第21話
文字数 3,671文字
ワレスがまず探したのは、ユリエルの母だ。
早朝だから眠っていたら会えないところだった。
が、息子にとって大事な一日だ。気にかかるのか、すでに起きていた。
落ちつかなげに玄関ホールをウロウロしながら、小間使いに朝のリンナールを一杯、運ぶよう命じていた。
「おはようございます」
ワレスがホールへ続く階段をおり、声をかけると、ユリエルの母アウリナは、少しあとずさって距離をおいた。
賢明な人妻の態度だ。ジゴロとかかわりあいになるのは、さけるにこしたことはない。それも、まだ家人の目のさめない早朝、二人きりのときには。
「おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?」
アウリナは遠慮がちにたずねてきた。
「お香をたかれているのかな? とてもよい香りがしました」
「あら、そうですか?」
アウリナは首をかしげている。
もしや、アウリナは知らないのだろうか?
ユリエルの寝室に香がたかれている。おそらくは毎晩に近いほど、ひんぱんに。それを母親が知らないはずはないと思ったのだが。
しかし、演技かもしれない。もう少し、さぐってみる。
「ところで、一度、聞いておきたかったのですが、ユリエルが前世の話をしだしたのは、いつごろからですか?」
「言葉を話すようになったころには、もうその片鱗が見られました。ときどき、教えたはずのない単語をしゃべりました。伯爵と最初にあの子が言ったのは三さいだったと思います」
「そのころ、ユリエルは眠るとき、あなたと同じ部屋でしたか?」
「わたしの体が弱かったものですから、子ども部屋で乳母といっしょに眠っていました」
「その乳母は今も、この屋敷にいますか?」
「気立てのいい人だったので、ずっと子守役をしてくれないかと頼んだのですけど、断られてしまいました。今はわたしの実家で料理女をしています」
実家か。それは都合がいい。
「なんという女です?」
「タバサです」
「なるほど。タバサね。ところで、タバサは、なぜ子守役を断ったのですか?」
すると、アウリナは笑った。
「いい人なんだけど、ちょっと変わっていました。ユリエルの部屋に毎晩、オバケが出るというんですよ。あんまり、おびえるので、見張りをつけましたが、別に何も起こりませんでした。とくべつに怖がりだったのでしょうね」
「それは興味深い話ですね」
「そうですか?」
「ところで、あなたのご実家はどのあたりです? タバサに話を聞いてみたいのですが」
「オバケの話をですか?」
アウリナが笑うので、ワレスは確信した。この人は何も真相を知らないのだと。
「ええ、まあ、そんなところです」
「同じ町のなかですから、すぐに行けますわ」
アウリナは道順を教えてくれた。
徒歩でも行ける距離だ。
アウリナは大店から大店へ嫁入りしたから、住居は結婚しても同じ屋敷街のなかだ。大きな通りを二つ南下するだけだった。
ワレスは信用を得るために、馬でアウリナの実家へむかった。徒歩で行くより体裁がいい。
アウリナの実家は織物屋だった。こちらも大きな屋敷だ。商工議会所がすぐ近くにある。町のなかでは一、二の名家のようだ。一階は店舗になっていた。
街灯に馬の手綱をむすび、ワレスがなかへ入ると、使用人が声をかけてくる。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
「悪いが買い物じゃないんだ。アウリナさんの紹介で、彼女の両親と話がしたい。ユリエルの件で。とても大切な話だ」
少年と青年のあいだくらいの店員は、ワレスの風態を見て、だまって奥へひっこんだ。
身なりのととのった相手が馬に乗ってやってきたのだ。それは初対面であってもあるていどの信用を得る小道具になる。
「こちらへどうぞ。奥さまがお会いになるそうです」
ワレスは奥の客室へ通された。
人間ていうのは、どうしてこう、見てくれに左右されるのだろうと、皮肉に思う。
中庭に面した客室は、窓ぎわだけが明るい。
建物の造りが古いせいかもしれない。
窓辺の丸テーブルには、王宮の装飾品かと思うような豪華なテーブルクロスがかけてあった。
ワレスが椅子にすわって待っていると、品のよい、とても小さな五十代なかばの女が遅れて入ってきた。
「初めまして。わたくしにお話だそうですね」
商売柄なのか、笑顔に愛嬌があって、すこぶる魅力的だ。美しいというよりは、クマのぬいぐるみのように可愛らしい。端正で背の高いアウリナとは似ていない。
「初めまして。とつぜんの訪問を受けてくださり、ありがとうございます。アウリナさんの母上ですね?」
「マレーナと申します。ユリエルの件で、お話があるのだとか?」
「お話をうかがっても、よろしいですか?」
「かまいませんよ。どうせ、ヒマを持てあましておりますのでね」
ワレスは単刀直入に聞く。ほかにも調べる必要があるから、時間がない。
「最初にこれだけは言っておきます。私はユリエルの味方です。ユリエルのためにしか行動しない。だから、正直に答えてほしいのです」
マレーナはあいかわらずニコニコしていた。が、その笑顔の裏では充分に思案したのだろう。やがて、かるいため息をつく。
「あなたさまを信じますわ」
「では、聞きます。アウリナさんは、あなたがたの実子ではありませんね? あるいは、あなたか、あなたのご主人がオージュベール伯爵家の誰かとのあいだに、ひそかにもうけた娘……では、ないですか?」
マレーナはクマのぬいぐるみのような、つぶらな瞳をわずかにふせる。
「なぜ、わかったのですか?」
「ユリエルがヒントをくれました。赤ん坊のときに死んだ妹の名前がアウリナだったと。母の名前と妹の名前が同じだという事実を、ユリエルはぐうぜんだと思っていたが、私はそこに人為的な必然を感じた。カンタンなことだ。死んだはずの妹が死んではいなかった。同じ名前の二人が同一人物なら、それはぐうぜんではない」
マレーナはなんと答えるだろうか?
待っていると、善良な婦人はほほえんだ。
「先々代の伯爵さまから、お預かりしたのですよ。アウリナは伯爵家のご令嬢です。どんな事情があって、わたくしどもに託されたのかはわかりません。ただ、わたくしどもに子どもがなかったので、そのような運びになったのでございます。そののち、長男が生まれましたけれど、アウリナは今でも、わたくしどもの大切な娘です」
「やはり、そうか」
ユリエルの話していた死んだ妹と、ユリエルの母は同じ人だった。
となると、かなり事情が変わってくる。アウリナが一昨日に死んだ現伯爵の妹なら、ユリエルにも正統な爵位継承権が生ずる。ユリエルにも利害関係が存在するのだ。
「ユリエルはそれを知っていますか?」
「アウリナにも告げておりません。それが伯爵さまのご意向でしたから。二人は何も知りませんわ」
「あなたとご主人のほかに知っている者はいますか?」
「いいえ」
「わかりました。ところで、タバサという召使いが、この屋敷にいますね? 少し話したいのですが」
「タバサですね。呼んでまいりましょう」
マレーナが出ていき、入れかわりでタバサがやってきた。
「あ、あの、わたしに、なんのようでしょう」
緊張して、オドオドしている。怖がりというのは、ほんとのようだ。
「時間がない。正直に答えてくれ。あんたがユリエルの乳母をしていたころ、赤ん坊のユリエルと毎晩、いっしょに寝ていたんだろう? そのとき、オバケを見たんだって?」
タバサはガタガタふるえだす。
「ユリエル坊っちゃんは伯爵さまの生まれ変わりだそうでございますよ。だから、毎晩、夢枕に伯爵の霊が立つんでございます」
「夢枕か」
以前、ユリエル自身も、夢で前世の記憶を見るんだと言っていた。
「おまえは伯爵の霊を見たのか?」
「とんでもございません! そんな恐ろしい……わたくしは見ませんよ。でも、声は聞きました。赤ん坊の坊っちゃんが、まるで大人の男のような声で、夜な夜なつぶやく声を……」
「何を話していた?」
タバサは首をふる。
「さあ、そこまでは。わたくし寝が深いもので。朝まで目がさめないのです」
「では、なぜ、ユリエルが伯爵の声で寝言を言うと知ってるんだ?」
「だって、声は聞こえますのでね。俗に言う金縛りというものでしょうか。体は動かないのですが」
「ふうん……」
思ったとおりだ。
タバサの言う幽霊の正体は、ワレスが昨夜、ユリエルの寝室で経験したのと同じ現象だ。
「目がさめたとき、花の香りがしなかったか? お香のような?」
すると、タバサは笑った。
「それはしますとも。坊っちゃんは夜泣きをするお子さまでしたのでね。夜泣きをしなくなるお香というのをたいておりましたから」
「夜泣きねぇ。そのお香、誰からのすすめだった? おまえが自分の考えでしたわけじゃないんだろう?」
タバサはちょっと憤慨した。真っ正直でマジメな性格なのだとわかる。
「違いますよ。勝手なことなどしやしません」
「悪かった。じゃあ、誰に言われてやったんだ? 奥さま? それとも旦那さま?」
タバサは首をふった。そして、ある人物の名前を言う。
それはワレスの納得のいく答えだった。