第64話

文字数 2,293文字



 カースティは頭のいい娘だ。ラスみたいな厭世家に復讐の念をすりこまれて育てられ、少女らしい明るさはないが。

 猿のようなバケモノだなんていうのは、村人の口さがないウワサにすぎなかった。
 人並みより優れた能力をもっているからこそ、こんなことになったのだ。大人でもためらう計画を実行し、冷静な判断でやりとげた。

 誰の力にも頼らない少女に、ワレスは哀れみをおぼえた。

「おまえがいつから、いつまで、あの部屋にいたのか。そして、そこで何を見たのか」
「わたしがあいつの部屋に行ったのは、食後まもなくです。まだ、みなさんが室内で着替えたり、話したりして、ざわついていました。こんなときのために、わたしはお酒を用意していました。謝罪にと言って持っていくと、あいつは喜んで、わたしをなかに入れ、ドアにカギをかけました」

「おれがショーンと話したとき——それどころか、ショーンが酔いざましを持っていったときには、おまえは、すでにブロンテの部屋のなかにいた」

「あなたが聞いた読書中の足音は、わたしが自分の部屋に帰ったときのものです。ショーンさんが来たときには、わたしはベッドの下に、うずくまって隠れていました。あいつ、あくどいくせに小心者なの。未成年のわたしをつれこんだと、あなたのお友達に知られるといけないので、大あわてでした」

 そのときの光景を思いだしたのか、カースティは冷笑した。

「おなかのとびだしたヒキガエルみたいだったわ」
「だから、ブロンテは裸だったわけだ。ティモシーの力で、やつの肥満体から服をはぎとるのは至難の技だ。女が関与してるだろうとは思っていた」

「それで、ラスの代行者が、わたしだとわかったの?」
「森のなかのラスの家が、そこなわれてなかった。少し前まで誰かが住んでたんだとわかった。森にすてられていたという品物も女の子好みだったしな。復讐の前に、自分のいた痕跡を消したわけか」
「もう帰らないつもりだったから」

「そこまでの覚悟があったとはいえ、復讐の相手に色仕掛けで近づくのは苦痛だったろう? おまえの年ではな。ショーンに感謝しないとな。おかげで大事にいたらなかったろう?」
「なぜ、わかりますか?」
「死体に情交のあとがなかった」

 ティモシーがホッとした。彼はカースティに惹かれているらしい。
 それとも、自分と似た不幸な境遇の少女が、他人のように思えないのか。

「これが大事なんだが、カースティ」
「はい」
「ショーンが部屋を出て帰ったあと、ブロンテは酔いざましの水を飲んだか?」
「……どうしてですか?」
「どうしても」

 カースティはワレスを見つめた。そして、ワレスの目のなかに重要な意味を読みとった。機転の速さをぞんぶんに生かして、こう言った。

「そんなヒマはあたえません。ショーンさんが来て、あいつの気がそれたので、すかさずナイフで刺してやりました。そのあと、内からカギをあけて、部屋に帰りました」

 すると、いきなり、ショーンが泣きだした。

 悔しかったのか?
 いや、違う。
 ショーンは安堵したのだ。

 ショーンは、どこにでもいる善人だ。
 妻のために決意したとはいえ、自分が人を殺したのだと思えば、一生、苦悩する。

「なんで、この人は泣いてるの?」

 ワレスは胸を打たれた。
 そう言うカースティの瞳に秘められた思いの美しさに。
 ワレスの殺した愛しい思い出が、そこにつながる。

(ルーシサス……)


 どうしたら、信じてくれる? ワレサ。

 おまえが……おまえが死ねば。


 残酷な記憶が脳裏をよぎる。
 あのとき、ルーシサスのおもてに浮かんだのも、こんな笑みだった。

「ショーンの持ってきた酔いざましの水には、毒がしこんであったんだ。でなければ、おかしい。みんなで殺すと決めてたんだ。手紙では、ブロンテが寝る前に内からカギをかけたとしても、ショーンがあけておくという約束だったはず。それなのに、ショーンはカギをしめた。もう殺人は完了したと思ったからだ」

 かすかに、ショーンがうなずいた。

「翌朝早く、ようすを見にいったのは、証拠の毒を始末してしまうつもりだったんだろう? ところが予想に反して、死体があんなさまになっていた。思わず、悲鳴をあげてしまった。まあ、メーファン隊長に怪しまれなかったからいいが、そうでなければ、ブロンテの部屋に一晩中、カギがかかっていたという証言は、自分の首をしめる行為だ」

「それでも、よかったのです」と、ショーンは言う。
「私は自分がブロンテを殺したと思っていたので……」

 ワレスはなげやりに肩をすくめた。

「もういいじゃないか。ブロンテを殺したのは、ラスだ。あいつが罪を自白した手紙が、明日あたり、この宿に届く。ラスはいかがわしい商売をしてた男だ。盗人みたいに宿に忍びこめた。それで、すべて解決だ」

 カースティは懐疑的だ。
「わたしにヒューゴの筆跡で手紙を書けというのですね。でも、ヒューゴは死んでいます」

「死んだ男が本物のラスだと、誰にわかる? 人目をしのんで隠棲(いんせい)してたんだろう? ただの変人だ。同姓同名の別人かもしないし、本物のラスにそそのかされて、ラスを名乗っていたのかもしれない。家から出てきた悪事の証拠は、その男に罪をきせるために、本物のラスが持ちこんでおいたんだ。少なくとも、おれはそう言って、ジェイムズを説得できる自信がある」

 カースティのおもてに、泣き笑いのような表情が浮かんだ。

「どうして、そこまで、わたしたちのために?」
「おれは早く皇都に帰りたいだけだ。そのほうが早く、かたがつく」

 ワレスには言えない。
 おまえのなかに天使を見たからだ……なんて。
 冷たく、とりすまして、ごまかした。
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