第2話

文字数 3,896文字

「そんなに凄いことになってるんだ……」
「おうよ、もう勘弁してくれって感じだぜ……」
 新しくできたというコンビニからの帰り道、自転車を押して歩く光咲と並んで歩きながら、一真は深々とため息をついた。
 袋の中には、三人分の弁当と明日の朝食にお茶のペットボトル、インスタントの味噌汁が入っている。空腹に堪えるズシリとした重みも、食料だと思うと何ということはなかった。
「ったく、冷蔵庫に食いものなくて信条行ったら閉まってるし。光咲が通りかかってくれなかったら、オレも詩織も腹減って寝れねェとこだったぜ……」
 「信条」は町内のスーパーだが、夜九時には閉まる。
「ちょうどね、牛乳が切れちゃったんだ。橋を通りかかったら、一真君が川原で黄昏れてるんだもん。ビックリしちゃった」
「まあ、いろいろあってな……」
 あの奇妙な光景を光咲に話す気にはなれなかった。
 笑われるのがオチだし、真剣に聞いてくれたとしても、それ以上はどうしようもない。
「それにしても、あのコンビニ、いつ閉まったんだよ……」
「先月くらいにね、今のパン屋さんになったんだよ。パン屋さん、閉まるの早いもんね。さっきの松本医院の裏のコンビニは、今月の最初くらいにできたんじゃなかったかな……」
「四年しか経ってねェのに、どこに何があるのかわからねェよ……」
「一真君、私のことも、わからなかったもんね」
「悪かったって!だって、お前、背伸びてるし、服とか雰囲気変わってるし……」
 光咲の母方の実家は静岡だ。盆と正月に一真達がこっちに戻ってくるのと同時期に彼女達は静岡に行ってしまう。そうやって四年間、入れ違いになっていた。
「最後に会ったの、小学生だしさ……。わからねェよ……」
 光咲はプッと頬を膨らませた。
「え~~、ひど~~い!私は、すぐに一真君のこと、わかったのに~~!」
「すぐって……、オレ……、そんなに変わってねェのか?」
「うん、全然♪」
 がっくりと肩を落とした。
「マジか……。けっこう背とか伸びたと思ってたんだけどな……」
 この四年間で背もかなり伸びたし、顔つきも大人ぽくなったと思っていたのだが。四年間会わなかった光咲がすぐに気づいたということは、自分で思うほど成長していないということなのだろうか。
「そんなに落ち込まないでよ~~。冗談だってば!」
「へ?」
「最初はね、ちょっと似た人がいるなって思って、通り過ぎたの」
 光咲は悪戯っぽく笑った。
「でも、やっぱり似てるって思って、戻ってきたんだ。三回くらい橋の周りを往復しちゃった!」
「え、マジか?」
「うん、マジ」
「悪い、全然、気ィつかなかった……」
「河童を探してるみたいな顔で川を睨んでたもんね。声かけるの、ちょっと迷っちゃった。戻ってくるなら、連絡くれたらよかったのに……」
 少し拗ねた表情に慌てて取り繕った。
「だってさ、よく考えたら、お前のアドレス知らなかったし、どーせ近所だからすぐに会うって思ってたし。家に電話するのも、ちょっと違うからさ……」
 お互いに携帯を持ってはいるが、この浅城町は電波状態がとにかく悪く、上手く繋がらない。
 電波の悪さは深刻な分、鎮守様よりも有名な七不思議だ。槻宮学園を運営しているのが多くの子会社を傘下に持つ大企業・槻宮グループであることから、「槻宮グループが裏山で宇宙人と交信していて電波妨害されている」だの、「槻宮グループが町の地下に秘密施設を作っていて電波が乱れている」だの、妙な噂が飛び交っているが、真相は不明だ。
 はっきりしているのは、この町で一番確かな通信手段は有線の電話で、光咲と確実に話そうとすれば、彼女の母や若菜が出るかもしれない危険を覚悟で自宅の固定電話にかけるしかないということだ。いくら家族ぐるみでのつきあいで、彼女の両親とも顔馴染みだといっても、電話はハードルが高い。
「なんてね、ちゃーんと連絡もらってたよ。一真君のお母さんから」
「母さんが?」
「うん。一真君と詩織ちゃんの二人だけで、春からおじいさんの家に下宿することになったから、よろしくって」
「なんだよ、それ……。初耳だぜ……」
 出発前に「光咲ちゃんにちゃんと挨拶に行くのよ」などと含みのある笑みを浮かべていたのは、そういうことだったのだろう。
「そうなんだ?あとね、槻宮学園に入学するから面倒みてやってねって。一真君も詩織ちゃんも、二人とも受かったんでしょ?おめでと」
「てことは、光咲も?」
「うん。槻宮学園。近いし、特別奨学金制度に当たったからラッキーって。実は若菜もなんだよね。春からは高等部と中等部で槻宮学園に入学だよ」
「それって、あのクジだよな?オレと詩織も当たったけど……」
「ホント!?」
 槻宮学園には一風変わった奨学金制度がある。入試時にクジと称する封筒を一つ選び、校章が描かれた紙が入っていれば当たりで、合格後に提出すると授業料が半額免除される上に寮も無料でついてくるというものだ。奨学金のくせに成績は一切関係ないという謎の制度だが、槻宮学園が人気のある理由の一つとなっている。
(あれって……、そんなに当選率高かったのか……?)
 試験会場で配られてすぐに開けたが、周りからは溜息ばかりが聞こえていた。帰りも、ハズレを嘆く声ばかりだった。それだけに、詩織と兄妹揃って当たって申し訳ない気分になったくらいだ。
「寮はいらないよね。町内だし。辞退しちゃった」
「便利かもしれねェけどな。ジイちゃんの家のほうが落ち着くし、放っておいたらジイちゃん、野垂れ死にしそうだからさ……」
「それ、わかるなあ」
 光咲は立ち止まった。ちょうど、彼女の家の前だった。
「ね、一真君……」
「ん?」
「あと三ヶ月以内に人間じゃなくなるって言われたら、どうする?」
「は?なんだそりゃ?」
 光咲は慌てたようにパタパタと手を振った。
「あ、えっと……。ちょっと今、学校で流行ってて……!一真君ならどう答えるのかなって思っただけだから!忘れちゃっていいから……」
「あ~~、そうだな、オレだったら……」
 一真は少し考えた。
 待っている間、光咲はポケットから白い金平糖を取り出し、口に放り込んだ。コロコロと口の中で転がしているところは、小さな頃のままだ。
「別に、どうもしねェんじゃねーかな」
「え?」
「そりゃ、足増えたりとか宇宙人みたいになるってんなら何とかして阻止しようとするけどさ……。今と同じだったら何も変わらねェし、悩むだけムダじゃね?」
 光咲は驚いたように耳を傾けていたが、右手をキュッと握り締めた。
「あは、一真君らしいなぁ……」
「なんだよ、それ?」
 気持ちに区切りをつけるように一度瞼を下ろし、光咲は晴れ晴れとした顔で笑った。
「ね、明日、お家に行っていい?」
「……来るのは構わねェけど……。さっき言った通り、ゴミ屋敷だぜ?」
「だからだよ。一真君と詩織ちゃんだけじゃ、お掃除大変でしょ?春休みだし、お手伝いに行ってあげようかなって」
「……助かるけどさ……。マジで汚いぜ?」
 念を押すと、光咲はにこにこと笑った。
「うん、知ってる。お母さんが何回か煮物持って行ったりしたけど……、どんどん凄いことになってるって言ってたし……」
「……それはスマン……」
 どうやら、祖父は生活破綻の挙句、ご近所の好意で生き延びてこられたらしい。筋トレ好きで、店の奥で包丁を研いでいるイメージしかない筋肉ジジイだが、何故か昔からご近所どころか町内で人望があったように思う。
「ううん、おじいさん、すっごく忙しいんでしょ?仕方ないよ。それに、あのお家は、四人で過ごした、もう一つのお家みたいなものだもん。ゴミ屋敷って聞いちゃったら、行かないわけにいかないよ」
「よく遊びに来てたもんな、お前と若菜とで……」
 若菜は光咲の妹で、詩織の同級生だ。小さな頃、両親が仕事の都合で不在なことが多かった光咲と若菜は、しょっちゅう遊びに来たり泊まったりしていた。自然、一真と詩織とも仲良くなり、四人で一緒に過ごす時間が長かった。詩織は本当の姉のように光咲に懐いているし、一真も、光咲と若菜のことは幼馴染というよりも、兄妹や従妹といった感覚でいる。
「じゃあ、悪いけど、頼むわ。正直、オレと詩織じゃキツくてさ……」
「決まりだね。明日のお昼くらいに行くね」
 光咲は笑顔で手を振った。
「また明日。おやすみ!」
「おう、おやすみ」
 軽い足取りで家に入って行く光咲を見送り、一真は少し離れた祖父の家へと歩き始めた。
(ジイちゃんって……、そんなに忙しいのか??)
 一真が知る限り、伸真が営んでいる金物屋はそんなに繁盛しているわけではない。今のご時世に金物屋がそんなに儲かるはずがないことくらい、一真だって知っている。
 だが、時折、やたらと立派な身なりの人物が店の奥の客間に来ていたのを覚えている。さらに不思議なことに、全く売り上げがないというのに店のシビアな話を聞いたことがない。何か副業でもやっているのかもしれない。
「家片づけてから聞けばいっか。とにかく、メシだ、メシ」
 袋の中で紙コップと紙皿が覗いた。そこまで危険ならばと、光咲がアドバイスしてくれたものだ。
 ゴミ屋敷寸前の祖父の家、四年の年月が流れた故郷、奇妙な少年、思い出してしまった妙な七不思議……、いろいろなことがありすぎた一日だったが、最後に光咲と再会できたことで、重い気分が一気に軽くなった。
(明日の昼だったよな)
 光咲が来る前に、せめて廊下だけでも通れるようにしておかなければ。いや、それよりも先に、信条に掃除用品の買い足しに行かなければ。
 煤けていた未来が明るくなった気がして、一真は通りを一気に駆け抜けた。
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