#1

文字数 2,535文字

「今夜、隣の県の山奥で、一帯のヌシである大蛇と会うことになっているんですが」
 岩永琴子(いわながことこ)は恋人の桜川九郎(さくらがわくろう)にそう話の水を向けた。九郎はさほど奇異なことを耳にしたという反応もなく、手にしている本をめくりながら尋ね返してくる。
「山で大蛇と?」
「はい、山の麓は住民が減るばかりになっている市で、交通は不便でもないんですが、夜ともなるとまるで人気もなさそうで」
 鉄道は一時間に二本くらいは走っているし、山の麓までは最寄り駅から徒歩で向かえなくもない。ただし周辺は民家か畑か果樹園くらいしかないらしく、ひとりでは何かと寂しい道行きになりそうなのである。
「ヌシとは大物みたいだが、また妖怪間のトラブルの仲裁か?」
「そんな大げさな問題じゃあないんですが、会って話した方がよさそうなもので」
 岩永琴子は別に妖怪でも化け物でもない。しかしゆえあって幼い時、妖怪、怪異、あやかし、幽霊、魔とも呼ばれるもの達の争いやもめ事の仲裁や解決、その他あらゆる相談を受ける、いわばそれらの『知恵の神』となったのであった。人とあやかしの間にあってそれをつなぐ巫女と称する時もある。
 その際、神となる証として彼女はあやかし達に右眼と左足を奪われ、一眼一足の身をしていた。普段は義眼と義足をつけているのでよほど近くで見られなければそうとは気づかれず、義足の性能も高いので何の不自由もなく動き回れる。いつも赤色のステッキを手に行動しているが、別になくても困りはしない。
 十月二十五日、月曜日。岩永は九郎と、在籍しているH大学の学生用食堂の一番隅のテーブルについていた。食堂内の時計は午後四時過ぎを指している。岩永はまだ学部生であるが九郎は院生だ。講義で一緒にはならないが、時間の空いた時にキャンパス内で会うくらいはできる。この日も岩永は九郎を捕まえ、講義で提出するレポートの手伝いをしてもらいながら、今夜の予定について切り出したのである。
 食事時ではないからだろう、数多くあるテーブルに人はまばらにしかおらず、岩永達の周囲の席も空いていた。だから妖異なことを気にせず話せるのだが。
 九郎はレポート用紙にペンを動かす岩永へ、あらためてあきれたといった態度で言った。
「岩永、大蛇に会いに行くのは構わないが、お前はあやかし達の知恵の神ではあるけど、これといって目立つ能力がないよな」
「失礼な。あやかし達と言葉を通じ、幽霊であってもその身に触れられるという特異な力を持ってますよ」
 あらゆる怪異と話し、壁も透けて通る霊体にも触れられるというのはそうそうある力ではない。自慢するものではないが、軽んじられる筋合いもない。
「でもそれだけだろう。こう怪力とか空を飛ぶとか御札を駆使して超常現象を起こすとか、最低限怪異の暴力から身を守る物理的、呪術的な力はない。映画や漫画で妖怪や化け物と渡り合う人物は、もっと武や異能に秀で、力をもって魔を制したりしてないか? 妖怪変化の中には素直にお前に従わなかったり、過激な行動に出るものも過去にいただろう」
 確かに岩永は化け物達と意思疎通ができる能力はあるが、それ以外は普通の人間とあまり違いがない。暴力的に襲われたり抵抗されたりの際には無力とも言えるだろう。ただし岩永に協力的なあやかし達も多く、その力を利用すれば対処する手には困らない。またそうなる前に事をおさめるのが岩永のやり方だ。
 それにフィクションの中でだって『妖怪ハンター』と呼ばれる稗田礼二郎は特別な力を持たない考古学者であるが、その知識と行動力で神話級の怪事や天変地異を収束させたりしているではないか。
 岩永は手を止め、年上の恋人の発想を咎める顔を作ってみせた。
「力ずく、というのは野蛮でいけません。昔の偉い人もこう言っています。『話せばわかる』と」
「それ言った人、直後に撃ち殺されていないか?」
 痛いところを衝かれた。
「また他の偉い人は、『非暴力・不服従』を尊ぶと言っています」
「その人も撃ち殺されている憶えがあるぞ?」
「それでも暴力はいい結果を生みません。別の偉い人は『私には夢がある』とも言っています。秩序を重んじ、和を求めるならやはり非暴力が」
「その人も最後、撃ち殺されていないか?」
 偉人の名言で丸め込もうとしたがかえって不利になった。それもみんな揃って銃弾に倒れているのはいかがなものか。
 だが災いを転じて利を得るのも弁論である。
「それほど私が心配なら、九郎先輩が私に足らない部分を埋めてくれればいいんですよ。あなたはあらゆる怪異が恐れる力を持った人でしょう」
 この桜川九郎は二十四歳で、野原で草をはむ山羊のようなぼんやりとした雰囲気の青年であるが、彼もまた幼少期に事情があって、不死の体に加え別の怪異の能力も備える、ある意味人であって人でない身であったりする。岩永が知るかぎり、九郎を恐れない怪異はまずおらず、怪異以上の怪異と言っていいのがこの男なのだ。
「九郎先輩が彼氏として私とともにいれば、妖怪達の抵抗など恐るるに足りません。さあ、先輩のなりなりてなりあまれるところで私のなりあわざるところをぜひ埋めて」
「だから僕がお前の彼氏であるという前提を問題にしたいわけでな」
「つまり私の配偶者になりたいと」
「法的な問題にしたいわけでもないから」
 では何の問題が、と突き詰めようとしたが、時計の針が思ったより進んでいる。無駄話をしていると、レポートを仕上げてヌシに会いに行くのが遅くなってしまう。
「ともかく今夜、大蛇の化け物と会うので一緒に来て下さい。聞くところによるとその大きさは龍のごとくで、人食いとの噂もあるほどだとか」
 実態はどうか知らないが、大きいのは事実だろう。少なくとも岩永の、百五十センチに届かない背丈、四十キロに満たない体重よりは勝っていよう。岩永の年齢は十九歳であるけれど、外見は中学生に間違われかねないほど幼いまま。ヌシの前ではいっそう小さい存在に映りそうだ。
 対して九郎は、岩永の誘いをあっさり断った。
「今夜はダメだ。昼に作った豚汁をゆっくり食べたいから、ひとりで行ってくれ」
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登場人物紹介

岩永 琴子《いわながことこ》

西洋人形めいた美しい女性。だが、幼い顔立ちのため中学生くらいに見えることも。11歳のころに神隠しにあい、あやかし達に右眼と左足を奪われ一眼一足となることで、あやかし達の争いやもめ事の仲裁・解決、あらゆる相談を受ける『知恵の神』、人とあやかしの間をつなぐ巫女となった。15歳の時に九郎と出会い一目惚れし、強引に恋人関係となる。

桜川 九郎《さくらがわ くろう》

琴子同じ大学に通う大学院生。自らの命を懸けて未来を予言する「件《くだん》」と、食すと不死となる「人魚」の肉を、祖母によって食べさせられたため、未来をつかむ力と、死なない身体を持つ。あやかし達から見ると、九郎こそが怪異を超えた怪異であり恐れられている。恋人である琴子を冷たく扱っているように見えるが、彼なりに気遣っているのかもしれない。

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