第50話 第二章/ふたつの葛藤 ナジムの回想 -11

文字数 2,895文字

「なんだぁー、思いだしたよ。
 あんた、あんときの、ナ・メッ・ク……」

 ナジムが項垂れたまま返事ができないでいると、

「よかったら……、
上がってお参りでもしていくかい?」
と女性は、前かがみになって声をかけました。

 その(おだ)やかなことばに、ナジムは項垂れた首をさらにふかく落としました。

「おいでよ」

 女性は、ナジムの腕をとって立ちあがらせると、
玄関のまえまできて扉をひらいて、
「汚いとこだけど、靴はぬいで上がんな」
と体を屈め、散らかった靴を端のほうによけました。

 いわれるまま、靴を脱いで部屋のなかに一歩踏み入ると、中はまったくの暗闇で、
足どりがおぼつかないせいか、それとも建物じたいがかたむいているせいか、
ナジムはヨロヨロとよろめき、天井の梁に頭をぶつけてしまいました。

 すると、
「クスクス」
と声をひそめた笑い声がきこえて……、
ナジムは腰を低くして、
両手両足で女性の踏みしめるギシギシという音をまさぐりながら進んでゆきました。

 やがて目が慣れ、部屋のようすが見えてくると、
そこに、口を押さえて息をひそめる幾人(いくにん)もの子どもと老人たちのすがたがあって、
熱い眼差しを間近に感じながら案内された場所に座ると、
目のまえにはいくつもの写真の飾られた背の低い台があって、
そのいちばん手前に、あの日の老婆が……、
少女の肩に手をおいて、なんともおだやかな顔で笑っておりました。

 ナジムはふと、出掛けに母が渡してくれた銀貨をおもいだし、ズボンのポケットの中からまさぐりだして、写真のまえに(そな)えて手を合わせました。

 するとすぐに女性が、
「わるいね、……こんなに。たすかるよ、」
と、体をすりよせてきて、
サッと、自分のポケットの中に仕舞いこんでしまいました。

「これが(ばあ)と、そのてまえが四年まえに死んだ四番目の子さ。
 ちょうどあんときさ。
 あんたがたずねてきたまえの日の晩に死んじまったんだ。

……あんたは、知ってるのかい?
 ここではね、病気で死ぬとすぐに役場から人間がやってきて、
そこいら中に薬を撒いて、
死んだ人間つれていって焼いちまうんだよ。

 自分の家に、一日だって置いとくことができないんだから。
 それにさ、もし報せが遅れると、罰金はらわされて牢屋みたいなところにぶちこまれて、
飲まず食わずで三日三晩、
眠ることも許されないんだから。

 しかもさ、病気で死んだらさ、そいつの身に着けていた服やら身のまわりの品物まで全部かきあつめて持っていって、
病気といっしょに燃やしちまうのさ!
 焼き場は――、この近くさ。

 家族で別れをすることも、おもいでの品物を遺すことだって、
なんにもできやしないんだから。

 ここでは……、なにもかもが規則のいいなりなんだ……」
 女性は(はな)をすすりあげながら、老婆と少女の写った写真に手をのばして、

「この子はさぁー、お婆のじまんの子でね。

 可哀想なもんさ、急に目のみえなくなる病気に(かか)っちまってさ。
 いたい、いたいって、いくら泣いたって医者なんぞ来やしない。

 ここはいつもあとまわしなのさ。
 来たときは、いつも手遅れなんだ。

 まだ……、八つだったんだよ」

と、遺影を胸に抱きしめました。

 ナジムは、その女性のだきしめる少女の顔を間近にみて、
息が止まりそうになりました。

 少女は紛れもなく、街へはじめて出たあの日、あのときの、ナジムの足もとに唾を吐きつけた……、
そのときの少女でした。


 最初にここへ来たのは、少女たちと出会ってまだ間もなかった頃のこと。

 少女は……、
肩に置かれた老婆の手に自分の手を重ねて、お茶目な顔をつくって笑っていました。


 あれは……、少女を火葬にしてたにおいだったんだ! 

 あの日の出会いは――、
ここへ来い!
という、前ぶれだったんだ‼


 母親はつづけました。

「しかも(ばあ)は、(たち)の悪い病気なんかで死んだんじゃないよ。
 ただいつもの風邪をこじらせて、ふらついた足でくさった階段ふみぬいて、
打ったところが悪かっただけなんだ。

 そのことをさ、役場に行ってはなしたって、
役場のにんげんは、

「病気に(かか)っていたのはまぎれもない事実であり、
階段をふみぬいた原因が、風邪であった。
と、証明しないかぎり、規則は曲げられない!」
……だとさ。

 あたしに――、おなじことして死ねっ!
 とでも言いたいのかい!。
それが……、
人間が人間にたいして言うことばかい?

 あんたに、こんなくやしさがわかるかね――、」

 ナジムは、泪をこぼしながらうったえる女性の顔を、正面に見ることができませんでした。

 そのとき

と、女性の背後からじっとみつめる視線をかんじて、
ナジムは眼差しのほうに顔を上げました。

 そこには少女がいて、まわりに色とりどりの花々が散らかっておりました。

 と――、

あのとき、幼い少女のさしだす白い一輪の花弁(はなびら)が、あざやかな色彩になって(よみがえ)り、

 眼差しは――、

『あなた、ここになにしに来たの?
 わたしたちを笑いにきたの?
 それとも、
あのときのお金をもって、(あわ)れみにきたの?』
と、()(ただ)してくるかのようでした。

 以前のナジムであったら、とっくにこの場を逃げだしていたに違いありません。
 しかしナジムは、
『国の人びとの、ほんとうの生活を知りたい』
と、こころに決してやってきたのでした。

 ナジムは母親に一礼すると、少女のほうへ四つん這いに近づいてゆき、
少女の目の高さに顔を近づけて、

「わたしのことをおぼえているかい?」
と、両目を顔の中心に寄せて、笑ってみせました。

「……」しかし、少女の口はかたく閉じたままでした。

「おっかしーなー? わたしのひとちがいだったようだ。
 こらまった、しっつれい、あっぷっぷ!」

 と、とつぜんナジムは、
上唇(うわくちびる)の下に舌を入れて立ち上がると、ほっぺたを(ふく)らませ、ひざを曲げて中腰になり、ひじを曲げて、……両手の指をチョキチョキしながら横歩きをはじめました。

 つづいてナジムは、

手首を丸めると、ぬきあしさしあしあるきだし、顔をぬぐいながら横をむいて、

「わん!」

()えました。

 それを見て、少女が口もとを(ゆる)めると、
まわりにいた子どもも老人も腹をかかえて笑いだし、
少女はとうとう――、
ナジムの芸に、なみだを流しながら降参してしまいました。

 その日からというもの、ナジムは毎日のように集落へと出かけてゆき、
多くの家々をたずねあるき、
あるときは、カエルが床の上を這いずり回る芸を披露し、
あるときは馬が羊の鳴きまねをする芸を披露しました。

 ナジムのこの芸は、たちまち集落の人気となり、
ナジムの訪れる家々はいつも入りきれないほどの人であふれかえり、
笑い声とともに、
建物はギシギシギシギシと音をたてて揺れました。

 そして……、

ナジムのそばにはいつも少女が座り、
仮装(かそう)の道具はすべて少女が考えだしました。

 こうして、ナジムと少女は、村になくてはならないお笑いコンビになりました。


「わたしが村へ通いはじめて一年半あまりがすぎるころ、お祖父さまとみなさまが還っておみえになったのです」

 はなしにすっかり聴き入っていたサムもヨーマも、ダンもナダクルもヤルキーもムルセンもシロもヨブも――、
ナジムのはなしとその芸に、拍手喝采(はくしゅかっさい)を送りました。

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