第3話

文字数 7,045文字

「ジイちゃん?城田っていう人が来てるんだけど……」
 今時珍しい黒電話の受話器を手に、一真はようやく電話口に出てきた祖父に「古くからの馴染」の名を告げた。
『城田?宗則か?』
「望。城田望っていう人が、ジイちゃんと話がしたいって……」
『おお、望君か!』
 どうやら本当に知り合いらしい。
『彼とは近いうちに話をせんといかんと思っておったところじゃ。ちょうどいい。代わってくれ』
「ちょっと待っててくれ」
 これまた珍しいアンティークな置台に受話器を置き、一真は客間へと急いだ。軽快なメロディーが廊下に流れる。
「あの、城田さん?ジイちゃんに繋がったけど……」
「わかりました。ありがとうございます」
 ちょこんと座布団の上に正座して缶のカフェオレを啜っていた望は静かに立ち上がった。
 慣れた様子で電話が置かれた突き当りへ歩いていく。
 隅に重ねられている座布団を自分で出していたあたり、何度か客間に上がっているのかもしれない。
(もしかして、ずっと正座してたのか?)
 少し凹んだ座布団をしげしげと眺める。
 祖父に繋がるまでの十五分ほどの間、ずっと正座していたのだとすれば、相当足にきているはずだが、先ほどの望には脚が痺れている様子は全くなかった。
 畳に座る時は問答無用で胡坐をかく一真にとって、かなり風変わりな客だった。
(関係がさっぱりわからん……。店のお得意様ってとこが既に謎だが……)
 男子高校生が金物屋に何を注文しに来たというのだろう。外見から判断するわけではないが、望の雰囲気だと製菓用品が一番ありえそうだが、出張先の店長を呼び出してまで注文するようなものなのだろうか。
(家がケーキ屋やってるとか……?)
 四年の間に町に美味しいケーキ屋ができていたとしてもおかしくないし、それならば大歓迎だ。光咲ならば何か知っているかもしれない。
 一真があれこれと想像を巡らせている間に、望は受話器を手に親しげに話し始めていた。
「ええ、その件で……。あ、いえ、急ぎませんから……。代わりの物はお借りしていますし……。え?もう祖父から話が?ありがとうございます」
 決して聞こうと思っているわけではないが、廊下から話し声が漏れてくる。店が静かなので筒抜けだ。
(あんま聞くもんじゃねェよな……。オレ、ただの臨時バイトだし……)
 カウンターに戻ろうとドアに手をかけた。
「一年ほど前から兆が出ていて情緒不安定?」
 不意に望の声が硬くなった。
「僕が視た感じだと、安定していて心配なさそうですが……。え?一真君じゃなくて妹さんですか?いえ、そちらはまだ……」
(オレ!?妹ってのは、詩織のことか!?)
 何故、祖父と望が自分達の話をしているのだろう。
 しかも、どうして――、詩織が情緒不安定だったことを、望に話している?
 思わず廊下に出て息を呑む。
 望の背がやけに大きく見える。いや、プレッシャーを感じる。
 ――この感じ……?
 得体のしれない存在への恐怖と強烈な懐かしさがぐるぐると回った。
(あと少し……!あと少しで何か……!)
 思い出せそうな気がする――。
「そうでしたか、兆が出たから町に……。ああ、だから槻宮学園を。じゃあ、お孫さん二人に兆が?え?一真君は全く出ていない?でも、かなり格が高いようですが……。そうです、彼も恐らく隠人(おぬと)だと……。わかりました。この件は僕が預かっておきます」
 和やかな口調に戻り、望は受話器を置いて振り向いた。
「あれ、一真君。お店にいなくても大丈夫?」
 おっとりと話す姿からは先ほどのプレッシャーは消えていた。一真の中で渦巻いていた妙な感覚も霧散していく。
「いや、その、ジイちゃんと話してたことなんだけど……、別に聞くつもりはなかったんだけど、聞こえたっていうか……」
 どう切り出したものかと悩む。
 望は予想していたのか、穏やかに笑った。
「構いませんよ。少し、話しましょうか?」
 促されるままに客間に戻る。望は隅から座布団をもう一枚持ってきて一真に勧めた。もはや、どちらが客かわからない。
 向かい合って座ると既視感が襲った。
(前にもこんなこと……、なかったっけか……?)
 もっと広い場所で――。
 あれはどこだっただろうか――?
「妹さんは?できれば会っておきたいんだけど……」
 望は特に何も感じていないのか、普通に話し始めた。
「今日は友達の家に行ってるんだけど……」
 光咲の家でクッキー作りを教わるのだと、昼食後、意気揚々と出かけて行った。
 こっちに戻ってきて光咲と再会してからは情緒不安定はすっかり落ち着き、楽しそうにしていたから安心していたのだが。
「そうですか……」
 望はカフェオレに口をつけた。
「その、呼んできたほうがよかったりするのか?」
「そこまでしなくても大丈夫ですよ」
 にこやかに笑い、望は唸った。
「何から話したものかな……。四年前まで町に住んでいたって言ってたけど、鎮守様の話とかは知ってる?」
「ちょっとは」
「ちょっとかあ。どれくらい知ってるかによって、僕の説明も変えなくちゃいけないんだけど……。知ってる範囲で聞いてもいい?」
「えっと、夜九時過ぎたら蛇が出てきて、そいつを鎮守様が包丁でぶった切るけど、たまに切れ味が鈍って民家の包丁を借りてく話……だよな?」
 望が噴き出した。
「え?オレ、真面目に話したんだけど??」
「ご、ごめん!僕が知ってるのより、かなり前衛的になってるって思っただけだから……!それにしても、包丁って!切れなくもないけど、超接近戦になるなぁ……!切れ味鈍って、普通の家の包丁盗ったら、ただの泥棒だし!蛇と戦った包丁なんて、返されたって迷惑なだけだよね~~!」
「いやまあ、オレもそんなことに使った包丁なんて返さないでほしいな~~、とは思ったけど……」
 よほどおかしかったのか、望は腹を抱えてひとしきり笑った。
「とりあえず、知っておいてほしいのは、鎮守様と蛇は本当にいるから、この町では夜九時以降は外出を控えてくださいってことだけだから。包丁のくだりは忘れちゃってもいいですよ」
「やっぱ本当にいるのか?」
 思わず身を乗り出した。
「もう少し言えば、『鎮守様』っていうのは神様とか都市伝説の妖怪とかじゃないですよ。蛇……、正確には『邪』なんですけど、それを抑えられる力を持っている人が集まっている集団があって、その中でも邪を鎮める人を鎮守役っていうから、鎮守様っていうだけで……」
「……邪……」
 一真の脳裏に広がっていたのは、橋の上から見た黒い手と刀を持った少年だった。
「鎮守隊っていって、地域ごとに鎮守役を中心にした邪を鎮める専門部隊があって、この町にも常駐しています。鎮守隊は一日の内に何度か、夜間を中心に町内を巡察しているんですよ。それが『鎮守様』の正体です」
「なんか凄そうなんスけど……。なんで、こんな普通の町にそんなのがいるんだ??」
「この町は土地そのものが霊力を帯びていて、町が丸ごとパワースポットみたいになってるんですよ。土地の霊力が強いほど、穢れた邪が引き寄せられてきます。この浅城町で邪が出没する件数は他の地域の百倍くらいらしいですよ」
「ぅげ」
「夜九時を過ぎると邪の動きが活発になってきます。一般人が邪に出くわして逃げているうちに、巡察していた隊員と鉢合わせになることもあるんですよ。現代で夜九時までに家に帰って、なんて言っても難しいんですけどね……」
「そんだけ詳しいってことは、城田さんも関係者なんだよな?」
「ええ。東京一帯を担当する武蔵国鎮守隊。その中の西組に所属しています。この町に常駐しているのは西組の一番隊だから、町内から参加すると自動的に一番隊の所属になります」
「その隊員って、刀持ってたりするのか?」
 琥珀の瞳が一瞬だけ細められた。
「刀とは限りませんけど。どうして、一真君がそんなこと知ってるんです?」
「え?」
「……もしかして、もう会いましたか?邪に襲われたとか……」
「会ったっていえば会ったかもしれねェけど……」
「どこで?」
「鎮守様かどうかはわかんねェけど……、一週間くらい前に五色橋の上で……」
「一週間前?何時くらい?」
 思い当たることがあったのか、望は俄かに真剣な顔をした。
「夜九時頃だったと思うんだけど……」
「……詳しく聞かせてもらっていい?」
 彼なら理解してくれそうな気がして、誰にも言えなかったあの光景を話した。
 望は時折、相槌を打ちながら聞いていた。
「そいつ、生きてたらいいんだけどさ……。一応、その後も川原に行ってみたけど、何にもなかったし……」
「生きてますよ」
 望は確信に満ちた表情で頷いた。
「心配しなくても簡単に倒されませんよ。隊員は皆、隠人ですから」
「隠人?」
「わかりやすく言えば、超能力者かな?霊感が普通の人よりも強くて、邪を抑える超能力が使えるって程度の理解でいいですよ。今は複雑なことを言っても混乱するだけでしょうし。隠人は一般的に体も普通の人より頑丈ですから、ちょっと怪我をした程度、平気です。きっと無事でいますよ」
「そっか……」
 胸のどこかにつっかえていた重いものが取れた気がした。
「無事ならいいんだ……。あの時、声かけるしかできなくてさ……。死んじまったとかだったら、オレにも責任あるのかなって……」
「助けに入らなかったからって誰も責めませんよ。初めて邪を目にしたら、普通は本能的な恐怖で声も出せません。危険を知らせてくれただけでも十分です。実際、そのおかげで、ちょっと肩を痛める程度で済んだんだし……」
「え?」
 望は意味ありげに笑った。
「それでね、僕がどうしてこの話をしているかっていうと……。隠人は家系で遺伝することが多いんですよ。例えば、僕の家は代々隠人で、祖父も姉も隠人なんです」
「なんかカッコいいな。代々、超能力者の家系ってやつじゃん」
「他人事じゃありませんよ。一真君だって立派な隠人の家系なんですから」
「うちが?冗談だろ?」
「土地の霊力の影響もあって、この浅城町一帯は隠人が多い地域なんですよ。だから、できるだけ邪に出会わないように、仮に隠人として覚醒してしまったとしても、馴染みやすいように、鎮守様の話を子供の頃から聞かせるんです」
「……ちゃんと理由あったんだな。ただの七不思議と思ってたぜ……」
「覚醒しなければ、そういう認識で十分です。隠人と関係のない家では、そう思っている人も多いでしょうし。隠人が多い浅城町でも、斎木家は指折りの強力な隠人の家系なんです。匠……、一真君のお爺様だって若い頃は鎮守役として邪と戦われていたんですから」
「ジイちゃんが?」
「強かったそうですよ。僕の祖父とライバルだったけど、家業を継ぐために引退されたそうです」
「へェ~~、あのジイちゃんがなぁ……」
 そんなことは初耳だ。
 言われてみれば、服の上からでもわかるほど、いいガタイをしている。あれはその名残だったりするのだろうか。
「そんなだったら、鎮守役じゃなくて金物屋のほうを辞めたらよかったのに……」
 閑古鳥が鳴いている金物屋より、町内を人知れず守る鎮守様のほうがカッコいい。
 正直な感想だったが、望は複雑な笑みを浮かべた。
「家業は金物屋だけじゃありませんよ」
「やっぱ、ジイちゃんって他に何かやってんのか?」
「そこはお爺様に直接聞いた方がいいです。僕の口からは、ちょっと」
「……本人に聞く前に、ここだけは知っておきたいんだけど……、なんかヤバいことに手を染めてたりってことは……」
「それはありませんよ。安心してください」
 望はにこやかに断言した。
「隠人の家系である以上、一真君と妹さんも隠人の可能性があります。一真君はまだそういう兆は出ていないみたいだけど、覚醒していない、潜在的な隠人だと思いますよ」
「てことは、オレも超能力者かもしれないってことか!」
 一真は左拳を握りしめてみた。
「なんか凄ェな……!」
「嬉しそうですね」
「超能力って、ちょっと憧れるじゃん!瞬間移動とか、念動力とか」
 望は視線を逸らした。
「……残念だけど、そっち系の能力は期待しないほうがいいと思うな……」
「え、そーなのか?」
「現衆レベルの修業だとそこまでの大技はちょっと……。宵闇とかなら、かなり近い術を使えるかもしれないけど……」
「宵闇?」
 望はハッとしたように口を噤んだ。
「僕もよく知らないけど、格の高い上級者集団ですよ。鎮守隊でも、あんまり関わることはありません」
「よくわからねェけど複雑なんだな」
「今はあんまり考えなくても大丈夫ですよ」
 望はカフェオレを一口飲んだ。
「隠人として覚醒すれば、術を使えて便利なこともありますけど、その反面、邪にも狙われやすくなります。兆が出たら用心したほうがいいでしょうね」
「……さっき話してた感じだと、詩織……、妹はそれが出てるってことだよな……」
「直接会わないと断言できませんけど、お爺様の見立てなら間違いないでしょう。だからって、兆が出てすぐに危険ってことはありませんし、兆が出ただけで覚醒しないで終わる人も結構いますから、必要以上に恐れることでもありませんよ。何の対策もなしに放置するとマズいですけど」
「そっか……。でもさ、ジイちゃんも親父も母さんも、そーいうこと言ってなかったけど……。なんだって、ジイちゃんは城田さんに話したんだ?」
「一真君に覚醒の兆が出ていないからでしょうね。隠人として生まれても覚醒しないで一生を終える人も多いんです。覚醒しなければ、ちょっと霊感が強い程度で普通に生活できますから、こちら側に深入りしないほうがいいんですよ」
「それ……、オレに話しちまってよかったのか?」
「構いませんよ。勘だけど、一真君はそう遠くないうちに覚醒を迎えそうな気がしますから」
「へ?なんで?」
「霊格……、霊体のレベルみたいなものなんですが、それが今の時点で凄く高いんですよ。そういう人は兆がなくても急に覚醒してしまうことも少なくありません。そうなった時、何も知らなかったらパニックになっちゃうから、先に話しておこうかなって」
 望は自分の左手の甲を撫でた。
「たぶん、ご両親は覚醒を予想していると思いますよ。わざわざ槻宮学園を受験させたのがその証拠です」
「槻宮学園が?なんで??」
「あの学園は隠人を保護しているんです。隠人の力って霊力が基になるんですけど、それって、霊体の力なんですよ。霊体は魂でもありますから、精神、もっといえば心に直結してるんです。十代で覚醒すると精神が不安定になって、人によっては心を蝕まれてしまうんです。発作的に犯罪に走ったり、『隠人』っていう存在を受け入れられずに心を閉ざしてしまったりする人もいるから、そのケアをするために立てられた学校でもあるんです」
「マジで……?」
 だが、思い当たる節はある。
 槻宮学園の受験を言い出したのは両親だ。当時、一真には特に行きたい高校もなく、大坂に馴染めず不安定だった詩織の為に、東京校のある槻宮を受けてほしいと頼まれた。学校を休みがちだった妹を心配していたのは一真も同じだったので、特に疑問もなく受験を決めた。
「でもさ、面接とかなかったけど……、どーやって隠人を見つけてるんだ?」
「いろいろ手段がありますけど……、入試の時のアンケートなんて隠人を見つける手段の一つですね。一真君も書いたでしょう?」
「書いたけど……あれでか?」
 学園の印象、入りたい部活、興味のあること、バイトをやってみたいか?など……、わりと普通の内容だった。受験番号を記入したので、選考に関係があるのかもしれないと、皆、真面目に記入していたが。
「あのアンケート用紙は霊気を蓄える力があるんです。隠人は覚醒していなくても普通の人よりも霊気が強いから、蓄えられた霊気を測ればすぐにわかります。奨学金のクジ引きも同じですね。あっちはわかりやすく作ってありますけど」
「あのクジも?」
「一真君と妹さん、当たったでしょう?」
「当たったけど……」
「あれは一定レベル以上の霊気に触れると校章が浮かび上がるんですよ。合格した隠人や潜在的な隠人が優先的に入学してくれるように、っていう理事長のアイデアです。入試の点数はオマケしてくれませんけど」
 望は「落ちちゃった人は、別の形で観察を続けますけどね」と苦笑いを浮かべた。
(そっか……。それで、二人とも……)
 自分達兄妹が揃ってアタリを引いたのは、そんな理由があったらしい。
(……あれ?なんかおかしくねェか……?)
 違和感があった。
 あのクジに当たったのは自分達だけじゃなくて――。
「何か気になることでもあるんですか?」
「あ、いや、鎮守様って、スケールがでかい話だったんだなって……」
「たぶん、一真君が今思ってる十倍以上はいろんな力が働いてますよ。入学までに兆が表れたら、高校生活もかなり変わるんじゃないかな……。僕は小さい頃に兆が出て覚醒したから、最初から隠人としての入学でしたけど……」
「それじゃ、城田さんも槻宮学園の生徒だったりするのか?」
「ええ、中学から通ってますよ」
「中学から!?」
 心強い先輩の登場に身を乗り出した。
「春から高三って言ってたよな!?学校のこととか教えてくれよ!槻宮のこともあんま知らなくてさ……」
「僕に教えられることなら」
 望はポケットから小さなケースを取り出した。
「何かあったら、ここに連絡をください。早いうちに妹さんと一緒に来てもらえると有難いんだけど」
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