#8

文字数 2,010文字

 死体の処置は不十分で、逃げも隠れもせず、あっさり警察に捕まり、自供し、けれどそこに噓やごまかしが混ざっているとなれば、まずそれを疑うべきだろう。
「どうやら警察もその可能性を捨て切れていないようです。真犯人、もしくは共犯者がいるのではないかと。夜中、山奥の沼へ男の死体を女性一人で捨てに行くというのはいかにも不自然で、そんな重労働を代わりに行った人物がいたのでは、と誰もが疑うでしょう」
 岩永は豚肉を嚙みしめながら淀みなく語る。
「凶器がいまだ発見されていないのもその心証を補強します。死体と一緒に沼に捨てたなら、だいたい同じ辺りから発見されそうなもの。警察もそうして探しているでしょう。なのにまだ警察は沼をさらっている。なら凶器は谷尾家にあった包丁ではなく、真犯人の個人的な持ち物で、それが凶器とわかると真犯人とつながってしまう刃物なのかもしれません。例えば誰かの形見や限定販売されたもの等です。だから本当の凶器は沼に捨てられていない」
 ヌシはその可能性をまったく考えていなかったのか、ひとつ大きく唸った。
「そうは言っても捕まった女がひとりで死体を沼に運んできましたし、その際も他の人間の気配はありませんでした。凶器を捨てなかったかどうかは自信がありませんが、別に犯人がいるとは考えがたい」
 そこまで言って、岩永の指摘に大きな矛盾があると直感したのか声を高める。
「いや、おひいさま。そもそもおかしいではありませんか。女が共犯者や真犯人を隠したいなら、ますますこの沼まで死体を捨てに来る必然性がない。それどころか女がひとりでここまで死体を捨てに来るわけがないから別に犯人がいる、という連想を生んでしまっている。逆効果でしょう。真犯人をかばうならこんな所まで死体を移動させずとも、素直に自首するだけで済みます」
 ヌシがそれに気づくのは岩永も織り込み済みである。
「いえ、谷尾葵にはここに死体を捨てに来る必然性と利点があったんです。たとえ共犯者の存在が疑われても、ここに捨てることで逆にそのかばいたい人物が真犯人・共犯候補から外れるとなればどうでしょう」
 狐火が煌々と浮かんでいる。岩永はその照り返しを受けながら、ヌシを見上げて微笑んでみせた。
「谷尾葵は前もって被害者から自宅に訪れるとの連絡を受けています。用件は告げられなくとも、嫌な過去につながる相手です。何かあるとは感じられたでしょう。そんな相手とひとりで会うと思います? 誰かに声をかけそうじゃあありませんか?」
「それはそうですが」
「なら被害者と会う際、家に他の誰かが一緒にいても何ら不思議はありません。そしてその一緒にいた誰かが衝動的に被害者を殺してしまった。その人物には将来があるが、谷尾葵は田舎に引きこもり、両親も失って生き甲斐もなく過ごしていた。だから彼女は真犯人をかばうべく行動することにした」
 辻褄が合っているため、ヌシの反論はない。どこか引っ掛かるが、どことはっきりつかめずに逡巡しているとも感じられるが。
「車で谷尾家に来ていた真犯人を彼女は先に帰すと、死体を山奥の沼に運び、落とすことにします。その理由は三つ。ひとつは死体についているかもしれない真犯人の痕跡をできるかぎり消すため。真犯人が被害者と接触した際、どこに髪の毛や皮膚の欠片、指紋をつけたか知れません。そのまま死体が警察の手に渡れば、真犯人と関連するどんな痕跡が見つかるかわからないんです。だから汚れた水に長時間浸かり、体に付着した痕跡が台無しになるであろう山奥の沼に死体を落とすことにした」
 現在の科学捜査なら、数日泥水に浸かっていた死体からでも証拠を採取する特別な方法があるかもしれないが、犯人とされる人物が捕まり、罪を認めていれば、そんな手間もコストもかかる証拠の分析を敢えてするとは思えない。痕跡を潰す方法として沼に浸けるのは無意味ではないだろう。
 岩永はお椀をかき回していた箸を上げ、ヌシに重ねる。
「ふたつ目は真犯人にアリバイを作るためです。警察も女性がひとり山奥に死体を捨てに行くのは不自然だ、と考えます。しかし谷尾葵は早々に真犯人を家に帰しています。山中に死体が捨てられたであろう時間帯、真犯人は別の所にいた、というアリバイが作られるんです」
「アリバイ?」
「犯行時、その人物がその場にいなかった証明ですね。ヌシ様が指摘した『共犯者の存在を疑わせる沼の死体』という状況が逆の意味を持つんです。死体が沼に運ばれたから共犯者がいると考えられました。なら死体を沼に運べない者は共犯者ではない、となりませんか? つまり運んでいない真犯人は捜査の範囲外に弾かれます。加えて警察が谷尾葵ひとりで死体を沼へ運んだと見るなら共犯者の存在を疑うこともない。真犯人をかばうのに十分な工作です」
 ヌシは啞然としたのか、顎を落とすように鋭利な牙の光る口を開けた。
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登場人物紹介

岩永 琴子《いわながことこ》

西洋人形めいた美しい女性。だが、幼い顔立ちのため中学生くらいに見えることも。11歳のころに神隠しにあい、あやかし達に右眼と左足を奪われ一眼一足となることで、あやかし達の争いやもめ事の仲裁・解決、あらゆる相談を受ける『知恵の神』、人とあやかしの間をつなぐ巫女となった。15歳の時に九郎と出会い一目惚れし、強引に恋人関係となる。

桜川 九郎《さくらがわ くろう》

琴子同じ大学に通う大学院生。自らの命を懸けて未来を予言する「件《くだん》」と、食すと不死となる「人魚」の肉を、祖母によって食べさせられたため、未来をつかむ力と、死なない身体を持つ。あやかし達から見ると、九郎こそが怪異を超えた怪異であり恐れられている。恋人である琴子を冷たく扱っているように見えるが、彼なりに気遣っているのかもしれない。

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