#9

文字数 1,258文字

 しばらくヌシは何かおかしくはないか、という風に唸っていたが、ようやく肝心の点に思い至ったのか反論を声にする。
「では女が沼に死体を落とす際、なぜ『うまく見つけてくれるといいのだけれど』と呟いたのです? おひいさまの話では死体がいつ見つかっても良いのでは? 真犯人のアリバイと言っても、厳密に死亡時刻が割り出されなければ成り立たないものでもなさそうです。被害者が女の家を訪ねた日時はある程度絞り込めるでしょう。そこから犯行時刻も狭くなり、死体を捨てられる時間帯も限られます」
「や、こまかいですね」
「申し訳ない、性分です。女は犯人として捕まる覚悟もできていたでしょうが、死体がすぐに発見されなくとも何ら困らなかったはず。少なくともそれを祈るようにする理由はありますまい。なら私が聞いた呟きとは辻褄が合いません」
 無論、岩永は返す刀を準備している。
「だからヌシ様、三つ目の理由があるんです。谷尾葵は真犯人がいた痕跡をできるかぎり消そうとしました。家の中は時間をかければ夜中でもくまなく掃除し、消すことができそうです。けれど家の外はどうです? どこにどんな痕跡を知らずばらまいているかわかりません。真犯人の乗ってきた車のタイヤ痕がどこに残っているか、真犯人も意識せず触れた場所がどこかにあるかもしれない」
 岩永は傍らの沼に、豚汁の入ったお椀を掲げてみせた。
「そこで谷尾葵はそれらをできるかぎり消すため、ヌシ様の沼に死体を捨てたんです」
 その論理をとっさに理解できなかったのか、ヌシは沈黙の後、結局不審げに問うた。
「どういうことです?」
「どうもこうも、雨を降らせるためですよ。ヌシ様は水神として知られ、雨乞いを受けたこともあるのでしょう? 大雨が降れば、タイヤ痕も指紋もうっかり落とした物も、すっかり洗い流されると思いませんか?」
 自明の理といった岩永に、大蛇のヌシはまたもぱっくりと口を開けた。ここで再び犯人が怪異の、超自然の力を当てにした行動を取っていると岩永が主張しようとは予想外だったのだろう。
 谷尾葵は大蛇の伝承を知っていた。なら雨乞いの伝承も知っていたかもしれない。
 声は取り乱した調子ながら、ヌシは威厳に関わるとばかり身を正す。
「お待ちを。当方が水神と言われたのは昔の話、それも実績はあってないようなもの。第一、沼に汚れた死体を落とすなど当方を怒らせるばかりで、雨乞いの祭事とはまるで逆でありましょう。あれはとても雨乞いの捧げ物としての形式をとっておりません」
 岩永は知恵の神だ。その手の神事についての知識は当事者より豊富である。
「雨乞いのやり方は大きく二種類に分かれます。ひとつは水神を崇め、機嫌を取り、雨を降らせて欲しいという人間の願いを聞き届けてもらう方法。正攻法ですね。それとは反対に、水神を怒らせ、暴れさせることによって雨を降らせるという方法もあるんです」
「ああっ、そういえばそんな話も聞いたことが!」
 当の水神とされている大蛇が驚いた反応をするのも奇妙ではある。
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登場人物紹介

岩永 琴子《いわながことこ》

西洋人形めいた美しい女性。だが、幼い顔立ちのため中学生くらいに見えることも。11歳のころに神隠しにあい、あやかし達に右眼と左足を奪われ一眼一足となることで、あやかし達の争いやもめ事の仲裁・解決、あらゆる相談を受ける『知恵の神』、人とあやかしの間をつなぐ巫女となった。15歳の時に九郎と出会い一目惚れし、強引に恋人関係となる。

桜川 九郎《さくらがわ くろう》

琴子同じ大学に通う大学院生。自らの命を懸けて未来を予言する「件《くだん》」と、食すと不死となる「人魚」の肉を、祖母によって食べさせられたため、未来をつかむ力と、死なない身体を持つ。あやかし達から見ると、九郎こそが怪異を超えた怪異であり恐れられている。恋人である琴子を冷たく扱っているように見えるが、彼なりに気遣っているのかもしれない。

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