第3話

文字数 4,316文字

「して、邪物の回収は進んでおりますかな?」
 薄暗い一室――、上座で揺らめく炎から男の声がした。
「滞りなく。昨夜も一件、無事に回収いたしました」
 下座に座した神主の出で立ちをした男が静かに告げた。烏帽子から覗く髪は随分と白い。
 浅城町で唯一の神社――、葉守(はもり)神社の宮司・城田宗則(しろた むねのり)は、炎に、というよりも、炎の向こうにいる存在に敬愛の眼差しを向けた。
「これも、ひとえに里長様のお力添えのおかげ。我ら武蔵国現衆(むさしこくうつつがしゅう)西組一同、今後とも一層務めに励んで参る所存にございます」
「それは頼もしい限り――」
 炎は暫し、沈黙した。
「だが、肝心の主座(しゅざ)殿はお顔色が優れぬ様子……」
 後ろに控えていた少年が「え?」と顔を上げた。
「何ぞ、心配事でもおありか?」
「いえ、何も……」
 自分に発言の機会があるとは思わなかったのだろう。
 白い袴姿の少年は慌てて弁明した。柔らかな茶髪が揺れる。
「遠慮はいりませぬぞ。そなた一人に重い任を負わせることとなり、日ごろから心苦しく思うております。何なりと申されよ」
(のぞみ)、どうなんだ?」
 宗則が小声で囁いた。
「昨日の戦いで、刀が傷んでしまって……」
 温かい笑い声が起こった。
「そのようなことでしたか。ならば、新しい刀を調達すればよろしい。そうじゃ、これを機に、『誠』の匠に一本、鍛えてもらうのもよろしかろう」
「匠に!?あんな名刀、僕なんかには……」
「西組の主座殿はお若いくせに、実に謙虚だのう。そなたほどの使い手ならば、匠も喜んで鍛えてくれましょうぞ?宗則殿、早々に手配を」
「は」
「あと、主座殿に三日ほどの暇を出してはいかがかな?」
「え!?」
 少年が驚いたように顔を上げた。
「前にお会いした時よりも、随分と霊気が弱まっておりますぞ。お役目を受けられて以来、昼も夜も邪を追い、刀を振るっておられるのです。暫し休まれよ。主座が手負いのままでは隊の皆の士気も下がってしまいましょうからな」
「お心遣い、感謝いたします」
 言われた当人が困惑しているうちに、宗則が再び頭を垂れた。
「では、万事頼みましたぞ」
 焚き木ほどの大きさの炎が小さくなり、消えた。
 座布団の上に宝珠が何事もなかったように鎮座していた。



 軽快なチャイムの音が耳に届いたのは、台所の掃除があらかた終わった頃だった。
「光咲お姉ちゃんかな!?」
 洗い終えた食器を片づけていた詩織が顔を輝かせて、インターホンに走っていった。
 応対する声がみるみる弾んでいく。誰が来たのか確認するまでもなかった。
「裏口開けてくるね!」
 パタパタと詩織は裏口に走っていった。肩の上で切りそろえた栗色の髪が勢いよく
揺れた。ほどなくして、詩織の歓声が聞こえた。
「お邪魔しまーーす!」
 明るく入ってきたのは、紙袋を二つ手に下げたジャージ姿の光咲だった。
「こんにちは、一真君!お手伝いに来たよ!」
「おう。えらく気合入った格好してきたな……」
「ゴミ屋敷っていうから、これくらいしないとかなって。お昼は?もう食べちゃった?」
「いや、これから弁当でも買いに行こうかって思ってんだけど。光咲も弁当いるか?」
「ううん、大丈夫!」
 光咲は手にしていた紙袋をテーブルに置いた。
「お弁当作ってきちゃった!」
「まさか、それ全部か!?」
「当たり♪」
 紙袋からハイキングや花見に使えそうな重箱を取り出し、光咲はテーブルに並べ始めた。
 一つにはおにぎり、残り二つの弁当箱にはおかずがぎっしりと詰まっている。
 詩織が目を輝かせた。
「すごーい!光咲お姉ちゃんが作ったの!?」
「お母さんも手伝ってくれたけどね。一真君と詩織ちゃんが町に戻ってきたお祝いって、頑張っちゃった」
 不意に咳き込み、光咲はポケットから取り出したものを口に放り込んだ。
「大丈夫か?まだ埃ぽいかもしれねェ……。窓開けるか?」
「ううん、ちょっと風邪気味なだけ」
 昨夜と同じように、光咲はころころと口の中で転がし始めた。
 妙な違和感がこみ上げた。
(さっきの……、金平糖だったよな……?)
 一真が記憶している限り、光咲は金平糖が好きだったわけではない。どちらかといえば、カラフルなフルーツ味のキャンデーを好んでいたはずだ。母親が看護師というだけあって、のど飴をいつも持ち歩いていて、冬場に一真や友達が咳をすると、待ってましたとばかりにポケットから出して配っていた。
「どうかした?」
「いや、なんでもねェ」
 違和感を頭の隅に追いやった。
 四年も経てば好みも変わるかもしれない。偶然、金平糖にハマっているだけかもしれない。そんなに気にすることではないはずだ。だが――、何故か、あの金平糖がやけに引っかかった。
「ねえ、光咲おねえちゃん。若菜ちゃんは?」
 若菜は光咲の妹で詩織と同じ年だ。内気な詩織とは正反対な性格だが気が合うらしく、家でも学校でもいつも一緒にいた。詩織が槻宮学園を受験する気になったのは、この町に戻ってくれば、また親友の若菜と遊べるからだろう。
「……若菜は……、合宿に参加してるの。今月の終わりには帰ってくるんだけど……」
「そうなんだあ……」
 しょんぼりしたものの、詩織はすぐに元気に笑った。
「若菜ちゃんが帰ってくるまでに、お部屋、片付けとかなくちゃ!」
「でもさ、何の合宿なんだ?あいつ、小学校は卒業してるし、中学はまだ始まってねェし……」
「え?あ、えっとね……、町内会!町内会から参加できる体験学習の合宿なんだ!泊まり込みで、いろんなこと体験できるみたい」
「そっか……。よくわからねェ必殺技でも増やして帰ってきそうだな、あいつ……」
「あはは、そうだよね」
 明らかに何かを隠しているのがわかったが、それ以上は聞いてはいけない気がした。
 若菜のことだから、姉の口から話しづらいような過激なサバイバルにでも参加しているのだろう。
「とにかく昼飯にしよーぜ!ジイちゃん呼んでくるからさ」
 ダイニングを出ようとすると、さっそく楽しそうな声がした。
「お茶淹れるね!今朝、お兄ちゃんと一緒に買ってきたの!」
「あ、手伝うよ、詩織ちゃん」
「いーの!光咲お姉ちゃんはお客様なんだから、座ってて!」
「そういうわけにもいかないよ~。じゃ、私はお皿並べるね。こっちの使える?」
「うん!詩織が洗ったんだよ~!」
「え、もしかして、ここの全部?詩織ちゃん、すごい……!」
「お皿は洗えるんだけど、お料理できないから、これから練習しなきゃ……」
「よかったら、私が教えてあげようか?」
「本当!?」
 ――帰ってきたんだな……
 四年前と全く変わらない空気に急激に懐かしさと安堵が込み上げた。
 その日は前日と打って変わって、和やかな一日だった。



「怖いなあ、里長様は……」
 宝珠を本殿に納めた宗則の耳に明るい声が届いた。
 畳の上に足を投げ出した少年――、城田望は「降参」というようにペロッと舌を出した。
「おじい様と隊の皆は上手くごまかせたんだけどなあ……」
 捲った袖の下は包帯が巻かれ、上から霊符が貼られている。
 宗則は険しい目で肩の包帯を睨み、続いて孫が庇うようにしている腹を睨んだ。
「里長様相手に隠し通せるわけがないだろう。昨夜痛めた肩だけかと思っておったが……。一週間前の腹の刺し傷……、そっちも塞がりきっておらんな?」
「…………うん」
 ごまかしきれないと観念したのだろう。
 望は素直に認めた。
「そんな体では、立て続けに不覚を取っても仕方がないな。いくら格が高いといっても、治癒力には限度があるのだぞ?」
「……ちょっと油断してただけだよ」
「相手は邪物だ。霊気が弱まれば、それだけ鎮めるのも難しくなる。先日も壬生君が案じておったぞ?学校のみならず、巡察中も上の空でぼんやりしておる、とな。治癒力が落ちるほど疲れておるなら、早く言わんか」
「別に疲れてなんか……」
「一週間前に負った腹の傷がまだ癒えんのが良い証拠だ。鎮守役を担ったばかりの頃のお前なら、はらわたが抉れるほどの裂傷でも次の日には跡も残らず癒えておった」
「そうだったっけ?」
 悪びれずにとぼける孫に溜息を吐いた。
「里長様のご指示だ。さっそく今日の巡察から休みなさい。明日から向こう三日、お前は非番だ。連絡が来るまで自宅待機して療養していなさい」
「え~~~!?」
「『え~~~!?』ではないわ、馬鹿者。三日の間に、その腹と肩が完治せんかったら、自宅待機は延長だからな。わしから壬生君達に連絡しておく。当面、お前の出動は包囲網が完成した時のみ。よいな?」
「勝手に決めないでよ!主座は僕なのに……!」
「自己管理もできとらんのに主座を名乗るでない。一週間後には、信濃(しなの)の霊山から視察隊が来るというのに、その体たらくで迎えるつもりか?」
 望は俄かに真剣な顔をした。
「霊山から?何も聞いてないけど……」
「仕方あるまい。昨夜、お前が巡察に出ていた時に決まったからな」
「……何しに来るの?」
「お前の仕事ぶりを直接見たいとのことだ。この町に鎮守役が一人というのはさすがに異常だからな。視察の結果によっては、宵闇(よいやみ)の投入を検討してくださるそうだ」
「宵闇を?」
 琥珀の瞳が鋭く瞬いた。
「信濃の宵闇って、少ないのに……。こっちに投入できる余裕なんてないと思うんだけど……」
「それだけ我らの現状を重くみてくれているということだ。なお、今回、視察隊の長を務められる冶黒(やくろ)様は、八百歳を超える高位の烏天狗。信濃の峰守にして、里長様のご友人でもある。失礼があってはならん。そのためにも万全の状態にしておけ」
「……はい……」
 不服そうに頷き、望は「そういえば」と祖父を見上げた。
「昨日、五色橋にいた隠人(おぬと)の子、見つかった?」
 宗則はかぶりを振った。
「学園にも問い合わせたが、昨夜、九時を過ぎて外出していた隠人はいないそうだ。お前も知っての通り、町内に現衆以外の紋付の隠人はいないはず……。見間違いではないのか?」
「……それはないと思うんだけど……、あの時、お腹の怪我が開いて朦朧としてたし……。ちょっと自信ないからなあ……」
「何をやっているんだ、お前は……。そういう時は退かんか」
「だって、あの邪物、もう発動して怪異を引き起こしてたし、そんなのが下流に流れて行ったら何が起きるかわからなかったから……、あ、もしかして、」
 望は黒い手袋に覆われた左手の甲を撫でた。首から下げた円柱の水晶が揺れる。
「……まだ紋が開いてないとか……」
「紋のない隠人が結界を破る、か……。本当にそうだとすれば、恐ろしい霊格の持ち主だな……。天狗の転生体かも……」
 口を噤み、孫を窺った。祖父の様子を気に留めることもなく、望は手の甲だけを覆う黒い布を見つめた。
「僕達が見つけるまでの間に邪に巣食われなければいいんだけど……」
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