第16話
文字数 2,484文字
*
死体のまわりを探してみたが、宝剣のさやは見つからなかった。伯爵を殺した誰かが持ち去ったのかもしれない。
「ワレス。わたくし、死体と同室なんて、イヤだわ」
空腹もあるし、ぬれて着る服もない。
ワレスが暖炉に火を起こしたので、寒くはなくなったが、ジョスリーヌの精神には限界のようだった。弱音を吐いてくる。
(まあ、そうだよな。勝気といったところで女だ。それに家族以外の死体なんて、ふつう見ないだろうからな)
ワレスはだまって立ちあがると、伯爵の死体を戸口の外まで運んだ。軒下に置いておく。夜のあいだに動物に食われてしまうかもしれないが、女侯爵のぐあいが悪くなるよりはマシだ。
短剣はまた紛失しては困るので、ぬいておく。黄金のつかに手をかけ、ひきぬいた。
血みどろのままでは、またジョスリーヌが気分を害するだろう。
ワレスは近くの水たまりで血にぬれた刃を洗った。それで初めて気づいた。家宝の宝剣は、刃の部分がさびている。大きく黒く変色して、やがてはここから腐食するだろう。
古い血のあとだと、ワレスは直感した。
もしかして、この宝剣はすでに人の血を吸っている?
誰かを殺す凶器として、以前にも使われているのか?
ならば、紛失したのはそのせいだろう。殺人をかくすためには、その凶器もかくすしかなかったのだ。
犯人は体裁を気にする人物。
殺されたのは、おそらく伯爵家の誰か。
十五年前に落馬して死んだという先代伯爵が、もっとも近々に亡くなった伯爵家の人間だ。
(先代伯爵は殺されたのか?)
ややこしいことになってしまった。
宝剣が見つかって終わり、というわけにはいかないらしい。
ワレスは凶器の宝剣を持って狩小屋に入った。
ジョスリーヌはソファーにかけてあった織物を体にまきつけて、ふるえている。
「なんで、そんなもの持ってきたの?」
ワレスをとがめるような目をしている。
「また、なくしたら困るだろう? このなかに、おれたち以外の人はいないが、伯爵を殺した人物が、まだ近くにいるかもしれない」
ジョスリーヌが急に泣きだしたので、ワレスはおどろいた。いや、お姫さま育ちの貴婦人なのだから、とうぜんの反応か。
「安心しなよ。あんたは、おれが守るから。それに……」
「それに、何? まだ何かあるの?」
「伯爵を殺したのは、彼のまわりの人間だ。だから、あんたを殺すことは絶対にない。あんたは大貴族の一門の頂点だからな。生かしておくほうが断然、価値が高い」
「…………」
ジョスリーヌはすっかり気落ちしてしまった。
「外から誰かが入ってこられないように、戸口をソファーでふさぐよ。少しは安心できるだろ?」
「ありがとう。ワレス。たのもしいのね」
「まあね。ノラ猫みたいなもんだからな」
長椅子を扉の前に運んでおいた。
これで侵入のさまたげにもなるし、入るときに音をたてる。
ワレスは戸棚からブドウ酒とグラスを持ってきて、ジョスリーヌのとなりにすわった。
暖炉の前があたたかいから、二人とも床の上にちょくせつすわって暖をとった。
ブドウ酒を飲んだあと、ジョスリーヌはワレスの肩に頭をもたせかけて眠ってしまった。そうとう疲れていたのだろう。
ワレスは今夜、寝ないつもりだ。
殺人者がもどってくるとは思えないが、嵐がやまないから、万一ということもある。
(今夜いっぱいのしんぼうだな。狩小屋から煙があがっているのを見れば、ここにおれたちがいると、すぐわかる。朝になって明るくなれば、迎えが来るはずだ)
それにしても、殺人者は誰だろうか?
そういえば、ワレスがジョスリーヌと落ちあうために屋敷へむかっていたとき、途中で伯爵の息子と出会った。あのとき、なぜ、あんなに血相を変えて、オーランドは狩場から離れようとしていたのだろう?
伯爵の死体は固くなっていた。殺されてから何刻か経過しているのだ。ワレスは子どものころから、死体を何度も見ているので、そのへんは経験上わかる。
時間的に見て、オーランドは怪しい。
とはいえ、息子の彼が伯爵である父を殺しても、なんの得にもならないが。
(爵位を自分のものにするため……とはいっても、今はそれどころじゃないはずだ。宝剣の行方しだいでは、爵位はユリエルのものになる。
オーランド自身より、先代伯爵の弟である親父のほうが、爵位継承権は上だからな。むしろ、あいつの立場からすれば、生きていてくれないと困る)
ふつうに考えれば、伯爵がいなくなってくれて、もっとも都合がいいのは、やはり、ユリエルだ。
ユリエルは貴族ではないが、金持ちの息子だ。自分の馬をあたえられていて、日ごろから乗馬はするらしい。昨日、実家まで送ったときも上手に乗りこなしていた。馬をあやつれれば狩場にまで来れる。
広い森のなかで伯爵を見つけだすのは難しいだろうが、前もって狩小屋の位置を知っていて、ここに伯爵を呼びだしていたなら、できなくはない……。
物思いにふけっていたときだ。
カタリと、外で音がした。
いつのまにか雨がやんでいる。思案に夢中になっていて気がつかなかった。あたりが静かになったので、わずかの音も耳についた。
ワレスはジョスリーヌを床に敷いたマントの上によこたえた。そっと窓辺に歩みよる。
森の動物だろうか?
雨がやんで、夜行性の獣がうろつきだしたのか?
外をのぞくと、黒っぽい影が軒下から動いた。森のなかへ走り去っていく。
ドキリとした。
殺人者がまだ近くにいたのだ。きっと、宝剣をとりにもどってきたのだろう。
しかし、雨に降られ、帰れなくなった。狩小屋にはワレスたちがいるので、軒下で雨宿りしていたのだと思われた。
暗くて顔は見えない。体格から男だとわかった。
(大人だ。ユリエルじゃない)
追おうとしたが、入口のバリケードが、あだとなった。窓は小さくて、大人が出入りできる大きさではない。
樹間に一瞬、男の姿が現れる。
かなり距離がひらいていたものの、よこ顔が見えた。
暗闇のなかでわかりにくいが、誰かに似ていた。ワレスの知っている人物かもしれない。
しばらくして、馬の足音が遠ざかっていった。
死体のまわりを探してみたが、宝剣のさやは見つからなかった。伯爵を殺した誰かが持ち去ったのかもしれない。
「ワレス。わたくし、死体と同室なんて、イヤだわ」
空腹もあるし、ぬれて着る服もない。
ワレスが暖炉に火を起こしたので、寒くはなくなったが、ジョスリーヌの精神には限界のようだった。弱音を吐いてくる。
(まあ、そうだよな。勝気といったところで女だ。それに家族以外の死体なんて、ふつう見ないだろうからな)
ワレスはだまって立ちあがると、伯爵の死体を戸口の外まで運んだ。軒下に置いておく。夜のあいだに動物に食われてしまうかもしれないが、女侯爵のぐあいが悪くなるよりはマシだ。
短剣はまた紛失しては困るので、ぬいておく。黄金のつかに手をかけ、ひきぬいた。
血みどろのままでは、またジョスリーヌが気分を害するだろう。
ワレスは近くの水たまりで血にぬれた刃を洗った。それで初めて気づいた。家宝の宝剣は、刃の部分がさびている。大きく黒く変色して、やがてはここから腐食するだろう。
古い血のあとだと、ワレスは直感した。
もしかして、この宝剣はすでに人の血を吸っている?
誰かを殺す凶器として、以前にも使われているのか?
ならば、紛失したのはそのせいだろう。殺人をかくすためには、その凶器もかくすしかなかったのだ。
犯人は体裁を気にする人物。
殺されたのは、おそらく伯爵家の誰か。
十五年前に落馬して死んだという先代伯爵が、もっとも近々に亡くなった伯爵家の人間だ。
(先代伯爵は殺されたのか?)
ややこしいことになってしまった。
宝剣が見つかって終わり、というわけにはいかないらしい。
ワレスは凶器の宝剣を持って狩小屋に入った。
ジョスリーヌはソファーにかけてあった織物を体にまきつけて、ふるえている。
「なんで、そんなもの持ってきたの?」
ワレスをとがめるような目をしている。
「また、なくしたら困るだろう? このなかに、おれたち以外の人はいないが、伯爵を殺した人物が、まだ近くにいるかもしれない」
ジョスリーヌが急に泣きだしたので、ワレスはおどろいた。いや、お姫さま育ちの貴婦人なのだから、とうぜんの反応か。
「安心しなよ。あんたは、おれが守るから。それに……」
「それに、何? まだ何かあるの?」
「伯爵を殺したのは、彼のまわりの人間だ。だから、あんたを殺すことは絶対にない。あんたは大貴族の一門の頂点だからな。生かしておくほうが断然、価値が高い」
「…………」
ジョスリーヌはすっかり気落ちしてしまった。
「外から誰かが入ってこられないように、戸口をソファーでふさぐよ。少しは安心できるだろ?」
「ありがとう。ワレス。たのもしいのね」
「まあね。ノラ猫みたいなもんだからな」
長椅子を扉の前に運んでおいた。
これで侵入のさまたげにもなるし、入るときに音をたてる。
ワレスは戸棚からブドウ酒とグラスを持ってきて、ジョスリーヌのとなりにすわった。
暖炉の前があたたかいから、二人とも床の上にちょくせつすわって暖をとった。
ブドウ酒を飲んだあと、ジョスリーヌはワレスの肩に頭をもたせかけて眠ってしまった。そうとう疲れていたのだろう。
ワレスは今夜、寝ないつもりだ。
殺人者がもどってくるとは思えないが、嵐がやまないから、万一ということもある。
(今夜いっぱいのしんぼうだな。狩小屋から煙があがっているのを見れば、ここにおれたちがいると、すぐわかる。朝になって明るくなれば、迎えが来るはずだ)
それにしても、殺人者は誰だろうか?
そういえば、ワレスがジョスリーヌと落ちあうために屋敷へむかっていたとき、途中で伯爵の息子と出会った。あのとき、なぜ、あんなに血相を変えて、オーランドは狩場から離れようとしていたのだろう?
伯爵の死体は固くなっていた。殺されてから何刻か経過しているのだ。ワレスは子どものころから、死体を何度も見ているので、そのへんは経験上わかる。
時間的に見て、オーランドは怪しい。
とはいえ、息子の彼が伯爵である父を殺しても、なんの得にもならないが。
(爵位を自分のものにするため……とはいっても、今はそれどころじゃないはずだ。宝剣の行方しだいでは、爵位はユリエルのものになる。
オーランド自身より、先代伯爵の弟である親父のほうが、爵位継承権は上だからな。むしろ、あいつの立場からすれば、生きていてくれないと困る)
ふつうに考えれば、伯爵がいなくなってくれて、もっとも都合がいいのは、やはり、ユリエルだ。
ユリエルは貴族ではないが、金持ちの息子だ。自分の馬をあたえられていて、日ごろから乗馬はするらしい。昨日、実家まで送ったときも上手に乗りこなしていた。馬をあやつれれば狩場にまで来れる。
広い森のなかで伯爵を見つけだすのは難しいだろうが、前もって狩小屋の位置を知っていて、ここに伯爵を呼びだしていたなら、できなくはない……。
物思いにふけっていたときだ。
カタリと、外で音がした。
いつのまにか雨がやんでいる。思案に夢中になっていて気がつかなかった。あたりが静かになったので、わずかの音も耳についた。
ワレスはジョスリーヌを床に敷いたマントの上によこたえた。そっと窓辺に歩みよる。
森の動物だろうか?
雨がやんで、夜行性の獣がうろつきだしたのか?
外をのぞくと、黒っぽい影が軒下から動いた。森のなかへ走り去っていく。
ドキリとした。
殺人者がまだ近くにいたのだ。きっと、宝剣をとりにもどってきたのだろう。
しかし、雨に降られ、帰れなくなった。狩小屋にはワレスたちがいるので、軒下で雨宿りしていたのだと思われた。
暗くて顔は見えない。体格から男だとわかった。
(大人だ。ユリエルじゃない)
追おうとしたが、入口のバリケードが、あだとなった。窓は小さくて、大人が出入りできる大きさではない。
樹間に一瞬、男の姿が現れる。
かなり距離がひらいていたものの、よこ顔が見えた。
暗闇のなかでわかりにくいが、誰かに似ていた。ワレスの知っている人物かもしれない。
しばらくして、馬の足音が遠ざかっていった。