第4話

文字数 4,997文字

 五色橋を渡り終え、一真は瞬きを繰り返した。
(さっきから変なモンがうろついてんな……)
 人が立っているのかと思ったら祭りで売っているお面のようなものが浮かんでいたり、前から誰かが来たと思ったら時代錯誤な着物を着た幽霊のような奴だったりと、とにかく普通ではない。しかし、歩道を行く人々はお面や幽霊に気づいた様子もなく平然としている。一真の横を自転車で通っていったサラリーマンが幽霊に正面から突っ込んですり抜けて行くが、どちらも全く気に止めた様子はない。
(まあ、いっか……)
 不気味だが害はなさそうだ。襲ってくるならばともかく、無害ならば犬や猫とすれ違ったのとそれほど変わらないだろう、たぶん。
(沖野以外の奴にも会わねェな……)
 他にも待ち伏せている隊員がいると思って警戒していたが、あれ以来、鎮守隊らしい人物には会っていない。人手不足だと言っていたから、一真にまで手が回らないだけなのかもしれないが。
(とにかく邪跡を追っかけてきゃ、誰かに会うだろ……ん?)
 前方からやってくる黒い一行に足を止めた。
‘ほっほっほ、さすが霊力を秘めた浅城町じゃ!今宵も邪跡と邪気で溢れ返っておるのう’
 一行の先頭で笑っているのは、戦国武将の陣羽織のようなものを身に着けた奇怪な生物だった。
(……カラス……だよな……?)
 一度目を閉じ数秒待ってから開いてみるが、視えているものは変わらない。
 人の頭と同じくらいの大きさのカラスの頭をした生物は二足歩行で背中から黒い羽を生やし、手には錫杖を持ってる。後ろに目をやると、十人くらいの同じようなカラス人間がついてきている。こちらは陣羽織ではなく修験者のような恰好をしていて、いずれも背丈は一真の胸くらいだ。
 一行はこれまですれ違った幽霊のような奴とは違い、存在感がちゃんとある。それなのに、皆、半透明で他の通行人はやはり誰一人気にしていない。
 陣羽織カラスはすぐ近くの歩道の真ん中で足を止め、錫杖を振り上げた。
 シャランと輪が鳴り、通行人が一人、また一人と別の方向へと向きを変えていく。一分も経たないうちに、大通りには人も車もなくなった。
‘さっそく、鎮守役殿に加勢するとしようかの。用意はよいか、皆の衆?’
‘は、冶黒様!!’
 後ろについてきていたカラス人間の集団がどこから取り出したのか、箒を手にわらわらと散らばった。
‘清めろ、清めろ、蛇の道はいらぬ……。邪を呼ぶ前に、清めてしまえ’
 妙な唄を調子を合わせて口ずさみながら、カラス人間達は、こともあろうか邪跡を掃きはじめた。箒が触れた邪跡はみるみる小さくなって消えていく。
 陣羽織は満足げに頷き、どこから取り出したのか、扇をバサッと開いた。
‘ほっほっほ、良い調子じゃ、皆の衆~~~!’
「何やってんだ、テメエ!」
‘ぶげほっ!?’
 一真の左ストレートが陣羽織の顔面に炸裂した。
 せっせと箒を動かしていたカラス人間達が一斉に手を止めてこちらを振り返った。
‘な、何をするのじゃ……?’
「それはこっちのセリフだ……」
 陣羽織の胸倉を掴み、黒い眼玉を睨み付ける。
「人が邪跡追っかけてんのに、気楽なツラして消してんじゃねェぞ、コラ……」
‘お、落ち着かれよ、少年……。目が血走っておるぞ……’
「やかましい……。こっちは切羽詰ってんだよ……」
‘ワシらが視える上に、人払いの術も効いておらんとは……。せっかく忍んでおったのに、いきなり格の高い奴と出会ってしもうたものじゃのう……’
「隠れたいんだったら、大通りのど真ん中で掃除大会やってんじゃねェ……。木のてっぺんででもやりやがれ……」
‘た、大変じゃ!冶黒様が!!’
‘凶暴な人間に襲われておられるぞ……!!’
‘か、カツアゲじゃ!あれが(うつつ)で流行っておるというカツアゲに違いない!!’
‘は、早くお助けせねば……!’
 我に返ったカラス人間達は箒を手に、こちらに突進してきた。その様に何故か無性に腹が立った。
 ――邪魔……、するんじゃねェ……
 内側に何かが渦巻いた。
「……るっせええええええええええ!むしって丸焼きにすんぞ、ッラアアアアァ!」
 怒りと共に渦巻いたものをぶちまける。
 一真を中心に巻き起こった碧の突風がカラス人間達を吹き飛ばした。
‘風じゃ、風じゃ!こやつ、風を操りおったぞ!!’
‘ただの風ではない!これは霊風じゃぞ!!’
‘まさか霊山縁の者か!?そうでなくば、化け物じゃぞ!?’
 なす術もなく吹き飛ばされ道路に転がるカラス人間達に、一真自身も驚いていた。
「何だ……、今の……」
‘霊風。霊力によって巻き起こされた風じゃ。それにしても、なんと猛々しい風か……。ワシを怖れぬ気性といい、まさに狼の霊筋そのものじゃのう’
 カラスは先ほどとは打って変わって落ち着き払った様子で言った。
‘そなた……。もしや、鎮守役の城田殿か?’
「あァ?」
‘ほっほっほ、とぼけたところで、ワシの目はごまかせませんぞ。この町には現在、鎮守役は一人と聞いておる。それほどまでに格が高く、霊風まで扱えるとなれば、現きっての天才・城田望殿をおいて他におるまい’
 陣羽織は偉そうにフッと息をついた。
‘当代の西組鎮守役主座・城田望殿といえば、その実力は既に宵闇と同等とまで謳われる稀代の天才と聞いておるが……、ワシの正体も見抜けぬようでは、まだまだじゃのう。この、信濃霊山の烏天狗(からすてんぐ)・冶黒をのう!’
「…………天狗……?」
 妙な既視感が襲った。
 そんなものがいるはずがないと思う一方で、すんなりと存在を受け入れている。それどころか、ひどく懐かしい――。
 黙っていることに調子づいたのか、冶黒とやらは胸倉を掴まれたままふんぞり返り、錫杖で一真の肩をコンコンと叩いた。
‘なに、案じられますな。非礼を咎めたりはせん。若いうちは、これほど元気があるほうがよろしかろうて。まして、この武蔵国は狼が住まう地じゃ。狼のご霊筋は荒々しい者が多いからのう。高位の狼ともなれば望殿のそのご気性も道理。ただ、主座となられた以上は、あと少し、礼を身につけられるがよろしかろう。煩い輩もおりますからのう’
 完全に上からの物言いに一真の中で再び言い知れない怒りが渦巻いた。いや、普通にムカついた。
「……まだまだなのは、テメエだろーが……」
 頭突きをかましたい衝動を必死に抑える。
「よく聞け、カラス野郎……。オレの名前は、さ・い・き・か・ず・ま。覚醒してるかどうかもわからねェし、鎮守隊でもねェ。ついでに言えば、今からそいつらに話つけに行くとこだ」
 冶黒は大きな眼を動かした。
‘は……?’
 すうっと息を吸い込んだ。
「オレは鎮守役じゃねェっつってんだ!クソガラス!」
「なんとっ!?」
 半ば透けていたカラスの姿が鮮明になった。
‘や、冶黒様!’
‘隠れ身の術が解けております!’
‘お気を確かに!’
 部下のカラスがワキャワキャと騒ぐが、冶黒はパクパクと嘴を上下させている。
「ったく、クソ偉そうに人違いしてんじゃねェよ……」
 周りを探しても邪跡は残らず消えてしまっている。詩織を探す手がかりがなくなってしまった。
「カラスのオッサン……。邪跡消してたってことは、あれがどこから来てたか知ってるってことだよな?」
「む、むろん、知っておるが……。そんなものを聞いてどうするのじゃ?邪跡を辿れば、その先には邪がおるぞ?」
「その邪に用があんだよ」
「何と無謀な……。いくら格が高いとはいえ、鎮守隊に参加してもおらんのに邪に会いに行くなど危険極まりない。わかっておるか?」
「説教ならいらねェよ。じゃあな」
 手を離すと、素早い身のこなしで着地した冶黒が慌てて声をかけた。
「こ、これ!どこへ行く?」
「話してる時間がもったいねェ!どけよ、ザコ!」
 苛立ち紛れに、道を塞いでいたカラスを一喝する。
 先ほどの風がよほど効いたのか、カラス達が我先にと道を開けた。
「そっちではない。南じゃ」
「あぁ?」
 錫杖を構え、冶黒は何かを探るように瞼を閉じた。杖の先で金属の輪がひとりでに転がり、カラカラと音を立てた。
「町の南西……、金の気を持つ橋に強烈な金属性の邪が潜んでおるようじゃ……。邪気が霊気にまとわりついて鬩ぎあっておる……。隠人が巣食われておるのじゃろう……」
「ホントか!?それ、もっと詳しく教えてくれ!!」
 カラスの黒い眼がきょろりと動いた。
「斎木、と言うたな。その高い霊格……。そなた、誠の匠……、斎木伸真殿の身内じゃろう?」
「ジイちゃんを知ってんのか?」
 カラス達がざわついた。
‘なんと、孫殿じゃぞ!’
‘跡取がこれでは、マズイのではないか!?’
‘いや、これは孫じゃ!ご子息がまだおられたはず……!’
‘そうじゃ、ご子息がまともならば、孫がこれでもなんとかなるやも……!’
「絞めんぞ、テメーら……」
 外野を黙らせ、一真は冶黒に向き直った。
「アンタ、ジイちゃんの知り合いか?」
「古い馴染みの一人、と言うておこうかの。そうでなくとも、『武蔵国の誠の匠』といえば霊山で知らぬ者はおらぬ。斎木一門は霊刀を打たせれば、東国で右に出る者がおらんと称されるほどの名門じゃ」
「うちが?」
 そんな話は初耳だ。
 だが、望も「匠」がどうとか言っていた。本当の家業は金物屋ではないと。ならば、このカラス男が言っていることはでたらめではないのかもしれない。
「当代の匠には孫が二人おられると聞いておったが。そなたが血相を変えて邪跡を追っておるということは、巣食われておる隠人もまた、匠と縁ある者ではないか?」
「……妹だ」
 冶黒は「そうか」と重々しく呟き、瞼を閉じた。
「既に橋の付近には鎮守隊の者が集結しておる。河原に結界が張られておるが、包囲は安定しておらん。あちらもまだ邪の居場所を特定できておらんのじゃろう。この強い邪気といい、相当手強い奴に巣食われたようじゃのう。……肝心の鎮守役殿の霊気を感じぬが……」
「どういうことだよ!?やられちまったなんて言わねェよな!?」
「まあ待て。鎮守印の霊気は正常じゃ。健在であろう。邪に勘付かれぬよう結界に入るなどして指揮を執っておるのじゃろうが……、この近距離でワシに存在を気取らせんとは……。噂に違わぬ使い手のようじゃのう……」
 瞼を上げ、冶黒は空いたほうの手を広げた。ひらりと葉が舞うように一枚の符が出現する。
「治癒の霊符じゃ。服の裏側にでも貼っておけ。邪と戦うにしろ、鎮守隊と事を構えるにせよ、力の使い方を知らぬままでは無事では済むまい……」
「止めるんじゃなかったのかよ?」
「そのような事情では止めるだけ無駄じゃ。ワシら全員を殴り倒してでも行くつもりじゃろ?」
「へえ、わかってるじゃねェか」
 この爺臭いカラス男をかなり見直した。
「よいか?霊力とは霊体の力、魂の力じゃ。己の魂が赴くままに力を解放するのじゃ。先ほどの霊風のように」
「せっかくアドバイスしてくれてるけどさ……。どーやったかなんてわからねェよ……」
 冶黒は「さもあろう」と頷いた。
「今のそなたは、霊力は大きくても律する術を知らぬ。邪にしろ、人間にしろ、術者と戦うには霊力に物を言わせた力押ししかあるまい……。心を研ぎ澄まして霊気の流れを聴き、内なる意志を高め、己の内に住まう獣を呼び起こすのじゃ。全身に気を巡らせ魂と肉体を一体化させることで、霊獣の力を発現させることができる」
「……つまり、気合入れたら何とかなるってことか?」
「うぬう……、間違っておらぬが、身も蓋もない表現じゃのう……」
 やや不満そうな冶黒から青く光る符を受け取り、一真は軽く頭を下げた。
「サンキュな。助かったぜ」
「あーー、礼には及ばん……。それより、近うに……」
 耳元でボソボソと呟かれたそれに、一真はニヤっと笑い、グッと親指を立てた。
「りょーかい。他の奴には黙っとくって」
「か、必ずじゃぞ!信じておるからな!!」
「ああ!えっと、冶黒だっけか!ぶん殴って悪かったな!じゃーな!!」
 町外れに向かい走り出す。
 邪跡を追うよりも、よほど有力な情報だ。
 全くの勘だが、冶黒のことは信じてもいいような気がした。
‘冶黒様、よろしいので?’
‘構わん、構わん。たまには現に下りてくるものじゃのう’
 再び姿を隠し、冶黒は一真が走り去った方向を眺めた。
‘この激戦区で、鎮守役殿が孤軍奮闘のあまり疲弊しきっておるというから案じておったが……、なんとも面白い男がおるではないか’
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