第36話

文字数 2,182文字



 プロパージュ家へ行くと、ファヴィーヌは寝起きだった。昨夜の夜会で疲れたのか。それとも、ワレスとの浮気がバレないように、念入りに夫に甘えてやったのかもしれない。

 ファヴィーヌの今の夫は、彼女より十歳も若い。今朝も元気に起きて、廷臣らしく、宮廷へ出仕していったあとだ。

 昨夜の夜会で、ワレスが見た今のプロパージュ侯爵は、女が母性本能をくすぐられそうなタイプだった。ちょっとバカっぽかったが、顔はよかった。

 ファヴィーヌも夫が可愛くて、しかたないというようすだった。
 つまり、あくまで、ワレスとは浮気だ。ジョスリーヌの愛人だからカマをかけてみただけだろう。
 何回か遊んだあとは、ときおり、たずねて、小遣いをせびれる。ありがたい相手になりそうだ。

「ご主人が留守でよかった。おれはあなたを困らせる気はないからな」

 ワレスがファヴィーヌのパウダールームに通されたとき、彼女は機嫌が悪かった。だが、ワレスがそう言うと、少し笑った。

「物わかりがいいのね」
「お察しのとおり、おれは商売だから」

「愛情はないってこと?」
「魅力的なご夫人が金持ちであるにこしたことはない。あなたは両方をそなえている。とても魅力的ですよ」

「あなたの、そういうところを、ジョスリーヌは気に入ってるのかしら」
「たぶん。ジョスは再婚する気はないようだから。夫に求めるものと、愛人に求めるものは違うだろう?」
「ふつう、女は夫に永続的な愛を求める。わたしは自分が思っていた以上に、平凡な女だったのよ」

 勘がよくなければ、ジゴロなんてやってられない。
 ワレスはピンときた。

「前夫のこと? 彼がゆるせなかった?」
「さあ、どうかしら」
「外に愛人を作るのは、妻にとって裏切りだろう?」

 ワレスの問いに、ファヴィーヌは答えない。
 ため息をついたあと、急に笑いだす。

「ジョアンのことは、もう考えないのよ」
「今の夫を愛してるから?」
「あの人ったら、かわいいの。わたしといっしょになれないなら、駆け落ちしようと言ったのよ」

「男のカガミだ」
「でしょ? でも、あなたもキライじゃなくてよ。なんだか、とても個性的。わたしが化粧するまで待っていて。闘牛場に行きましょう。男の人はああいう遊びが好きでしょう?」

 もちろん、金の払いが女持ちなら、闘牛だって、競馬だって好きだ。

「外で待ってる」

 にっこり笑って、ろうかへ出た。
 ちょうどいいので、情報収集にいそしむことにした。

 ろうかを勝手に歩いていると、掃除中の女中を見つけた。声をかけてみると、幸運にも話し好きな女だ。というより、ゴシップ好き。

 ワレスがほんの少し三年前について水を向けただけで、この世に存在する、あらゆる早口言葉を変幻自在にあやつるであろう舌鋒(ぜっぽう)で語った。

 おかげで、ファヴィーヌの化粧が終わるまでに、知りたいことは、だいたい聞きだせた。

 女中のもたらした情報によれば、主人殺害の容疑をかけられたのは、キミーという小間使い。
 三年前の当時、三十歳。
 未婚の母で一児があった。が、キミーが住みこみで働いていたため、子どもは縁者にあずけられていた。

 おとなしく、目立たない性格。といって、気弱というわけではない。いわゆる芯のしっかりした女だったようだ。
 若くして苦労したせいか、必要以上に寡黙(かもく)だったという。仕事仲間とも疎遠だった。

「まさか、子どもというのが、プロパージュ侯爵の隠し子だったのか?」

 試しにワレスが聞いても、一笑に付されてしまった。

「それはないですよ。お客様。キミーの亭主になるはずの人は、結婚前に死んじまったらしいです。なんでも病気だったとか。お屋敷に勤めだしたときには、もう子どもも大きかったですからね」

 子どもの年があわないわけか。
 ジョアンが外で作った愛人に子どもができたため、面倒を見るためにキミーをやとったとも考えられるが。
 侯爵とキミーのようすから、その可能性はきわめて薄いようだ。

 また、キミーは地味だが、よく働いたので、主人との雇用関係は良好だった。キミーがジョアンに恨みを持つようなわだかまりはどこにもない。
 となると、犯人候補筆頭の小間使いにも、殺人の動機はなくなる。

 女中は言う。

「キミーは人とうちとける女じゃなかったから、悩みがあったかどうかわかりません。でも、あの夜は、いつもより機嫌がよかったんですよ。ご主人がお亡くなりになった日だっていうのに、妙に浮かれてましてね」

 そのあと、みんなが寝静まったころに雲隠れした。

 ワレスはキミーが浮かれていたという理由を知りたかった。キミーともっと親しかった人物はいないかとたずねてみた。が、女中は首をふる。

「子どもをあずけていた縁者は、黒蜜通りにいるそうですよ。これは役人が話してたのを、こっそり聞いたんですけどね。お客様みたいに、お若い役人でしたっけ。たしか、ジェイムズ・ティンバーとかいうお名前だったような……」

 ワレスは顔をしかめた。
 知った名前だったのだ。

 ワレスは決して、意志薄弱ではない。
 物事を途中であきらめない粘り強さもある。
 だが、もし、ワレスほど誇り高い男でなければ、犯人探しはここでおしまいになっていた。
 幸か不幸か、ワレスは人一倍(ほんとのとこは人十倍くらい)、プライドが高い。イヤな相手から逃げたと思われるのは、自尊心がゆるさない。

 さっそく、次の日、そこへ向かった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み