしょうね。彼女としてはその子に愛情が湧くはずもなく、むしろ忌まわしく感じ、嫌な記憶ばかり思い出させるものでしょう。かといって外聞もありますし、ゴミと捨てることもできません。不意に産み落とした小さな遺体をどう処理するか。誰に相談すればいいかも難しい。だから谷尾葵は山奥の沼に沈めることにした」
夜は深くなるばかり。山中には岩永以外に人の気配もなければ人の作った灯すらない。強いて言うなら山で亡くなった者の幽霊達が何体か興味深そうにのぞいているくらい。他には怪異のもの達がいるだけ。そのもの達も滅多なことでは人には関わらない。
「この沼は誰にも気づかれず、小さな遺体を葬るには最適な場所かもしれません。山に埋めるという方法もありますが、地面を深く掘るのは大変ですし、浅ければ獣に掘り返され、誰かに見つかるかもしれません。なら袋にでも詰め、重しをつけて沼へ沈めれば罪悪感も比較的少なく、手間もかからないでしょう」
裂けるような口を開いてヌシは解を求めた。岩永は軽く答える。
「それは当然、彼女のかつての恋人、町井義和さんに関わるものでしょう。彼女を裏切り、他の女性と心中した恋人をそれは憎んだでしょうね。その事件の後、田舎に帰って二年も引きこもっていたというのですからかなりのショックだったでしょう。しかしその恋人は、知人の罠にかかり濡れ衣まで着せられて殺されたと知ったんです」
ここで彼女の恋人に対する感情は大きく変わっただろう。
「他の女性と付き合っていたのは事実であっても、彼女と結婚する意志があり、罪も犯していなかった。谷尾葵としては恋人を許し、彼に関わる物事を憎んだのを悔いたと思われます」
「なるほど、わかりました。その恋人との思い出の品をかつて沼に捨てたのですか。自分を裏切った男を思い出す品など乱暴に捨てたくもなりますな。そしてそれを取り戻そうとしたと。いやしかし、そのような物品を回収させるくらいでわざわざここまで死体を運ぶなど大げさではありませんか?」
ヌシは幾分強気な調子で指摘する。岩永は恬然とそれを認めた。
「もっともです。第一彼女は恋人の事件後、ひとり暮らししていたD県からここに戻っています。そういう恋人に関わる品は、引っ越しの時にすっかり処分するものです。多少写真やプレゼント類が残っていても燃やすかゴミに出すかで十分でしょう」
岩永は水筒をしっかり閉め、タッパーも閉じ、お椀と箸を袋にまとめてリュックに詰め直す。そんな岩永にヌシは苛立ったように迫った。
「ならば、何を沼に捨てたというのです?」
「そうですね。恋人との間にできた赤ん坊とか」
岩永はあっさり笑って言ってみせる。ヌシはその答えに体を固める。ここにおいてそれほど意外ではないと岩永には思えるが、ヌシの想像の外ではあったのだろう。
岩永はペットボトルのお茶を飲みながら補足説明を続ける。
「恋人の町井義和の死後、田舎に戻った谷尾葵はやがて自分が死んだ恋人の子どもを授かっているのに気づいた。自分を裏切った男の子どもです。子どもに罪はないとはいえ、どうするか悩んだでしょうね。彼女は田舎に戻ってから二年ほど周りとの付き合いを断っています。少々お腹が大きくなっていても気づかれなかったでしょう」
子どもがお腹にあっても自覚するのには時間がかかる。恋人の事件の時はまるで兆候もなかったのが、二ヵ月後にわかるというのもありえる話だ。
「さすがに無事子どもが生まれていれば育てたでしょうが、彼女はその子を自宅で未熟なまま流産し、嬰児の遺体が彼女の手元に残りました」
現代、病院に行かず、または様々な事情で行くことができず、赤ん坊を産み捨てる、流産、死産した嬰児を公衆トイレなどに放置するという出来事をニュースで目にする時がある。川や海でその亡骸が発見されたという例もある。
「それは処理に困るものでしょうね。彼女としてはその子に愛情が湧くはずもなく、むしろ忌まわしく感じ、嫌な記憶ばかり思い出させるものでしょう。かといって外聞もありますし、ゴミと捨てることもできません。不意に産み落とした小さな遺体をどう処理するか。誰に相談すればいいかも難しい。だから谷尾葵は山奥の沼に沈めることにした」
夜は深くなるばかり。山中には岩永以外に人の気配もなければ人の作った灯すらない。強いて言うなら山で亡くなった者の幽霊達が何体か興味深そうにのぞいているくらい。他には怪異のもの達がいるだけ。そのもの達も滅多なことでは人には関わらない。
「この沼は誰にも気づかれず、小さな遺体を葬るには最適な場所かもしれません。山に埋めるという方法もありますが、地面を深く掘るのは大変ですし、浅ければ獣に掘り返され、誰かに見つかるかもしれません。なら袋にでも詰め、重しをつけて沼へ沈めれば罪悪感も比較的少なく、手間もかからないでしょう」