第2話

文字数 4,193文字

 家の前の通りは静まり返っていた。
 さっきの出来事が夢だったのではないかと思えてくるが、どこかピリピリと張り詰めたものが漂っている。
(窓から飛んでたよな……)
 気絶する寸前の記憶を辿った。
 飛び降りたというよりも、跳んだといった感じだった。道路や街路樹に飛び移ったのかもしれない。何か手がかりはないだろうかと家の塀や道路を見渡した。
「……なんだ、これ……?」
 ほどなくして道路に白い足跡のようなものが点々とついているのを見つけ、屈みこんだ。白く濁った湯気のようなものが立ち上っている。詩織からよく似たものが出ていたような気がする。
「邪が通った跡。邪跡っていうんだ。こんなに時間が経ったのに、くっきり残ってるってことは、超大物の証拠だよ」
 聞き覚えのある口調に振り向くと、紺色のウインドブレーカーに身を包んだ少年が立っていた。
「それが視えるってことは、かなり霊感が強くなってるってこと。たぶん、もう隠人の領域に入ってるよ」
「……沖野?」
 五年生の時に同じクラスだった沖野彰二だ。背丈や顔つきはいくらか成長しているが、わからないほどではない。
「久しぶり、斎木君。僕のこと覚えててくれたんだ」
「まあな。市内まで遊びに行ったりしたよな。元気そうじゃねェか」
「うん!覚えてるよ!」
 彰二は嬉しそうに頷いた。
 違和感が膨らんだ。
 外見はあまり変わっていない。だが――、雰囲気がどこか違う。
「あの時は楽しかったなあ。僕、友達いなかったから……。遊びに誘ってくれたり、家に呼んでくれたのなんて、斎木君が初めてだったんだ。町もいろいろ変わってるでしょ?今度、案内するよ」
「ああ、今度な」
 大きく跳んだ。一真のいた場所が黄色く光り、ぬかるみへと変わる。
 彰二が表情を一変させた。
「さすが斎木君!今のは自信あったんだけどなあ!」
「そうか?何かやらかそうとしてるの、もろに出てたぜ?」
 一気に距離を詰め、左拳を繰り出す。
「うわっ!?」
 通常ならば確実に命中しているはずの拳を彰二は体操選手のような動きでかわした。
 軽く一回転して着地した彰二に息の乱れはない。
「それが覚醒した隠人の身体能力ってやつか……。霊獣っていうだけあって身軽じゃねェか……」
「覚醒したらこれくらいはね……。どちらかっていうと、覚醒しないで今の動きをできる斎木君のほうが凄いよ。組長が一目置くはずだね」
 彰二は左手首に手をやった。望がつけていたものと同じような水晶のブレスレットが巻かれている。水晶の一つに触れた右手に四枚の符が出現した。
「一応、確認しとくが……、お前も鎮守か?」
「補佐だけどね。武蔵国現衆西組に所属してるんだ」
 彰二は符を構えた。
「組長……、鎮守役主座の命により、君をこの先に行かせるわけにいかない。補佐にとって、鎮守役の命令は絶対だからね」
「ほぉ……。けっこう縦の関係厳しいんだな」
「詩織ちゃんのことは聞いたよ。でも、今の斎木君が行ったって危ないだけだよ。僕達を信じて、家で待っててよ!斎木君だって、邪気が霊体を刺激して、危ない状態なんだ!急に覚醒しちゃうかもしれない!」
 彰二の目は真剣だ。心配してくれているのも本心だろう。だが――。
「悪いな、沖野。別に、先輩やお前を信用してねェわけじゃねーんだ……。たださ、詩織がヤバいモンに憑りつかれてどうなるかわからねェって時に、家で大人しくしてろなんて言われて、聞けると思うか?」
「斎木君なら、そう言うような気がしてたよ……」
 彰二は悲しそうに笑った。
「じゃあ、僕は補佐として、君をここで止めなくちゃ……」
「ああ。オレも手加減はしねェ。超能力でも何でも使えよ」
 彰二の右手の輪郭が赤く光った。
“我が気を食らいて、その威を現せ……”
 手に灯った赤を吸い上げ、符が緑の光を放つ。
“十二天が一、青龍!”
 手から放たれた三枚の符が龍のごとく緑の尾を引いて高速で飛来する。
(先輩が使ってたヤツか!?)
 光の色は違うが、何らかの力を持っているはずだ。そんなものに正面から立ち向かうつもりはない。横に跳んでかわすと三つの光は真っ直ぐに直進し、夜の闇に消えた。
「次はこっちの番……!?」
 ズシリと右腕が重くなった。
 緑に光る符が一枚、右腕にくっついている。
「なんだ、これ……!?」
「さっきの三枚は囮。その一枚が本命だったんだ」
 悪戯が成功したような得意げな顔で彰二が笑った。
「たいていの人は、引っかかってくれるんだよね♪」
 全身から力が抜け強烈な睡魔が襲う。くらりと視界が揺れた。
「テメ、何貼りやがった……?」
「十二天将の霊符の一つ、青龍だよ。今の斎木君みたいに頭に血が上ってる人を眠らせるのに凄く便利なんだ」
「なるほど……麻酔銃みたいなもんか……っ」
 睡魔に抗うとグラグラと眩暈がした。
「ちゃんと家の中に運んどくから安心して寝ちゃってよ。今の僕なら、斎木君くらい簡単に持ち上げられるし。昔と逆だね」
 得意満面な様子に一真の中で何かが燃え上がった。
「ごちゃごちゃ……煩ェ……!」
 感覚もわからなくなった左手を無理やり動かし、右腕の符を掴む。バチバチと火花が散り、左手に痛みが走った。静電気を強めたような刺激に睡魔が和らぐ。
「んなもん、剥がしちまえばいいんだろーがあああああああ!」
 力任せに引き剥がした。バチッと音を立てて緑の光が弾け、体が軽くなった。ぐしゃぐしゃと怒りに任せて符を握り潰した。
「ほらよ……、返すぜ」
 手の傷が開いたのか、投げ捨てた符にはところどころ赤が染みていた。
 彰二はゴミのように丸められた符を呆然と眺めた。
「う、嘘だ……!発動した霊符を破るなんて……!覚醒もしていないのに……!」
「次はオレの番だな……」
 べキリッと関節を鳴らす。
「空手とか剣道も強い奴多くて楽しかったけどさ……。やっぱ細かいルール無しの拳の語り合いって燃えるよな……」
「う……あ……」
 気圧されたのか彰二が半歩後ずさった。
「隠人は頑丈って言ってたっけな……。人間が本気で殴った程度じゃ、ビクともしねェってことでいいんだよな……?」
「い、嫌だな、斎木君。お、隠人でも個人差あるんだから。僕は体弱いほう……」
「やかましい!」
 猛然と地を蹴った。
「いっ!?」
 後ろに跳びながら彰二は数枚の符を放った。
“十二天が一、勾陣!”
 黄色い光がマンホールの蓋ほどの盾を造り出す。望が使っていたものと同じものだと気づくが、どうでもよかった。
「邪魔だっっっ!」
 一瞬、右の甲が熱くなり碧が灯った。繰り出した左の拳が中央に浮かぶ符を貫く。
 火花と共に盾が砕け散った。
「えええええええええええええっっ!?」
 驚愕のあまり彰二が顔を引きつらせた。
 符が破れ、焦げた紙片が地面に落ちる。他の符もただの紙切れに戻ったようにひらひらと落下してゆく。
「ま、まままま、待って!斎木く――」
「煩ェ!」
 踏み込んだ勢いそのままに左ストレートを叩き込んだ。
 まともに鳩尾に一撃を食らった彰二は、咳き込んで地面に転がった。
「ダチだからな。顔面は避けといてやったぜ」
「さ、斎木君……、本当に……、ガホッ、か、覚醒してない、の……?」
 涙目で彰二は咳き込んだ。
「今の……、人間業じゃなかったよ……?」
「…………オレもちょっとそう思った……」
 手に巻かれた包帯にはうっすらと血が滲んでいるが痛みはない。腹も痛みが治まっている。あれだけ動いたというのに、傷が開いた様子はない。
「……今のオレ……覚醒してるのか……?」
 彰二はジッとこちらに目を凝らしていたが、かぶりを振った。
「……霊紋を確認できないから何とも言えないよ……。組長ならわかるだろうけど。でも、斎木君の霊格は高すぎる……。それで覚醒していないっていうんだったら、僕達は立つ瀬がないや……」
「そうか……」
 一真は通りの先にある交差点を見やった。
「もうちょいしたら、松本先生が来るらしいから痛かったら診てもらえよ」
「待って……、お願い……」
 ジーンズの裾が引っ張られた。
「沖野……。勝負はついただろ?」
 ため息交じりに呟く。離すどころか、彰二は今度は左の足首を掴んだ。
「……まだ邪魔すんならマジで沈めんぞ?」
「ぼ、僕のことは信じてくれなくもいいよ!でも、組長のことは信じて!あの人は僕達なんかとは全然違う!霊格が桁違いなんだ!あの人なら、きっと詩織ちゃんのこと助けてくれるから!お願い!邪魔をしないで!」
「沖野……」
 春の風が吹いた。一週間前よりも随分と温かくなった気がした。
「言いたいことはそれだけか?」
「え?」
「あのな、沖野。信じる、信じねェの問題じゃねェ。先輩の邪魔をするとも言ってねェ。オレは詩織を探しに行くって言ってるだけだ。それをお前が邪魔するっていうから、ぶちのめしただけだろ……」
 左拳を握りしめ、振り向いた。
「で?どうする?トドメを刺されるか、手を離すか……。急いでんだ。五秒以内に選べ」
「さ、斎木君……。目が怖すぎるよ……」
 怯えながらも彰二は手を離さない。
(あの幼稚園児に凄まれて泣いてた沖野が……。根性あるじゃねェか……)
 感心し、口を開いた。
「いーち、にー、さーん……」
 問答無用のカウントダウンに彰二がサッと青ざめた。
「ちょ、ちょっと!?本気!?本気なの!?で、でも、僕だって!補佐の面子があるんだからあああああ!」
「しー、ごー……、残念だぜ、沖野……」
 ヒョイッと右足を持ち上げた。
「安心しろ……。一撃で沈めてやる……」
 無表情に友人を見下ろす。
「鼻くらいならへし折っても平気だよな?覚醒してんだし」
「うわああああああ!?ちょっと待ってええええええええええええええ……!!」
 恐怖で顔を引きつらせ、彰二は汗と涙をダラダラと流しながら手を離した。
「ったく、握った跡ついてるじゃねェか」
 皴になったジーンズを軽く叩いた。
「そういえば、お前も槻宮受けたんだよな?受かったのか?」
「へ?うん、受かったけど……」
「じゃあ、高校同じだな。槻宮に行くんだろ?」
「……そうだけど……、また仲良くしてくれるの……?」
「当たり前だろ。学校始まる前にどっか遊びに行こうぜ。じゃあな」
 軽く手を上げ、一真は邪跡が続く大通りへ向かった。
「よかった……!」
 一人残された彰二はティッシュペーパーを取り出した。
「斎木君に嫌われなくて……、本当によかったよぉ……」
 夜の通りに鼻をかむ音が響いた。
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