第3話

文字数 4,679文字

 拳をギリギリで止め、奥歯を噛みしめた。
 ――やっぱ、そうだったのか……
 ガードしようとした左腕が間に合わずに中途半端なところで止まっている。
「アンタ……、バカだろ……?」
「え……?」
 戸惑うような声に苛立ちとも怒りともつかない感情が波立った。
 拳を引き、うっすらとパーカーの色が変わった左肩を睨んだ。
「いくら不意打ちだったって言っても、アンタの速さなら止められたはずだぜ……。左腕がまともに動くんならな……」
 赤い瞳が動揺に揺れた。
「肩、全然治ってねェんだろ?夕方に包帯巻いていたヤツ、また開いてるよな?」
 沈黙が落ちた。
 それは一真の言葉を肯定しているのも同じだった。
「ったく、怪我人殴れるわけねェだろ……。他の勝負で仕切り直しだな……」
「その必要はありませんよ」
 望は長い息を吐いた。
 霊気が鎮まり、赤い光が消えた。暖色の光が消えると、淡い色のパーカーに滲む赤が現れた。
「僕の負けですよ。あのタイミングじゃ、左肩が動いたとしても、止められたかどうかわかりません……。左側に回り込んだのも、偶然じゃなくて怪我のことを計算してたんでしょう?自分の考えが合ってるかどうか……、実際に殴りかかって確かめようって」
「……まあな」
「怖い人だなあ。あの状況で、戦略立てて攻撃してくるなんて……。完全に見誤っちゃったかな……」
 望はパーカーを脱いだ。
 黒いシャツでは血の色はわかりにくいが、代わりに鉄の匂いが漂った。
「肩を見破られるとは思わなかったな……。どこでわかったんです?」
「最初におかしいって思ったのは、右で不意打ちした時だよ。いくら油断してても、あんなしょぼいの食らうわけねェ」
「あの時か……」
 諦めたような笑みが浮かんだ。
「あれはね……、凡ミスですよ。あの程度なら左腕でも大丈夫だって思ったんですけどね……。予想よりも腕が持ち上がらなくなってたんですよ……」
「気ィついたのは、もっと後だけどな……。あのあたりから、やたら余裕なくなってたし、よく考えたら、防御も攻撃も右だけでやってたしさ……。オレを投げ飛ばしたのだって、時間稼ぎしたかったんだろ?あの時、やたら左肩とか気にしてたからさ……。初めに左で圧した時に、傷開いて限界に来てたんじゃねェかなって思ったんだよな……」
「正解……」
 望はぺたりと川面に座った。
「霊符は光るから、夜に使ったらバレちゃうんですよ。調子がいい時は霊気だけでも治せるんだけどな……」
 シャツの下の包帯は半分以上が赤く染まっている。傷は相当深いのだろう。取り出した符を包帯の上に貼り付けているが、どれくらい効くのだろうか。
「……止める気なんてなかっただろ?」
「どうして?」
「本気で止めようって思ってる奴が素手で殴りにきたりしねェよ。得物使ってど突き倒したほうが早いし、楽じゃねーか。オレだったら何も言わねェで殴り倒して、札でも貼っとくって」
 どっかりと川の上に腰を下ろす。慣れてしまえば、地面の上とさほど変わらない。
「さりげなくアドバイスしてたしさ……。実力差で戦意喪失させたかったんなら、何発か食らわせとけば十分だしさ……」
「……最初はすぐに終わらせるつもりでしたよ……」
 望は青く光る霊符を眺めた。
「だけど、気が変わっちゃったんですよ。感覚だけであそこまで霊気を操れるんだったら……、一度の実戦でどこまで伸びるのかなって……。びっくりするくらいレベルアップしていくから……、最後はつい本気になっちゃったけど……」
「本気って、あの火の玉か?あんなの、どういう状況で使ってんだよ……」
「……邪に撃ったことなんてありませんよ。人に見せたのだって、さっきが初めてです」
「は?」
「なんとなくだけど、一真君なら撃っても大丈夫かなって……」
「や、無理だろ。けっこう熱かったしさ。周りが水じゃなかったら、危なかったって」
 静かに笑う気配がした。
「あれを撃たれて、そんな普通に感想言えるの、一真君くらいでしょうね……。普通の隠人なら風を見ただけで怖がって逃げ出しますよ……。見よう見まねで霊風を使いこなしてたし……。一真君、天狗かもしれないですね」
「天狗?」
 思い切り眉を顰めた。
 さっきの冶黒といい、今夜はやけに天狗に縁がある。
「あれって妖怪だろ?隠人と関係ないんじゃ?」
「大ありですよ。天狗っていうのは霊獣の力が強すぎて人の世で生きられなくなった隠人なんですから」
「じゃあ、オレ達って、レベルアップしすぎたら天狗になっちまうのか?」
「特殊な術をかければね……」
 脳裏を少ない「天狗」の知識と冶黒達が過った。
「げ~~、鼻が伸びて顔が赤くなるとかっていうのは勘弁してほしいんだけどな……。羽生えてカラスの面になったりしねェよな……」
「烏天狗とかは例外ですよ。天狗は僕達と外見はほとんど変わりません。天狗の中でも、霊風は戦いを生業にする集団・宵闇の証でもあるんです。普通は天狗道に入らないと霊風なんて扱えませんけど……」
「そうなのか??先輩も使ってたじゃん。あの赤い風、霊風じゃねェの?」
 望は寂しそうに笑った。
「……僕はね、『化け物』なんですよ……」
「へ?」
「僕も一真君と同じ……、感覚だけで霊気を操れて、霊風を呼べました。神社が鎮守隊を纏めてるのもあって、すぐに霊山の目に留まりましたよ……」
「そういえば、霊山って?」
「天狗が拠点を置く霊的な山ですよ。天狗の転生体かもしれないって、最初は期待されたんだけど……。だけど、天狗の証拠でもある前世の記憶がないから、隠人だろうって……。それ以来、現衆では腫れ物のような扱いです……。僕の中に大昔に宵闇に封印された化け物が封じられてるんじゃないか、あるいは僕自身が化け物なんじゃないかってね……」
 一真は鼻の頭を掻いた。
「なら、オレも化け物だな」
「まだわかりませよ。これから前世のことを思い出すかもしれないし……」
「ここに来る前に烏天狗って奴に会ったんだけどさ。そいつらに化け物呼ばわりされたし……、どうかしたのか?」
 望は頭痛を覚えたように頭を抱えていた。
「忘れてた……!霊山から視察団が来るの、今日だった……!」
「あのカラス集団、先輩に会いに来たのか?」
 思えば、一行が向かっていたのは葉守神社の方向だった気がする。
「そういうわけじゃないけど、主座として同席しないといけないっていうか……」
「別にいいんじゃね?なんか、ヌルそうな奴だったし、すっぽかしても大丈夫そうだったぜ?」
「冶黒様と話したの?」
「ちょっとだけな。事情知ったら、詩織が浅瀬橋にいるって教えてくれて、この札くれたんだよな」
 ジャケットの裏に貼っていた札を見せると、望は驚いた顔をした。
「天一の霊符じゃないですか」
「なか……?」
 彼は手にしていた青く光る札を見せた。気づかなかったが、同じ色に光っている。
「治癒力のある霊符ですよ。天狗が自分の霊気を込めた霊符を贈るのは信用の証です。随分と気に入られたんだなあ」
「そうなのか??」
 しきりに感心している様子なので、出会い頭に殴り飛ばしたとか、霊風で部下を吹き飛ばしたあたりは黙っておくことにする。
「もう神社に着いちゃってる頃だなあ……。どんな人でした?」
「どんなって……、見たまんまのカラス人間っていうか……。陣羽織着て杖持ってて、爺臭くて……。態度でかかったっけな」
「烏天狗ですからね……。キツい感じでしたか?」
「全然。ちょっと動きの激しいゆるキャラみてーな感じ」
「そっち系かあ。よかった……!」
「先輩、会ったことねェの?」
「信濃の霊山の重鎮だもの。一介の鎮守役なんかじゃ、普通は会ってもらえないし、話もできませんよ」
 激しい違和感が襲った。
 受けるプレッシャーも、漂う品のようなものも望のほうが数段は上だろう。
「冶黒様が今夜の鎮守隊の状況を知ってるなら欠席しやすいかな……。少し待っててくださいね」
 望は首から下げた水晶を手に取った。
 水晶に赤い五芒星が浮かび、赤い光がポツリと灯る。
「あ、おじい様?今日なんだけど……」
 身内が相手なせいだろう。かなり砕けた口調だ。
(無線みてーだな……)
 イヤホンを着けていないのに、水晶から相手の声は聞こえてこない。だが、望の耳には誰かの声が届いているようだ。あれも超能力の一種なのだろうか。
「これで良し、と……」
 通信を終え、望はパーカーを羽織り直した。
「約束でしたからね。まだ包囲は完成していないみたいだし、話を聞きましょうか。だいたいの用件はわかってるけど……」
 琥珀色に戻った瞳が見つめた。
「妹さんの邪を鎮めるのに同行させろ、とか言うつもりでしょう?」
「ああ。そのつもりだぜ」
 頷くと、望は「やっぱり」と小さく笑い、膝を抱えた。
「どうしようかなあ。戦闘力だけなら問題なさそうだけど……」
「ホントか!?」
「でも、今回はやっぱり厳しいかな……」
「なんでだよ?」
 少しムッとするが、今ならば多少のことを言われても落ち着いて話せるような気がした。
「巣食われた隠人を救出するのは、普通に邪を鎮めるよりも難しいんですよ。人質を取られてるようなものだもの」
「わかってるけどさ……」
「こっちは迂闊に攻撃できないけど、向こうは容赦なく攻撃してきます。一真君は攻撃は問題なさそうだけど、防御はできないでしょう?危険すぎますよ」
「構わねェよ。怪我には慣れてるし。この札、治癒ってことは怪我とか治せるんだろ?」
「痛いのは一真君だけじゃありませんよ」
 静かに望は笑った。
「正気に戻った時、巣食われている間の記憶が残る人が三割くらいいます……。もしも妹さんに記憶が残ってしまったら、お兄さんを傷つけた罪悪感をずっと背負うことになります……。人を刺した感触と一緒に……。そんなの、可哀そうでしょう?」
 反論できずに黙り込んだ。
 小さなことでも悩んでしまう妹が、いくら邪に憑りつかれたとはいえ、自分が人を刺したという事実に耐えられるとは思えない。
「じゃあさ、一つだけ教えてくれよ」
 赤い光が揺れる空を見上げた。
「鎮守隊が隠人もろともに邪を倒すっていう噂……、あれ、本当なのか?」
「デマですよ」
 望は間髪入れずに否定した。
「北嶺さんから聞いたんでしょうけど……。覚醒前は隠人のことも邪のことも情報が少ないですからね……。脚色された話を信じて余計に怯えてしまう人は多いんですよ。ちゃんと講習を受けたら、すぐにデマだってわかるんですけど……、覚醒しない限り講習への参加を強制できませんからね」
「そっか……。そうだよな……」
 やはり、という気持ちのほうが強かった。
 だいたい、本当に鎮守役が隠人もろともに倒しているならば死傷者続出だ。ニュースで連日大騒ぎだろう。
「だけど、邪を引き離す過程で怪我をさせてしまうことはあります。どれだけ気を使っても、こればかりはどうしようもありません……。防戦だけじゃ、助けられないもの」
「……そうだよな……」
 あの時の詩織に声は全く届いていなかった。
 力づくで化け物を引き剥がすしかないのは頭のどこかでわかっていた。
 それが巣食われている隠人だけでなく、鎮守役にとっても危険な戦いなのだということも。
 霊力を使えるようになった今、特に強く感じる。
「なあ、先輩……」
 空から視線を移し、望の横顔を見た。
「邪を引き剥がしたら、詩織は元に戻るんだよな……?」
「ええ。戻ります」
 確信に満ちた顔で望は頷いた。
「だから、ここで待っていてください。今の一真君なら、ここからでも戦況がわかるでしょう?」
 きっとギリギリの譲歩なのだろう。
 頷くしかできなかった。
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