1 大学の片隅

文字数 4,669文字

 正門から望むのは大きなクスノキ、そしてその後ろには雄大な時計台。その周りでは学生や講師たちが冬の格好に身を包み歩いている。
 ここ日本セントラル大学は日本で唯一、特撮VFX学部という特殊な学部を設置している。そして彼女四十川一(あいかわまこと)は、そのヒーロー学科に通う日本一ヒーローにあこがれる学生なのだ。
 正門をくぐり、寒そうな格好の警備員の横を歩く、まさに変身ヒーローの格好をした男に四十川は声をかけた。――よお、今日は撮影かい? と。すると彼は言う。――いいえ、ただ講義を受けに来たんですけど、この季節ならこの格好でも暑くないですからね。ヒーローの心構えですよ、と――


 ……だったらいいな、と四十川は思った。
 もちろんそんな事はあるはずもない。四十川はキャンパスの細い通路をひたすら歩き続け人気のない一角にたどり着くと、茂みの中にたたずむ古びた小さな建物の前で足を止めた。
 そこは「変身ヒーロー研究会」という看板が掲げられたプレハブ小屋だ。彼女はきしんだ音を立てる玄関口のドアを開け中に入っていく。
 壁にはヒーローのマスク、変身ベルト、そして数々のヒーローたちのポスターが煌めいている。
 ヒーローたちのサインで埋め尽くされた壁を背に、部屋の隅にはあのライダーのバイクが置いてある。赤く輝く流線型のデザインはいつも四十川の心を潤してくれる。
 おっと、小屋の外にも数々のヒーローたちを彩ったバイクが敢然と停めてあるぞ。よく見れば人間大の怪獣の置物や素人が作ったジオラマセット、変身ヒーローのコスプレをした部員等もその周りに散らばっている。この何でもアリ感が四十川は好きで、ここに来ると心底心が癒されるのだ。

 ……という事もある訳はない。
 四十川はキャンパスの隅、高度成長の頃建てられたであろう、白い壁がくすみにくすんだ、無機質な部室棟へ足を踏み入れた。廊下では立て看板やわけのわからない私物たちがごろごろしている。邪魔なんじゃ! そう思いながら彼女はロングブーツの似合う長い脚でそれを乱暴にどけ、とある部室への扉を開けた。

――大丈夫! 俺にヒーローの資格があるなら!
――変……身!

 中へ入ると、使い古されたブラウン管のビデオで特撮ヒーローが流れている。
 21世紀に入って20年も経とうというのにいまだにブラウン管かよ。四十川はいつも思う。ビデオは流れ続ける。

――貴様らなんかに! 人々の営みを壊させるものか!
――俺たちが戦う! 戦う事の出来ない、全ての人のために!

 平和とは美しい。
 だが同時に、戦うという事も美しいのかもしれない。
 ――なんて四十川は思った。

 2019年。大学は、世の中は平和そのものだ。
 でもなんかつまんねえよなあ? 四十川は少し不謹慎な事を考えてしまう。
 ビデオを見ていた2人は、四十川を見るとコンチワと声をかけた。
 四十川もウッスと返す。

「――いやーやっぱいいね。熱さだよ熱さ。やっぱり特撮のヒーローってのは、こーじゃないと。」

 四十川は腕組をしながらそう言った。大きな胸はその腕に乗っかっている。そうですね、とビデオを見ていた秋は答えた。

「ちょっとあんたたち? またそんなもの見て! ここはSF研究会よ! カンケー無いモノ見るなら出ていきなさい!」

 部長である緋仙道(あかせんどう)がいつも通りうなっている。
 彼女はリモコンを手に取ると、テープの取り出しボタンを押した。しかし、画面上のヒーローは消えても、テープは出てこない。

「あ、あれ? 何で出てこないのよ!?」

 緋仙道(あかせんどう)は何度もボタンを押す。ビデオデッキは悲痛な音をあげている。

「おいコラ年増、アンタまーたやりやがったな。テメーがかまうとすぐテープ出なくなるんだから。どんだけ不器用なんだビックリだぜ」
 
 四十川はそう言いながらビデオデッキを叩いた。彼女はこういう場合、だいたい叩いて直そうとするのだ。

「器用とか不器用とか関係ないでしょう! 大体あなたの方が年上よっ」

「あーあーテープが中で絡まっとるんだ。どーしてくれんだよ」

「か、絡まるってどういうことよ?」

「あんたその見た目でビデオテープも知らんのか? 世も末だねえ」
 
 四十川はデッキを叩き続けた。すると苦しそうな音を立てながら、何度も再生されラベルがかすれて見えなくなったテープが顔を出した。

「なんだ、出てきたじゃない」

「確かに出てきたけどよ、中で引っかかったりするとテープが痛むんだぞ。映像が歪んだらどうすんだコラ」

「痛む? 歪む? ……何でよ?」

「あーあーそんな事も分からん年増はどっかいけって」

 緋仙道をあっかんベーと威嚇で追い払うと、四十川はビデオを持ち主の秋に手渡した。

「またケンカして。お約束ですね」

 秋はビデオをテーブルに置くとそう言った。少年のようなそのまなざしに、四十川も少し笑顔になる。

「お約束ってのはダイジだかんな。アニメとか特撮にはよくあること」

「でもさっきのだと、センパイの方がワルモノみたいでしたよ。怪人爆乳ポニーテールってトコですか」

 秋は屈託ない笑顔で言う。彼は四十川とは歳の離れた幼馴染だが、何故だか今では敬語で、それもセンパイと呼ぶのだ。
 ちなみに身長は四十川よりかなり低く、彼女と並ぶと姉弟にしか見えない。それ故何処へ行っても小学生か中学生に間違われる可愛そうな男の子だが、まだ10代なので成長すると本人は信じている。

「いーや、アイツが妖怪ズン胴厚化粧ってトコだな」

 四十川は足を組みながら言う。身長177㌢、おまけに股下91㌢の彼女がロングブーツ姿で脚を組むその姿は圧巻だ。
 ちなみに幼馴染の秋とは8歳くらい歳が離れていたりする。

「して四十川氏、このデザインなどイカガですかな?」

 秋と四十川に割って入るように、二人と一緒に特撮ビデオを見ていた字浪(あざなみ)が四十川に2つのデザインを手渡した。

「なんだこりゃ?」

 字浪が四十川に手渡したのは2枚の絵だった。1つ目は長身で胸の大きなポニーテールの女性が、朱色のボディスーツの様なものをまとっているデザインだ。髪は風になびき、左手を天高く掲げている。
 2つ目は1つ目と似ているが、体の各部に装甲やアーマーの様なものが付いており、頭部も黒い仮面に覆われている。だが、やはり仮面から出た髪は風になびいている。

「コレはですな、ワタクシが昨日徹夜同然でデザインしたモノでして。もちろんモデルは四十川氏、アナタですぞ。」

 字浪はダテの黒縁メガネをクイクイしながら得意げに言っている。彼は自分で変身ヒーローをデザインしたりもするが、もちろんサークル内では秋と四十川意外に需要は無い、というか二人にもあまり需要は無い。

「ふーん。で、これがどうした?」

「モチロン、学園祭か何かで着ていただいて……」

「いや誰がこんなもん造るんだよ!」

 四十川はそう言って字浪をポカリと殴ると、思いついたように立ち上がり机に置いてある、これまたラベルがかすれたビデオテープを得意げに掲げた。

「そうだ、3人で酒でも買ってこようぜ。そんで飲みながら今度はこっち見るぞ!」

「おお、いいですねセンパイ」
「流石四十川氏。買ってきましょう!」

 秋と字浪もノリノリで賛成する。

「よっしゃ! いっちょ行ってくっかー!」

 四十川がスキップで部室を出ようとすると、他の部員と話していた緋仙道がまたも立ちはだかった。

「ちょっと! また部室内で酒飲む気? 部室棟は飲酒禁止でしょーが!」

「そうか。そいつはすげーや」

 言いながら3人は気にも留めず部室を出ていってしまう。

「こらー規律は守りなさい! あと特撮のフィギュアとか買って来るんじゃないわよ! あんた達のせいでこのSF研究会は特撮グッズだらけなんだから!」

 扉から顔を出し廊下の三人に向かって緋仙道はそう叫び、四十川は走りながら中指を立てた。秋も字浪も他の部員も、一種のプロレスか何かだと思って二人を生温かく見守っている。本気で罵り合っているわけではない。正直四十川自身もこのノリが好きなのだった。


「おいハゲ。あんたチャリねーのかよ」

 体育館の横、乱雑に自転車が散らばるアスファルトの上で四十川が言った。基本彼女は他人を名前で呼ばず、蔑称で呼ぶ。
 ちなみに字浪にはハゲ、秋にはチビ、部長の緋仙道に対しては年増と呼んでいた。

「ワタクシは電車で通っているので…… 歩いて行きませぬか?」

 自転車で酒を買ってこようとした3人だったが、生憎字浪は自転車を持っていない。仕方がないので四十川はその辺の自転車を借りることにした。

「あ、これクソ部長のチャリだぜ。借りてこうや」
「いや鍵かかってますよ……」

 秋の言う通りその自転車にはダイヤル式のカギがかかっており、999ときて最後の1ケタが8と7の間でぶら下がっていた。そこで四十川は最後の1ケタをチョチョイといじった。

「こんなんどうせ9999とかだろ!」

 四十川が9999に合せると、ダイヤルロックはカチリと空いた。秋が呆れる中、四十川はそれをその辺に捨ててしまう。

「ちょっと! 部長が見たら起こりますよ!」
「だいじょーぶバレないって!」

 勝手に借りた緋仙道の自転車には字浪を乗せ、そして四十川は来ていたコートを邪魔だからと秋に押し付け颯爽と自転車を漕ぎ、着いた先の激安スーパーで3人は酒やらツマミやらを買いまくった。
 店を出るころには、冬の季節とあって既に辺りは既に暗くなっていた。

 歩きながらふと、四十川は空を見た。
 するとそこにはまるで、何かを祝福するような、それでいてどこか、何かの終わりを告げるようでもあるような、何とも言えぬ深い蒼色の空が広がっていた。
 四十川は何か、妙な事が起こるような、そんな胸騒ぎを感じた。それと同時に、平和な日常をぶち破る何かが起こる、そんな事も感じてしまった。
 彼女は、どこか少年の心を持っているのだ。

「オーイ。荷物重いし、チャリ引いてこうぜ!」

 そう言ったのは四十川。いつもなら字浪辺りに荷物を押し付け、自分はさっさと帰る彼女なのだが今日はどうも妙だ。などと男二人は思いながらも、3人で自転車を押しながらいつものように他愛もない話が始まる。
 特撮ヒーローの話、大学の話、サークルの話。大学前の並木道で年齢もばらばらの大学生が馬鹿話に花を咲かせていると、四十川は何か妙なものを感じ周りを見渡した。
 どういう訳か、まるで人の気配がないのだ。
 珍しいこともあるものだ、そう思い四十川は秋の方を見た。すると秋は、今歩いてきた歩道の後ろの方を見つめていた。

「どうした? チビ?」

「センパイ、あれ……」

 秋が指差した彼女たちの後方20㍍ほどの場所。
 そこが何やら白く、どこか不気味に光っているのを四十川は確かに見た。

「なんでしょう? アレ……」

 秋はなんだか、ボーッとした様子で光の方を見ている。四十川も今一度それを見た。夜も間近の薄暗がり、風に揺れて枯れ楓の葉が落ち光がそれを包んだ。
 何だかおもしろそうだ。どこか得体のしれぬものを感じながら、胸が高鳴るのを感じる四十川だった。

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