#11
文字数 1,808文字
沼の周辺の草や地面に人の手が入った跡が多く見られるのは、死体を引き上げる時についたものもあるだろうが、特に顕著な痕跡は、警察が今日も沼にやってきてその中をさらい、捜索する際についたものだろう。
「現在、警察はこの沼に凶器や被害者の所持品が捨てられたとして捜索を続けています。谷尾葵はそれを狙ってわざわざここまで死体を運んだんです」
岩永は箸に突き刺したおにぎりにかぶりつきながら、またもや啞然としているヌシへ重ねる。
「彼女は過去この沼に何かを捨て、吉原紘男殺害後、それを回収しなくてはならないと考えた。ところが山奥の、この広い沼に沈めたものを彼女ひとりで見つけ出すのはとてもできません。だから警察の力を借りることにした。凶器や被害者の所持品を沼に捨てたと自供すれば、警察は高い確率で沼を捜索するでしょう。その時、彼女の探し物も一緒に見つかるのを期待したんです」
「ではあの女の呟きは」
ヌシもどうやら岩永の示すところを察したらしい。岩永は肯く。
「谷尾葵が見つけて欲しかったのは吉原紘男の死体ではなく、かつて彼女が沼に沈めたもの。かなり前に沼に投げ入れたため、見つかるかどうかは確実ではない。だからそれを警察が『うまく見つけてくれるといいのだけれど』とつい祈りを込めて呟かずにはいられなかったんです」
ヌシは無意識にだろう、跳ねるように沼の方を向いた。
見えている死体にこだわるから呟きが矛盾を起こすと思えるのだ。なら犯人は見えている死体以外のものを見つけて欲しいとすればいい。そして警察はそれ以外のものを探して沼をさらっている。
やがてヌシはまだ信じがたいと主張したげに岩永へ向き直って見下ろしてきた。
「り、理屈はわかります。しかしそれなら死体をわざわざここまで運んで捨てずとも、凶器や所持品だけを捨てに登ってくれば良いのでは? その方が楽ではありませんか。いえ、それどころか凶器などを捨てる必要もない。警察で『沼にそれらを捨てた』と言うだけで、沼はさらわれるでしょう」
「ところがそれだとおかしなことになります。谷尾葵が目的を果たすには、警察が事件を知り、彼女を犯人と考えて逮捕し、沼に凶器等を捨てた、という彼女の自供を聞かねばなりません。ではまずどうやって警察に事件を知ってもらいます?」
ニコリと尋ねた岩永を、ヌシは警戒してか目を細め、慎重な口調で返す。
「まず死体が発見されねば警察は動きますまいな」
「ではどうやって死体を発見してもらいます? いきなり自首しますか? ダメですよ。谷尾葵としては殺人を犯した段階で罪を逃れられるとは考えなかったでしょう。しかし彼女は凶器等を沼に捨てたと警察に言わねばなりません。その行為は犯行の証拠を隠そうとするものです。そして犯行を隠そうとする犯人は自首せず、まず死体を隠そうとしませんか? 少なくとも死体を自分と関わりのない状況に置こうとしませんか?」
ヌシは黙り込んだ。おにぎりをすっかり食べた岩永は、豚汁も片付けるべくお椀に口をつけて傾け、それから巨大な影を彼女に落とし、夜をより暗くする蛇の化け物に言って聞かせる。
「谷尾葵は死体を発見してもらい、自分が犯人と気づいてもらわねばならない。けれど同時に、彼女が死体を適切に処理しようとしたと警察に考えてもらわねばならないんです。それには沼に運んで落とすのが一番でした。死体を沼に運んだついでに凶器等を一緒に捨てた、というのは自然です。さらに沼に棲む大蛇に死体を食べてもらおうとした、という説明で『死体を隠そうとした』という意図を警察に伝えられます。またその証言が正気を疑うものなので、他の彼女の自供が正しいかを確認するため、警察にはいっそう沼から凶器等を見つける必要性が生まれ、捜索がより熱心に行われます」
岩永は空にしたお椀で沼を示す。
「わざわざこの沼に死体を捨てるのにはこれだけ利点があるんです。当然彼女はその日曜に誰かがキノコ狩りに山へ登り、沼のそばを通ると聞き知っていました。近所付き合いをしていれば、そんな動向も耳にするでしょう。絶対ではありませんが、沼に死体を捨てれば近いうちに発見されるだろうと踏めます」
風が回り、ざわざわと木々が鳴る。沼の水面に波が立つ。岩永の前には巨大な蛇体が壁となって冷えた空気は流れてこない。その蛇の化け物はじっと口を閉じ、反論を探しているよう。
「現在、警察はこの沼に凶器や被害者の所持品が捨てられたとして捜索を続けています。谷尾葵はそれを狙ってわざわざここまで死体を運んだんです」
岩永は箸に突き刺したおにぎりにかぶりつきながら、またもや啞然としているヌシへ重ねる。
「彼女は過去この沼に何かを捨て、吉原紘男殺害後、それを回収しなくてはならないと考えた。ところが山奥の、この広い沼に沈めたものを彼女ひとりで見つけ出すのはとてもできません。だから警察の力を借りることにした。凶器や被害者の所持品を沼に捨てたと自供すれば、警察は高い確率で沼を捜索するでしょう。その時、彼女の探し物も一緒に見つかるのを期待したんです」
「ではあの女の呟きは」
ヌシもどうやら岩永の示すところを察したらしい。岩永は肯く。
「谷尾葵が見つけて欲しかったのは吉原紘男の死体ではなく、かつて彼女が沼に沈めたもの。かなり前に沼に投げ入れたため、見つかるかどうかは確実ではない。だからそれを警察が『うまく見つけてくれるといいのだけれど』とつい祈りを込めて呟かずにはいられなかったんです」
ヌシは無意識にだろう、跳ねるように沼の方を向いた。
見えている死体にこだわるから呟きが矛盾を起こすと思えるのだ。なら犯人は見えている死体以外のものを見つけて欲しいとすればいい。そして警察はそれ以外のものを探して沼をさらっている。
やがてヌシはまだ信じがたいと主張したげに岩永へ向き直って見下ろしてきた。
「り、理屈はわかります。しかしそれなら死体をわざわざここまで運んで捨てずとも、凶器や所持品だけを捨てに登ってくれば良いのでは? その方が楽ではありませんか。いえ、それどころか凶器などを捨てる必要もない。警察で『沼にそれらを捨てた』と言うだけで、沼はさらわれるでしょう」
「ところがそれだとおかしなことになります。谷尾葵が目的を果たすには、警察が事件を知り、彼女を犯人と考えて逮捕し、沼に凶器等を捨てた、という彼女の自供を聞かねばなりません。ではまずどうやって警察に事件を知ってもらいます?」
ニコリと尋ねた岩永を、ヌシは警戒してか目を細め、慎重な口調で返す。
「まず死体が発見されねば警察は動きますまいな」
「ではどうやって死体を発見してもらいます? いきなり自首しますか? ダメですよ。谷尾葵としては殺人を犯した段階で罪を逃れられるとは考えなかったでしょう。しかし彼女は凶器等を沼に捨てたと警察に言わねばなりません。その行為は犯行の証拠を隠そうとするものです。そして犯行を隠そうとする犯人は自首せず、まず死体を隠そうとしませんか? 少なくとも死体を自分と関わりのない状況に置こうとしませんか?」
ヌシは黙り込んだ。おにぎりをすっかり食べた岩永は、豚汁も片付けるべくお椀に口をつけて傾け、それから巨大な影を彼女に落とし、夜をより暗くする蛇の化け物に言って聞かせる。
「谷尾葵は死体を発見してもらい、自分が犯人と気づいてもらわねばならない。けれど同時に、彼女が死体を適切に処理しようとしたと警察に考えてもらわねばならないんです。それには沼に運んで落とすのが一番でした。死体を沼に運んだついでに凶器等を一緒に捨てた、というのは自然です。さらに沼に棲む大蛇に死体を食べてもらおうとした、という説明で『死体を隠そうとした』という意図を警察に伝えられます。またその証言が正気を疑うものなので、他の彼女の自供が正しいかを確認するため、警察にはいっそう沼から凶器等を見つける必要性が生まれ、捜索がより熱心に行われます」
岩永は空にしたお椀で沼を示す。
「わざわざこの沼に死体を捨てるのにはこれだけ利点があるんです。当然彼女はその日曜に誰かがキノコ狩りに山へ登り、沼のそばを通ると聞き知っていました。近所付き合いをしていれば、そんな動向も耳にするでしょう。絶対ではありませんが、沼に死体を捨てれば近いうちに発見されるだろうと踏めます」
風が回り、ざわざわと木々が鳴る。沼の水面に波が立つ。岩永の前には巨大な蛇体が壁となって冷えた空気は流れてこない。その蛇の化け物はじっと口を閉じ、反論を探しているよう。