第15話

文字数 2,224文字



 日がかたむくほどに木洩れ日はまぶしく輝き、影絵のような森は幻想的な色あいを深める。

 たぶん、もう半刻も進めば、伯爵家につく。
 ワレスは帯にさげた懐中時計を見た。ジョスリーヌからのプレゼントの銀の時計は、落日まで一刻半以上のゆとりがあることを示している。

「ワレス。見て。鹿よ」

 ジョスリーヌが馬を止め、ささやいた。
 ワレスもながめると、赤や白の花の咲く草はらのむこうに、一頭の雄鹿がいた。陽光を受け、毛並みが金色にきらめいている。みごとなツノだ。とても美しい。

 つかのまだが、ワレスは鹿と見つめあっていた。森の精霊のような目をしている。

 見とれていると、やがて鹿は走り去った。

「キレイね。神さまのお使いだったのかしら?」

 ジョスリーヌはいっぺんにロマンチックな気分になったらしい。うっとりした目で、ワレスをながめる。

「美しいもの、なんでも好きよ。あなたも、素敵ね」

(まあ、いいか。まだ時間はある。いいぐあいに花の寝床もな)

 ワレスたちは馬をおりて、木陰でくちづけをかわした。
 まさか、そのせいで大変なめにあうなんて思いもせずに。

 雷鳴がとどろいたのは、とつぜんだった。
 その音におどろいて、いななきをあげた馬がやみくもに走りだす。

 ワレスはあわてて、ジョスリーヌを離す。
 指笛をふくが、馬は恐怖にかられたのか帰ってこない。

「まいったな」

 急激に雨雲がたちこめてきた。
 またたくまに、あたりは夜のように暗くなり、雨がたたきるほど強く降ってくる。
 馬が帰ってくるのを待っているわけにはいかない。
 どうにかして自力で、伯爵家まで帰るしかない。

「ジョスリーヌ。歩けるか?」
「ええ……」

 二人で嵐の森のなかをさまよった。
 深窓育ちのジョスリーヌは、じきに歩けなくなり、ワレスがかかえていった。狩小屋を見つけたときには疲労こんぱいだ。

「ここで夜を越そう。幸い、酒や薪がある。どうにかなるだろう。おれはともかく、あんたがいなければ、みんな必死で探すよ。必ず、迎えは来るから」

 だが、そのときだ。
 ジョスリーヌが死体を見つけたのは。

「ワレス! あそこに誰かいるわ」

 そして、のぞいたソファーのかげには死体があった。
 それも知らない顔じゃない。
 オージュベール伯爵だ。
 伯爵はのどをナイフでひとつきにされて死んでいた。

「ワレス! 死んでるの?」
「ジョス。これはあなたの見るものじゃない。さがって。おれが調べる」

 ジョスリーヌをうしろにさがらせ、ワレスは死体を検分した。
 伯爵の体はすでに冷たくなっていた。それに服がぬれていない。雨が降りだす前に、この狩小屋に来ていたのだ。

 狩りをさぼって、こんなところで何をしていたのだろう?

 伯爵は狩りの主催者だ。その目的は皇都から来た女侯爵を歓迎するためである。よほどの理由がなければ、狩りからぬけだすとは考えられない。

 そもそも、ワレスは意外だった。
 爵位をめぐって殺人が起こるかもしれない可能性は考慮していた。しかし、その被害者が伯爵であるとは、みじんも思っていなかった。むしろ、伯爵は加害者だろうと。

 とりあえず、伯爵の体を調べ続ける。
 服をめくってみたが、死因となった、のど意外には、これといった外傷は見あたらなかった。

 そのとき、ワレスは何かがおかしいと感じた。

 伯爵の傷が少なかったから?
 それは抵抗しなかったということだ。
 いや、違う。なんだろうか? 伯爵には何かがなくてはならなかったはずなのだが。


 ——この木、なつかしいわ。


 ふいにローラの言葉が思いうかぶ。

(そうだ。伯爵は子どものころに木から落ちて、傷あとが腕に残ったと、大伯母さんは言ってたよな)

 だが、何度たしかめても、右腕、左腕、どちらにも傷などない。子どものころのケガだから、何十年もたって、傷あとが消えたのだろうか?

 ワレスが考えこんでいると、不安そうな声で、ジョスリーヌがたずねてきた。

「ワレス? もういい?」
「ああ。すまない」

 ワレスは急いで、伯爵自身のマントを死体の上にかけた。いや、かけようとした。

「えらく高価そうな短剣だな」

 凶器となったナイフをよく見ると、つかの部分に大きな宝石がゴロゴロ埋めこまれている。つかじたいは黄金だ。

 ワレスの背中ごしに、ちらりとのぞいたジョスリーヌがおどろきの声をあげる。

「あら、その短剣、見たことがあるわ。子どものころ、よく似たものをおじいさまが持っていた気がする」
「えっ? あんたのじいさんが?」

 ジョスリーヌの祖父が、オージュベール家に宝剣を下賜した。それをジョスリーヌが見たとすれば、伯爵家に下賜される前ではないだろうか?

 ジョスリーヌの正確な年齢は知らないが、三十年前と考えれば計算はあう。

「つまり、これが、なくなった伯爵家の家宝なわけか」

 まさか、伯爵がかくし持っていたのだろうか?
 いや、伯爵にはかくしておくメリットがない。

 だとしたら、たまたま、この狩小屋に来たとき、これを所持していた人物がいて、とりかえそうとしたのか?
 もみあいになって、運悪く……?

(ユリエルがやったんじゃないよな?)

 ユリエルは宝剣のありかを知っているようだった。
 十五年間、誰もその所在を知らなかった宝剣だ。今になって、とつぜん出てきたのは、行方を知っている人物が持ちだしたから……。

 不安な気持ちを、ワレスは抑えた。
 ユリエルには純真無垢であってほしい。それが、ワレスの身勝手な願望にすぎないことはわかっていたが。
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