第2話

文字数 3,109文字

「正気か!?」
 現下りの話を聞いた友の第一声はそれだった。
「危険すぎる!記憶も力も封じて、一介の隠人として現に下りるなんて……!あの術式で封じれば、霊気の波動も変わる……!転生先でお前に何かあったとしても、誰も気づけないんだぞ!?」
「わかってるさ」
「全っっ然!わかっていない!!」
 友はキッと目を吊り上げた。
「封印が強い間は役目のことだって忘れてしまうんだ……!何もわからず、力の使い方も忘れて現に潜伏して……、妖変にでも巻き込まれたらどうするつもりだ!?」
 温厚で知られる彼が、ここまで語気を荒げるのは珍しいことだった。
「せめて、誰か供をつけろ!部下を巻き込みたくないっていうなら、オレが目付け役として一緒に下りる……!限界を無視して死ぬまで突き進む奴を野放しにできるか……!」
 とんでもないことを言い出した親友を、どう宥めたものかと頭を巡らせた。



 額に当たる冷たい感触に一真は顔を上げた。
(ヤベ……)
 額をさすりながら顔を上げると、鍋が並んだ棚が視界に入る。
 暇すぎてカウンターに突っ伏して寝てしまっていたらしい。
「……ホントに客来ねェよな……」
 欠伸をしながら大きく腕を伸ばした。
 店番三日目。未だ、客は一人も来ていない。
 トレーナーの上に店の縫い取りが入ったエプロンをかけ、立ち上がった。
 割のいいバイトだからと光咲と詩織も誘ったが、二人は丁重に辞退した。そのせいだろうか、座っているだけで時給が出ることがなんとなく心苦しい。
「しっかし、変わったもん売ってるよな、うちって……」
 とにかく暇なのでハタキと布巾を手に店内をうろうろと彷徨う。
 棚に並んだ鍋、製菓用品、ケースに入った包丁といった日用品、農業用具、大工用具、物干し竿、何かの部品――、四年前と同じ品揃えだ。
「……これ、まだあったのか……」
 隅にさりげなく並んだ一キロから十キロまでの鉄アレイ各種や、二十キロを超えていそうなバーベル、鉄下駄、鉄扇は四年前も見た気がする。
 埃を叩き、店内を見回した。
(……なんか……、居心地悪いな……)
 エアコンを入れているのに、頬や首筋がやけに冷える。そればかりか、置かれている品物が重苦しく見えて、妙な圧迫感に襲われる。まるで、品物に睨まれているような――。
 ――疲れてんのかな……
 首筋をさすりながら店内を見回すと、客間へ続くドアの前にガラス張りのショーケースのようなものがあるのに気づく。品物から逃げるように足早に近づいた。
(なんか、ここだけ値段高いな……)
 布を敷かれた上に円や楕円形の奇麗な細工が施されたプレートが並んでいる。真ん中に穴が開いているので、何かを通すのだろう。プレートの下にさりげなく置かれた値段表は、棚に並んだ鍋に比べると、桁が二つほど違う。
「なんだ、これ……、首飾りか何かか?」
(つば)ですよ」
 声は真後ろから聞こえた。
「っっ!?」
 心臓が跳ねるとはこのことだろう。
 店内には誰もいなかったはずだ。足音はもちろん、人の気配もなかった。
(え……?)
 振り向いた先に、一人の少年が立っていた。
 年は一真よりも下か同じくらいだろう。一真より少し背が高いが、かなり痩せている。ややサイズが大きな水色のパーカーを羽織り、左手首には水晶のブレスレット、両手の甲を覆う黒い手袋をはめている。中性的な顔立ちの少年はにっこりと笑った。
「すみません、驚かせちゃったみたいで……?」
 言葉が途中で切れた。
 少年の琥珀色の瞳が見開かれていく。
 一真もまた呆然と少年を眺めた。
(知ってる……)
 「会った」という明確な記憶はない。
 だが、どこかで絶対に会っている。
 それも、すれ違ったりしただけではなく、長い時間、共に在ったような――、深い信頼で結ばれていたような、そんな感覚――。
 なのに、どこで会ったのか、自分達はどんな関係だったのか――、肝心なことは何一つわからない。思い出そうと記憶を辿るほどに自分のことさえわからなくなっていくようで、気分が悪くなってくる。ズルズルと得体のしれない深みに引きずり込まれていくような感覚を慌てて振り払った。
「あの……」
「あのさ……」
 口を開いたのは同時だった。
「あ、どうぞ」
「あ、いや、そっち先で。客なんだし……」
「ありがとうございます。じゃあ、」
 少年は咳ばらいをした。胸元で円柱の水晶が揺れた。
「どこかで会いましたか?」
「オレも同じこと聞こうと思ってたんだけど……」
 先ほどのような異様な既視感はもうない。だが、やはり初対面とは思えなかった。
「会ったことは……ないと思う。四年前までこの町に住んでたんだけど……」
「四年前?」
「小五の冬くらいまで。でも、学年も違うぽいし……」
「四年前で小学校五年生なら同級生じゃないですね。僕はその当時は中学生でしたし。小学校の頃にも会った記憶はないなあ……。すれ違ったくらいはしたかもしれないけど……」
「中学!?もしかして、アンタ、オレより年上!?」
「今聞いた限りだと、二つほど上だと思うんだけど……。この春から高校三年生です」
「……マジ?」
 少年は苦笑いを浮かべた。
「よく間違われるんですよ。本当の年齢より上に見られたことはないかな……」
「そうだろなあ……」
 しかし、やたらと物腰が落ち着いている。これで年下だと言われても違和感があるかもしれない。
(えらく顔色悪いな……。大丈夫なのか……?)
 顔がやたらと青白い。詩織がよく貧血を起こしているが、その時の顔色に近いだろう。男子高校生にしては細いし、あまり食べないのかもしれない。
 少年は先ほどと同じように、にっこりと笑った。柔和だが、どこか腹の底が見えない笑顔だった。
「そのエプロンをしてるってことは、従業員の方ですか?」
「えっと……、一応……」
「匠はいらっしゃいますか?」
「たくみ?」
 耳慣れない単語に露骨に眉を顰める。そんな大層な呼称の人物はこの店にいない。
 少年は慌てたように言い直した。
「あ、店長です!店長はいらっしゃいますか?」
「ジイちゃんなら出張中で……。包丁預かってたとか?」
 少年の眉がピクリと動いた。穏やかだった空気がピンッと張りつめた気がした。
「ジイちゃんって……、もしかして、店長のお孫さん?」
「そうだけど……」
「お名前、聞いてもいいですか?」
「あ、一真。斎木一真っていうけど……」
 口調も浮かべた笑みもそのままなのに何故か気圧され、一真は聞かれるままに答えていた。だが、不快感はなかった。
「一真君か……。そういえば、お孫さんが春から戻ってくるって言ってたっけ……」
 何事か思案し、少年は頷いた。
「店長に取り次げますか?」
「え……、ちょ、ちょっと待ってくれ!」
 慌ててカウンターに走った。
 直感だった。
 あの少年は普通の客ではない。きっと、祖父が言っていた「古くからの馴染み」だ。
 カウンターの下の引き出しからノートを引っ張り出し、そこでようやく肝心の名前を聞いていないことを思い出す。
「すんません、名前は?」
「城田望です」
 慣れた様子で望はカウンターの傍の棚に置かれているブリキの玩具のねじを回して遊んでいる。
(城田……、城田望……)
 ページを捲っては一人一人確認していく。
 達筆だが楷書で書かれているので読めないということはないが、分厚いノートの半分以上を埋めるリストから一人の名を探すのは思っていたよりも手間だ。
「たぶん、最後のほうだと思いますよ」
「そ、そうなのか?」
 何故、彼がノートに書かれた順番を知っているのかが謎だったが、とりあえず、アドバイスに従うことにする。
(城田……、城田……、あった!)
 少年が言った通り、リストの一番最後に「城田望」の名があった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み