02 暴走

文字数 5,135文字

 四十川たちが迷い込んだ斉京大学。そこから数キロも行けば青々とした山々がそびえ、そこへ街からの幹線道路がいくつか伸びている。
 道路を山へ山へと進んで行けば次第に住宅も建物もなくなってゆき、そばを流れる川とどこか人の手を感じる里山がただただ続いている。折からの雨で水量を増した川はとある地点で弧を描き、そこに不意に、道路に沿った、無愛想で無機質な四階建てが現れる。
 窓ガラスはそこかしこが割られ、ぼろぼろのアスファルトが広がる駐車場の隅には、泥にまみれ元の色もよく分からない軽トラックが放置されている。道路から入ろうものならば立ち入り禁止の看板が道をふさぎ、瓦礫とゴミが散らばる玄関の前では同じような看板が地面を拝んでいる。
 ここは十数年の昔まではホテルであったが、山を抜ける新しい道の開通とともに客足は途絶えてゆき、しまいには誰もいなくなってしまった。時折不良などが訪れ好き放題をやっていたが、そのうちにどういうわけか、いやこういう場所にはありがちな展開か、幽霊が出るという噂が立ち心霊スポットへと変貌していった。

 東観光ホテル、かつてそう呼ばれた廃墟の中で、暗がりの中男が退屈そうに小説を読んでいる。周りには無数の煙草の吸い殻、割れたガラス、花火の燃えカスなどが散らばり、コンクリートがむきだしになってしまった壁にはスプレーでよく分からない落書きがされている。

 もう一人の男が彼に近づいて行く。その黒いロングコートを身に着け、曇天の屋外の光などろくに届かないその場所ではすぐに見失いそうなほどだ。
 闇に融け込むかのようなその男が傍まで寄ると、もう一人の男はゆっくりとその顔を上げた。

「……おや、お早いですねアイゼンフスキさん……」

 男は黒いコートの男にそう言うと、再び小説へと目をやった。その目は文字を追っているのか、闇に溶け込むそのマスクでは分からない。そしてこうも続けた。

「何故、ワタシを……? ワタシはアナタを一度、殺す寸前まで追いやったのデスよ……」

 そう言うと男はアマナムへと姿を変えた。暗がりの中でその輪郭は良く見えない。

「……私はこれからどうすればいいのか分からない。そこでアマナムでも知能のありそうな貴様を、そばに置いておけば役立つと思ったのでね……」

 そう言われたアマナムは持っていた小説を花火の残骸の中へと投げ捨てた。そして「いいご身分だ」と言いながら立ち上がった。

「……フン。嫌なら私のもとを去ればどうだ」
 コートの男は言う。その金色の髪は、男のその暗闇に溶け込みそうな外見の中そこだけ浮かび上がるようだ。

「……まあそれは置いておくとして。ところで気づいていますか? 建物の外からアマトが迫っていマスよ……」

「何……?」
 アイゼンフスキと呼ばれた男はガラスのない窓から身を乗り出し外を見渡した。小雨の中そばの道路には車もおらず、川の音が響くだけで人の気配などは感じられない。

「……本当にアマトがこちらへ近づいているというのか?」

「ええ本当ですよ。ココは心霊スポットだ。おおかた幽霊でも探しに来たのでは?」
 アマナムは笑顔など見えないマスクでクックと笑う。

「……フ、成程貴様らは便利だな。敵の位置が分かるとは」
 アイゼンフスキはそう言うとコートからライターを取り出しタバコに火をつけた。タバコの臭いは嫌いですよ、とアマナムは言う。

「しかし、一体何をしに来たのやら……。我々アマナムと違い、向こうが我々の気配を察知するのは不可能なハズですが……」

「……まあ、とりあえずは迎えてみるさ。アマトならまず、私に危害を加えることはないだろうからな……」
 そう言うとアイゼンフスキは入口の方へと歩いて行く。

「果たして必ずしも、そういうモノでしょうかねえ……」

 アマナムはそう言うと再び人間の姿へと戻り、コンクリートの床の上に積んである小説を拾い上げた。そしてそれをまたすぐに閉じると、花火の燃えカスの中へと投げ込んだ。

 
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「金よこせや!」

「なんでやクソデカチチ! 自分で何とかせい!」

 天音の話が終わると、また二人がけんかを始めた。
 四十川曰く、金は持ってきているがこんな世界じゃ使えない。とりあえず手っ取り早く緋仙道が寄こせという事だった。寄こせはともかく、確かにお金は紙くずとただの金属の小さな円盤だなあと秋も途方に暮れた。

「てめーあたしのスルメイカ食ったろそれにビールも! 貴重な2019年の史料に何してくれるんじゃ! 100マンエン払えやあ!」

「うっさいわボケ! そのへんで野たれ死んどけやカスゥ!」

「あぁん!? ロクにねえチチもぐぞコラ!」

「……あ、あの、ケンカはその辺で……」

 天音がいがみ合いを止め、とりあえず今後どうするかという話になった。
 とりあえず腹が減ったと酒もツマミも口に入れまくっていた四十川が言った。ならば私が夜ご飯を作りますよ、と天音が言うとそりゃあイイと四十川も言う。そしてそれまでヒマなので、この見知らぬ世界の、日の落ちた夜の街でも歩いてみたいという話になった。

「でもなあアンタ、そのカッコで街歩くんか?」
「モンクあっか貧乳金髪ぅ!」
 緋仙道は四十川の位置の高い尻をツンツンしながらそう指摘した。
 そのおかげで四十川は、RXに銃で撃たれたときの、銃弾が深く刺さった傷がすっかり消えているのに気付いた。そしてアマナムとの戦いの際の傷もすっかり消えている。アマトの身体の凄さに改めて驚かされるのだった。

「あー確かになあ……」
 
 そう言った瞬間、朱いオーラに包まれ四十川の身体は元へと戻った。
 そしてあらわれる一糸まとわぬ四十川の裸体。戦いの前、服の下から変身してしまった際にその服をすべて破り去ってしまったのがあだとなった。

「……あ」

 四十川は隠しもせずそう呟いた。
 真正面で呆気にとられる緋仙道、前のめりになる秋、真後ろで見えない字浪。天音の落としたペンの音がカランと響いた。

「……おいチビ、あたしのコート持ってたろ。取ってくれ」

「……あ、はい……」

 秋は目を瞑りながらそれを手渡した。四十川は素肌の上からそれを着る。あちいなあ、と呟いた。

「……あ、アマトっちゅうんはメンドウなんやな。イチイチ服がなくなるんか……」

「……いや? あの黒いヤツはそんな事なかったぞ?」

「……そ、そうなんか。まあとりあえず街にでも行こか……」

 
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 黒いアマトたるアイゼンフスキが廃墟ホテルの玄関まで行くと、小雨の中、傘も差さず歩いてくる男が見えた。アイゼンフスキ同様185を超える高い身長と、Tシャツの下、まるでボディビルダーかの様な迫力の筋肉が印象的だ。短くの栗色の髪の毛に頬の傷。アイゼンフスキは歩いてくる彼のその姿を見て思い出した。こいつには見覚えがある。

「アドルフ! 貴様なぜここに!」

「……」

 アドルフと呼ばれた筋骨隆々のその男は、しかし何も言わず立ち止まった。
 アイゼンフスキはドイツで、このアドルフとかつて、同じアマトとして交流があったのだ。
 一緒にアマナムを倒したこともあった。そして彼らの周りのアマナムが減って来ると、正義感に溢れていたアドルフはアマナムに苦しむ者を救うため、別天地へと旅立っていったのだ。

「……アンジェイ、かつて俺はお前と一緒に戦ったな……。同じアマトとして」

 アドルフはアイゼンフスキを下の名で呼ぶと、次の瞬間まるで特殊部隊の兵士の様な姿のアマトへと変身した。そしてアマトの印たる右手の石はまるで貫通しているかのように、手の甲とそして手の平にそれはあり、そして、それは怪しく黒く光を放っていた。

「……何だアドルフ! ……その手の石は!」

 アイゼンフスキはアマトと化したアドルフの右手を見てそう言う。彼はこれと同じものを見たことがある。アマトの“暴走”と呼ばれる状態――
―――――――
―――――
―――
――普通アマトというのは、姿形は様々あれど右の手の甲に黒く鈍く光る石が埋め込まれているな。その大きさは個体により多少差があるがな。ちなみに俺のはゴルフボールくらいだな。アンジェイ、お前のより大きいぞ。
 ……まあそれは置いといてな、暴走状態のアマトってのはな、手の甲だけでなく手の平にも黒い石がある…… そうまるで手の甲から手の平まで貫通しているみたいにな。
 しかもそれは、いつもみたいに鈍く光を反射するんじゃなく、磨かれたかのようにツルツルして、それでもって、有り得ない事なんだけどな、その石自身が黒い光を発するんだな。自分で。
―――――――
―――――
―――
「……くそ!」
 アイゼンフスキは思い出していた。眼前で己と戦おうとしている男、アドルフがかつて自分に話した、アマトの“暴走”について。

 アイゼンフスキもすぐさま黒い騎士のような姿のアマトへと変身した。だがアドルフの、余りにも力強い拳で吹っ飛ばされるとコンクリートの壁に叩きつけられ、散らばるガラスの上へとずり落ちた。

「……どうしました! ……!」

 男も玄関を出ると、瞬時に事を察知しアマナムへと姿を変えた。そしてアドルフが変身したアマトへと向かっていったが、すぐに地面へ叩きつけられてしまう。

「……アマナムまでいるとはな。丁度いい。まとめて倒してやるかな!」

 アドルフはアマナムをアイゼンフスキが倒れている方へと投げる。アマナムは着地し、その場にうずくまるアイゼンフスキを起こした。

「……大変なコトになりましたねアイゼンフスキさん……」

「……ま、まさかあのアドルフが……」

「ええ、“覚醒”でしょう。……いいえ、あなた方は暴走と呼んでいましたかね……」

 戦いが始まった。
 暴走か覚醒か、アドルフは2人がかりのアイゼンフスキとアマナムを簡単にねじ伏せてしまう。最もアイゼンフスキは、積極的に戦ってはいない。

「……やめろアドルフ! なぜ同じアマトを攻撃する!」

「……気づいたんだよな。アマナムは倒さなければならない。そしてアマトもな……」

 やはりか……。アイゼンフスキは壁に叩きつけられながらそう思った。
 暴走状態となったアマトは、アマナムはおろかアマトすら襲う。そしてアマトを察知する能力まで得る。かつてそう聞いた事もあった。そう彼、アドルフ自身から。

「……アイゼンフスキさん! これはマズい! 引きましょう!」

「……ク、仕方ないか……」

 アドルフにろくにダメージすら与えられない二人は、しかしアドルフにはスピードが無い事から逃げるのは可能だと考えた。
 しかしそこに唐突に、朱い身体に朱いマントを羽織った、両手に石を持つアマトが舞い降りた。

「……! あなたは!」

 アイゼンフスキはその姿に見覚えがある。自分の傷を癒しそして能力を教えてくれた、あの女だ。

「……フン、暴走か。これだから、アマトというものは……」

 彼女は信じられぬスピードでアドルフの後ろへ回り込むと、長い脚からの蹴りでアドルフを吹っ飛ばし、そして吹っ飛ばされた彼のその先へ回り込むと再び蹴りを入れ吹っ飛ばす。それを繰り返され、やがてアドルフは倒れた。すると彼女は興味もなさそうにアイゼンフスキの方へとゆっくりと歩きだした。
 ……戦いの次元が違う。アイゼンフスキはそう思った。

「……何だお前は! ……す、すぐに潰してやるからな!」

 アドルフは起き上がると、彼女の背後から力強く走り寄った。すると何故か地面に左手を叩き込む女アマト。すると彼女の周りその3㍍ほどに円形の衝撃波が走った。
 アドルフは、彼女に触れる事すらできずその場に倒れた。

 そして彼女はアイゼンフスキに寄ると、周りに聞こえぬほど小さく
「これがアマトだ。アマトすらアマトの敵だ。わかるな……」
と囁いた。

「……! ど、どういう意味だ!」

「……フ、その意味をよく考えるのだ……」
 
 そう言うと次の瞬間、彼女はその場から霞のように姿を消した。

「……あ、あのアマトは……?」

 アマナムは何が起きたか分からず、ただ驚くばかりだ。

 そしてアイゼンフスキは、彼女がささやいたその言葉の意味を考えていた。
 自分の敵は、自分がやるべきことは、いったい何なのか、と――
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