第46話

文字数 1,677文字

 *


 熟睡できないうちに、朝が来た。
 ジェイムズの声で目ざめる。

「おはよう。ワレサ。今日も旅日和だぞ」
「……あんたはいいな。能天気で。おれはよく寝られなかった。なんだか夜通し、うるさくなかったか?」

「そうだったか? 君は昔の知りあいに会うから、神経がたかぶってるんじゃないか?」
「そうじゃない。あんたが無神経すぎるんだ。誰かが夜逃げでもキメてたんじゃないかってほどの騒音だった」
「まあ、すんだことさ。今日はまず湖畔へもどり、それから南下したほうがいいだろうな。大きな道のほうが迷わない」

 つかのま、ワレスはジェイムズのおおらかさを、枕に顔をうずめて罵った。

 ジェイムズは容赦ない。
「さあ、出発しよう。片道、四、五日なら、今日あたり到着だろう? ワレサ」

 ワレスはあきらめて、枕から顔をあげる。

「前から言おうと思ってたんだが、その呼びかた、やめてくれないか。おれは昔の名前はすてたんだ」
「でも、私にとっては、君は学生時代からの友人のワレサレスなわけで……」
「ワレス。そう呼べないなら、皇都へ帰れ」
「……わかったよ」

 ジェイムズは叱られた子犬みたいな悲しげな目つきになった。
 朝から、しんきくさい——と思っていたとき。
 悲鳴が聞こえた。
 急いで、ろうかへ出る。
 ほかの部屋のドアも次々ひらいた。泊まり客たちが競うように顔をだす。

「どうしたんだ?」
「何かあったのか?」
 口々に言いつつ、回廊の手すりをかこむ。

 ワレスも手すりのところから、あたりを見まわした。
 そして、気づいた。
 向かいのブロンテの部屋だけ、いつまでたっても誰も出てこない。

「ジェイムズ。あの部屋だ」
「ああ」

 ジェイムズと二人で、ブロンテの部屋の戸口までかけつける。
 ドアは半びらきになっていた。
 入口に宿のあるじが尻もちをついて、すわりこんでいる。

「おい。どうした?」

 話しかけるが、あるじは室内を指さすばかりだ。
 その指のさきを目で追っていく。なるほど。これは素人では、声も出なくなるはずだ。

 ブロンテが死んでいる。
 それも、ただ死んでいるのではない。とても妙なカッコで死んでいる。
 全裸なのは、まあ、よしとしよう。服をぬいで寝るクセの人間もいるだろう。
 それにしても、脂肪のだぶついた体に何本もロープが巻きついている。そのロープで、天井の梁から中途半端につりさげられていた。なさけない、あやつり人形だ。

 首にもロープがからんでる。だが、そのせいで死んだのかどうかは定かでない。というのも、左胸にはナイフが突き刺さっていたからだ。出血があまりないのは、刃が見えないほど深く刺さった凶器がフタになったからだろう。

 ワレスが死体を見なれている。しかし、これほど個性的なのは、さすがに初めてだ。
 圧倒されていると、背後で口笛が聞こえた。あのチンピラ風の男が、うしろに立っている。

「こりゃまた、派手にやったな」と言って、ワレスの肩をたたくのは、なんだというのか?

 ワレスは男を無視して、あるじをふりかえった。
「役人を呼ぶしかないな。どう見ても手遅れだ」

 あるじは腰をぬかしていた。が、何度もうなずいて、ひざをガクガクさせながら立ちあがった。
 戸口のチェストの上に置かれた盆をつかんでかけだす。盆には水差しとコップがのっていた。

 勝手に犯行現場のものを持ちだすのは、よくないのではないだろうか。
 でも、まあ、おれには関係ない。

 あまり良心的ではない市民のワレスは、犯行現場の保存にも、事件の解決にも興味がない。
 宿のあるじの混乱した行動を見逃したうえ、さらにはジェイムズに対して、こう提言した。

「役人が来る前に発ってしまおう。まきこまれると面倒だ」

 だが、ジェイムズは、ワレスの不誠実を補ってあまりあるほど模範的な市民である。しかも、ジェイムズ自身、役所側の人間だ。

「それはいけない。人が殺されたんだ。私たちも調べに協力しよう」
「ああ……」

 この「ああ」は、ああ、納得したの意味ではない。詠嘆の「ああ」だ。

(クソ。こんなやつ、つれてくるんじゃなかった)

 ワレスは頭をかかえて、後悔の声をしぼりだした。
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