文字数 1,317文字

 血のような赤が夜空を染め上げていた。
「じきに戒様がお戻りになるぞ!」
「東門に伝達を!急げ!!」
 慌ただしく駆け回る足音と羽音、飛び交う号令と伝令の声から切り離されたような一室で碧の瞳の青年が一礼した。
「これより出陣仕ります」
「お独りでか?」
 赤い髪の青年は驚いたように眉を顰めた。
「いかに貴方といえども、この禍の中を単騎では……。戒の帰還を待たれてはどうだ?」
「これを機に現へ下る所存です。オレが先陣にて露払いを。戒達が後を引き受ける手はずになっています」
「そうか……。今宵、逝かれるのか……」
 青年は閉ざされたままの瞼を手で押さえた。
「随分と荒々しい出立を決められたのだな……。せめて皆で、旅の無事とお役目の成功を祈りながら見送りたいと思っていたが……」
「湿っぽい見送りは勘弁してくださいよ。これくらいのほうが、狼の霊筋らしいでしょう」
 碧の瞳の青年は笑みを浮かべた。
「留守中、部下達を頼みます。不器用な連中ですが、戦いだけは他の霊筋に引けを取りません。お役に立てることもあるでしょう」
「それは頼もしい、と言いたいところだが、貴方は少々、天狼の忠誠心を侮っているようだな。彼らにとって主不在の千年は拷問にも似た苦痛だろう。妖変を鎮めに行かせたら最後、憂さ晴らしに妖獣が八つ裂きにされそうだよ。とはいえ、有難い戦力には違いないな」
 彼は真摯な顔をした。
「お役目を大事とされるのは当然だ。だが、貴方が失われることはあってはならない。千年後、無事に鞍馬に戻ってくると約束してくれるな?風狼斎(ふうろうさい)殿」
「むろんです。魔天狗殿も、どうか息災で」
 互いに笑みを浮かべ、風狼斎と称される青年は部屋を後にした。
 赤く染まった月を覆い隠して碧の嵐が吹き荒れたのは、その一刻後のことだった。
 



 頬杖をついていた手からずり落ちかけ、斎木一真(さいき かずま)は目を開けた。
「ヤベ……、寝ちまってたか……」
 どうやら五色橋(ごしきばし)の欄干に肘をついて考え事をしている間に転寝をしていたらしい。
 人通りの少ない夜の静かな橋の上にいると、大坂からの旅の疲労と部屋掃除の疲労が一気に押し寄せてきてウトウトしていたところまでは覚えている。
「コンビニなくなってるとか、勘弁してくれよ……」
 ぼやいてみても何も変わらないが、吐き出さずにはいられなかった。
 春から、この町の高校に通う為に大坂からはるばる祖父の家に下宿に来たのが、今日の昼間だ。同じく、春から中等部に通う妹の詩織(しおり)も一緒に来たまでは良かった。
 まさか、去年の秋に祖母に先立たれた祖父の無駄に広い家がゴミ屋敷一歩手前の散らかりようになっていたなんて思いもしなかった……。
 そこからは何をどうしていたのか、よく覚えていない。
 確かなのは、何とかして食料を調達しなければ、自分も妹も空腹で眠れそうにないということだけだ。
 先ほどのあれは転寝ではなく、意識が遠のいたのかもしれない。
「はあ、どうしたもんかな……」
 今から市内へ出ていたら帰りのバスがなくなってしまう。祖父の家の自転車はパンクしていて使い物にならないのも確認済みだ。
「最悪、自販機のジュースで乗り切るしかねェな……」
 本日、恐らく最後にして最大のピンチに一真はがっくりと項垂れた。
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