第1話

文字数 5,398文字

「実はな、明日から暫く出張することになった」
 珍しく普通に夕食をとり、普通の時刻に風呂に入った祖父が真面目な顔で切り出したのは、町に戻って五日目の事だった。
「明日から?えらく急じゃね?」
「得意先から催促が来てな。少しばかり仕入れに行ってくる」
「仕入れ?」
 金物屋は開いているといっても、ほとんど客などこない。仕入れに行かなければならないほど売れていないはずなのだが、何故か、昔から祖父は「仕入れ」と称してどこかへ出張する。
「昔みたいに留守番しとけばいいんだよな?どこ行くんだ?」
「信……、いや、長野のほうへ二週間ほどかのう」
「二週間??」
 眉を顰める。
 伸真の「仕入れ」はとにかく長い。日帰りしたことはなく、三日から一週間が基本で、長い時は一ヶ月ほど戻ってこない時もあった。
「前から思ってたけどさ……。ジイちゃん、何を仕入れてるんだ?出張から帰ってきても、お土産しか持ってねェし、荷物が届いてる感じもねェし……」
「ほう、なかなかよく見ておるではないか。見直したぞ、一真」
「そ、そうでもねェけどさ……」
 祖父からこの手の褒められ方をしたのは初めてだ。なんとなく照れ臭くなって頬を掻いた。
「そうじゃのう。仕入れというよりは、顔馴染みとの情報交換といったほうが近いかのう。少しばかり人里離れたところに住んでおるから、一日二日で回れんのじゃよ」
「……金物屋の情報交換会でもやってんのか?」
「まあ、そんなところじゃ!」
 伸真は楽しそうに笑った。
「それで、相談なんじゃが」
 祖父は古びた帳簿と鍵の束、ノートを取り出した。
「出張中、店を頼んで良いか?」
「オレが??」
「お前なら大丈夫じゃろう。昔もやっておったし」
「……やってたっていっても……、奥で座ってたり棚の埃掃ってただけで、客が来たらバアちゃんや母さんを呼びに行ってたし……。二週間だけだったら、店閉めたらいいんじゃ?」
 どうせ、客もそんなに来ないのだから。
 祖父の家は無駄に広く、その一角で金物屋をやっている。家は通りの他の家と距離を置き、角にぽつんと立っている。そんな立地条件だから商売には全く向いていないらしく、店は常に閑古鳥が鳴いている。二週間休んだところで特に問題ないだろう。
「むろん、タダでとは言わん。ちゃんとバイト料を払おう」
「バイト~~?」
 昔は休みの日に一日手伝っても日給五百円だった。
 さすがに、この年になってそれはないだろうが、せいぜい日給千円くらいだろう。バイトとはいっても手伝いのようなものだし。身内だし。店の商品が全く売れていないのではしょうがないとは思うが。
(二週間フルで店開けたら、まあまあ金になるだろーけど……、オレもやることあるからなあ……)
 家の大掃除で高校入学の用意は何にもしていない。春休みの間に町をもっと見ておきたいし、市内にも行きたい。それに――、五色橋での出来事を探ってみたい。
 気乗りしていない心中を見透かしたかのように、祖父は人差し指を立てた。
「うむ。時給千三百円でどうじゃ?」
「時給!?時給で千三百円!?」
「朝十時から夕方の五時までで構わん。この帳簿にちゃんとつけてくれたら、戻った後にその分を支払おう。昼休憩も仕事時間として計算しても構わんし、売上があれば時給に上乗せしよう。休憩も適当にとってくれて構わん」
 衝撃が走った。
(な、なんなんだ……!?この、店の売り上げを無視した高待遇は!?)
 あんな、一日中座っていても客が一人来ればいい程度の金物屋の店番をするだけで、時給千三百円。立派にバイトではないか。ガタンッと音を立てて心の天秤が傾いた。
「ま、マジ?」
「うむ。詩織や光咲ちゃんが手伝ってくれたなら、その分も帳簿につけておきなさい。人数分払おう。日曜は休んでも構わんし、五時を過ぎたら一分単位で残業代も出そう」
「……ジイちゃん……、一応、聞くけど……」
「なんじゃ?」
「光咲の親父さんの世話になるようなこと……してねェよな……?」
 光咲の父は警視庁の刑事だ。滅多に家に帰ってこないが、帰ってきた時は光咲達と一緒に遊びに連れて行ってくれたり、キャッチボールをしてくれた。一真にとっては、もう一人の父親のような存在だ。迷惑をかけたくない。
「大雑把なくせに、妙なところで小心者じゃのう……」
「気になるって!こっちに帰ってきてから、店に客来てるとこなんて見たことねェし!どこから、そんな金出てくるんだよ!?」
「フ、そうじゃのう……。目に見えておるところだけが収入源というわけではない、とだけ言っておこう」
「その言い方、逆に怖ェよ……。見えてねェとこで何やってんだよ……?」
「安心せい。ご町内公認の商売じゃ」
「……なんかあったら、オレは詩織を連れて大坂に逃げるけど、いいんだな?」
「むろんじゃ」
 考えてみれば、光咲の家とはずっと親交がある。伸真が黒い商売をしていたならば、光咲の父がとっくに動いているだろう。
「やってもいいけどさ……」
「おお、やってくれるか……!恩に着るぞ」
 伸真はノートを開いた。表紙の裏に電話番号が書かれ、あとはずらっと名が書かれたページが続いている。
「この一覧に名前のある人が来たら、この番号に連絡をくれ。繋がるまでに時間がかかるじゃろうから、最初から客間に通して待ってもらうといいじゃろう」
「へえ、お得意様ってやつか?」
「うむ。その中には、昔、お前が店番をしておった時に訪ねてきた人もおるぞ」
「マジで?」
 ノートをパラパラと捲ると、ノートの五分の四くらいまでびっしりと名前が書き込まれている。どれも、一真が知らない名だ。
「……もしかして、ここに載ってる人が来るかもしれないから、店開けるのか?」
「古くからの馴染みばかりでな、緊急の用向きが多いんじゃよ」
「緊急で金物買いに来るって……」
 気になったが、そういうこともあるのだろうと自分を納得させておく。
「包丁を取りに来る人がおったら渡してくれ。研ぎ終わったものは名札をつけてわかるようにしておくからの」
「やってみるけど……、後で細かいこと言わねェでくれよ?」
「わしがやるより正確じゃろう。難癖つけたりせんから安心せい」
 一抹の不安が過ったが、祖父を信じることにして一真は帳簿と鍵の束を受け取った。



「うまい!マジうまいって、これ!」
「ホント?」
「よかった~~!大成功だね、光咲お姉ちゃん!」
「うん♪」
 詩織と光咲がハイタッチしている間も一真は忙しく左手のスプーンを動かした。
 暇な店とはいえ、一人だけでの店番となると思ったよりも疲れたようだ。温かいご飯とスパイスの効いたカレーが食欲をそそる。
「なんだか、前にもこーいうことあったよね」
 次の日の夕食時――、三人で食卓を囲んでいると、光咲が思い出したように言った。光咲の家も今夜は親がいないらしく、詩織に料理を教えたついでに一緒に食べていくことになった。
「あー、あった、あった。うちの家と光咲の家がどっちも急に留守にするとかで、オレらだけで夕飯作ったよな」
「あの時もカレーだったよね」
 詩織がスプーンを手に笑った。
「そうそう、一真君ってば玉ねぎ切ってくれたんだけど、目が痛くなっちゃって、拳骨で玉ねぎ潰しちゃったりとか」
「う……。そーいう光咲だって、ニンジンの皮剥いてたら削れて皮と実の区別つかなくなってたよな」
「うぐ。まだ覚えてたんだ、一真君」
「詩織と若菜ちゃんでご飯炊いたら、お水加減間違えて、お粥になっちゃったんだよね」
「マヨネーズで混ぜたツナ入ってるわ、ウインナー入ってるわ、タレのついたミートボール乗ってるわで、結構スゴイ物ができたよな……。食ったけど……」
「何かが違うって言いながら食べたよね。今考えたら、無理に作らなくてもよかったのにね」
「普通に弁当買えばよかったのにな……。ちゃんと夕飯代もらってたんだし」
「そうそう!四人とも『材料買って作らなくちゃ!!』って、スゴイはりきっちゃってたんだよね!」
 売っている弁当を買えばよかったと全員がうっすらと後悔したのは、お粥の上にミートボールとウインナーが泳ぎ、マヨネーズでマイルドに変色したカレーもどきを目にした時だった。
「あれから、私、お料理だけは作れるようになろうって思ったっけ……」
「オレも。次の日から目玉焼きの練習始めたっけな。せめて、二日は自炊で生きられるようにしねェとってさ」
 今夜、口に運んでいるカレーは、あの時とは比べ物にならないくらい美味しいし、家で焼いてきてくれたというチーズケーキは、やや形が不均衡だがふっくらとしていて美味しそうだ。この四年で光咲は驚くくらい料理の腕を上げた。
「そういえば、伸真おじいさんの出張って急だったよね。長野だっけ?」
「昔から、ふらっといなくなるんだよな……」
 昨夜言っていた通り、伸真は朝早くに旅立って行った。二週間も出かけるというのに、荷物はビジネスマンが持っているような鞄一つだけ。前日、着替えを用意していたはずだが、持って行った様子はない。宿泊先に送ったのだろうが、いつの間に送ったのかわからない。
 小さい頃はそれほど疑問に思わなかった何気ないことが、不可解で奇妙な出来事のように映る。
「うちの店、そんなに客来ねェのに、ジイちゃんは忙しそうにしてるしさ……。あんまり考えねェようにしてたけど、ある意味、七不思議だよな……」
「……七不思議って言えば、一真君、知ってる?」
 チーズケーキを分けながら光咲はやや声を落とした。
「この町の鎮守様の話……」
「あ~~、夜九時過ぎたら子供は外出るなってヤツだろ?蛇が出るとか……。よくあるご当地七不思議じゃねェの?大坂にもいろいろあったぜ?」
 過った五色橋での出来事に気分が重くなった。
(あいつ、どーなったんだろな……)
 あの後、夕食を食べた後にこっそりと家を出て川原を見に行ったが、やはり誰もいなかった。次の日、信条に行く前にも五色橋に立ち寄ったが、川は至って平穏で、夢でも見たのではないかと思い始めている反面、現実に違いないと確信している自分もいる。
 なんともスッキリしない。
 伸真にも結局聞けずじまいになってしまっている。
「それがね、そうでもないらしいよ」
 光咲はチーズケーキを口に運び、やや真面目な顔をした。
「私も最初はよくある七不思議だって思ってたんだけど……。中学生になったら、九時過ぎることって普通にあるでしょ?そしたらね、本当に『蛇』に追い回された人がいるの」
「追い回された?どんなふうに?」
 蛇が人を襲う、といえばマムシが牙をむいている図くらいしか浮かばない。それはそれで怖いが。
「蛇っていうか、黒くて大きな……何かの生き物?そういうのに追いかけられて逃げてるうちに、蛇はいなくなるらしいんだけど。ごくまれに、『鎮守様』らしい人に助けてもらった人がいるって、中学では有名な話だったかな……」
「黒くて大きな生き物……?」
「でも、鎮守様に会った人は、『助けてもらった』っていうことは覚えてるんだけど、鎮守様がどんな姿だったかとかは覚えてないの。でね、私、お父さんに聞いてみたんだけど」
「おじさんに?」
「この話で相談を受けることも多いらしくて詳しいの。町に調べに来たこともあるみたいだし」
「それで、おじさんは何て?」
 一口食べたチーズケーキはさっぱりとした甘味だった。
「『鎮守様は包丁で蛇をぶつ切りにするから、たまに包丁が刃こぼれして使えなくなって、近くの家の包丁を借りられる。鎮守様が困らないように、常に包丁を万全な状態にしておこう』だって」
「……思いっきりはぐらかされたな……。つか、絶対、子ども扱いされてるって」
「やっぱり?私も、ちょっとウソだあって思ったんだけど、お父さん、真面目な顔してたからホントかなあって……」
「包丁で蛇ぶった切るって、どんなワイルドな鎮守様だよ……」
 橋の上で見た少年が手にしていたのは包丁などという生易しいモノではなく、刀のようなものだったが。
(……ありえるんじゃねェか……?)
 顔では笑いながら、頭はかなり真剣に光咲の話を受け止めていた。
 四年間も町を出ていたのだ。光咲はやや天然だから気づいていないだけで、それが町の中学生の常識になっているということもありうる。
 光咲の父親は肩書のわりにはお茶目な性格だが、案外、真面目に話していたのかも――。
(蛇があの黒いヤツだったら、フツーに刃こぼれくらいするよな……。まさか、本当なのか……?)
 五色橋の異常な光景を目にした者が他にいないと言い切れない。
 チーズケーキを口に運びながら真剣に考える。おかげで、ケーキの味が今一つわからなくなった。
「でもね、蛇が出たっていう日の後に、葉守の神主さんが大きな荷物を持って、金物屋に入っていくの、何回も見ちゃったんだ……。おじいさん、いつも包丁研いでるし……。もしかして、本当に包丁で退治するのかなって、ちょっと思っちゃったんだよね……。あれ?詩織ちゃん?」
 光咲は心配そうな顔をした。
「大丈夫?」
「詩織?」
「……え?」
 フォークを手に、詩織は夢から覚めたような顔をした。
「ぼんやりしてたよ?具合悪いの?」
「ううん、なんでもない」
「無理すんなよ?こっち着いてから、ずーっと片付けだったし、疲れてるんじゃ……」
「大丈夫!ちょっと眠いだけだから!」
 ふるふるとかぶりを振り、詩織は美味しそうにケーキを頬張った。
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