第2話

文字数 4,142文字

「包帯持ってきたけど……」
「もらってもいい?」
 来客用の一室。戸締りを終え、包帯を手に戻ってくると、望の肩口には既に大きな絆創膏が貼られていた。パーカーまで染みるほど出血するような傷が絆創膏一枚で塞がるとは思えないが、血は止まっているようだ。さらさらと包帯を肩に巻く手つきはかなり慣れていて、あれほどの怪我は日常茶飯事だと伝わってくる。
「やっぱ、そっち系の怪我って病院とかはマズいのか?」
「こういった怪我は僕達の事情を知ってる所じゃないと、騒ぎになってしまうんですよ。普通の生活送ってたら、こんな怪我しないでしょう?」
「先輩さあ、体弱いって噂みたいだぜ?さっきみたいなの、しょっちゅうなのか?」
「噂になってるの?困ったなあ……」
 一真が貸したトレーナーに袖を通し、望はふうっと息を吐いた。
「最近、少し霊力が落ちてましてね……。怪我の治りが悪いんですよ」
「……霊力って落ちるものなのか?」
「霊格が変わることは滅多にありませんけど、霊力は霊体の体力みたいなものだから、普通に上下しますよ。体調とか、精神的なものとかの影響で……。僕のは寝不足だけど」
 疲労が浮かぶ青白い顔は、寝不足だけとは思えない。怪我で消耗しているのかもしれない。
「夜九時からってことは、鎮守様って完徹なのか?」
「正確には、鎮守隊は昼も夜も巡察しています。邪は夜のほうが活発に動くから、夜は外に出るのを控えてもらってますけど。一真君みたいに霊格が高い人は昼間でも気を付けてもらったほうがいいかな」
「昼も夜もって……、鎮守役って、何人いるんだよ?」
 望は少し迷うように黙り、口を開いた。
「……この西組には、僕一人です」
「は?」
「僕が入隊した時は、もっといたんですけどね……。引退したりで、今は僕だけになっちゃったんですよ」
「待ってくれよ……。それじゃ、昼も夜も、一人で町内回ってんのか?」
「さすがにそこまで滅茶苦茶じゃありませんよ」
 望は笑いながらかぶりを振った。
「邪を鎮められるのは僕だけだけど、邪を追い詰められる隊員はけっこういます。補佐役っていうんだけど、僕は皆が邪を隔離してくれたのを鎮めて回るだけですよ」
「それでも一人ってのは……」
「今でもやれてますから大丈夫ですよ。それより、妹さん、あれからどうです?早いうちに一度、会っておきたいんだけど……」
「今日、調子悪いみたいでさ。今朝から寝てんだ」
「風邪?」
「たぶん……。昨日もぼーっとしてたし……」
 言いながら不安がこみ上げた。
 ただの風邪だろうと思っている自分の中で、何かが違うと警鐘を鳴らす自分がいる。春先の肌寒い時期になると詩織はよく風邪を引くが、いつもの風邪と何かが違うような――。
「女の子が寝てるところに押しかけるのは、ちょっと厳しいなあ……」
 望は難しい顔をした。
「じゃあ、神社に来るまでの間、あんまり妹さんを家から出さないようにしてください。覚醒してしまったとしても、この家にいれば安全ですから。そうなったら、神社に電話くれる?」
「今って家から出たらマズかったりするのか?」
 熱が出るようなら病院に連れて行こうと思っていただけに、深刻な気分だった。
「覚醒したら何かヤバいことが起きるとか……」
「ごくまれにですけど、霊力が暴走する人はいますね。それより、急に邪念が視えるようになったりしてショックを受けたり、邪に巣食われたりする危険のほうが大きいかな」
「前から思ってたんだけどさ、邪って家の中にいたら大丈夫なもんなのか?入ってきたりとか……」
「普通に入ってきますよ」
「げ!?入ってくんのか!?」
「ちゃんと対策してたら問題ありませんよ」
 望は畳を軽く撫でた。
「隠人の家系の家は、邪避けの陣が張られているんですよ。この家の陣は町内でも最強クラスだから、よほど強力な邪が攻めてこない限りは大丈夫です。あ、でも、戸締りだけはちゃんとしておいてくださいね。隙間があったら陣が弱まりますから」
「あのさ、先輩……」
 やはり望に診てもらったほうがいいような気がしたが、今朝の詩織の嫌がりようを思い出すと気が進まなかった。ただの勘違いだったら詩織に絶交されそうだし、望にも申し訳ない。
「覚醒したら、その、何か拙いことになったりするのか……?ショック受けるとか、そういうのじゃなくてさ……、目に見えて何かが変わるとか……」
「その人によるなあ……」
 無意識な様子で、望は手袋に覆われた左手の甲を右手で触れた。
(……あの手袋、家の中でもずっとつけてるな……)
 先日も彼は手袋をしていたのを思い出す。怪我の手当てをしている間もつけていた。
「覚醒すると霊格が跳ね上がるんですよ。いきなり霊気を操れるようになる人もいれば、身体能力が異常に上昇する人もいます。逆に、ちょっと霊感が強くなる程度で終わる人もいるんですよね……」
「……霊格次第ってことか?」
「ええ。鎮守隊としては高いほうがいいけど、普通に生きたかったら低いほうがいいですね。一真君の家系は霊格が高い人が多いから、妹さんも霊格が高いんじゃないかな」
「それって、覚醒したらマズいほうってことだよな……?」
 望はカラカラと笑った。
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。霊格が普通より高いなら、講習を受けてもらって制御方法を身に着けてもらえばいいだけですし。それに、覚醒時の危険度だけなら一真君のほうが圧倒的に上ですよ」
「オレ?まだ何にも出てねェのに??」
「だって一真君、今の時点で覚醒した隠人と同じくらい霊格が高いんだもの。覚醒したら鎮守役ができるくらいまで高くなるんじゃないかな」
「そっち系か!いいじゃん!覚醒したら、オレも超能力者ってことだろ!?」
 何気なく右手の甲を眺めた。
「霊格が高かったら、オレも鎮守役になるんだよな!?」
「鎮守隊は自由参加ですよ。よっぽど霊格が高くて適性がある人ならスカウトしますけど……。危ないから強制はできませんし。一真君、参加したいの?」
「ああ!予約しといていいか?」
「予約?何の??」
「覚醒した時、鎮守役できそうだったら、オレも鎮守様やらせてくれよ!あの五色橋にいた黒いのをぶっ飛ばすんだろ?やってみてェよ!」
「……頼もしいけど……」
 望は申し訳なさそうな顔をした。
「入隊までに、術の講習とか修行とか……、けっこういろいろあるんですよ……。霊格が高くてもすぐにっていうのは厳しいかな……」
「げ~~、マジか……」
「でも、そう思ってくれてるなら嬉しいな。予約はできないけど、鎮守隊は人手不足だから入隊希望者は大歓迎だもの」
「人手不足って……、鎮守役だけじゃなくて、他のやつも足りてねェの?」
「他の組よりは、かなり……」
「そっか……。大変なんだな……」
「ええ……」
 なんだか廃部寸前の部の部長から相談されているような重い空気が流れた。思えば、一真が掛け持ちをする羽目になったのも、廃部しかけた空手部の部長から泣きつかれたからだった。
「じゃあ、僕はそろそろ行こうかな。助かりましたよ」
 立ち上がろうとする望に妙な焦燥がこみ上げた。
 ――駄目だ……
 ドクリと鼓動が跳ねた。
 気にならなかった血の臭いがやけに鼻腔を刺す。眼が勝手に望の動きを追い、違和感が大きくなっていく。
「……待った」
「え?」
「……アンタ……、腹も怪我してるんじゃねェか……?」
「え!?」
 衝撃を受けたように望は一真を見つめた。
「どうして、そんなこと思うの……?」
「なんか……、動きがぎこちないっていうか……、あれ?」
 額を押さえる。
 何故、自分はそんなことを思ったのだろう?
 望と会ったのは、今日が二回目だ。彼のことなど、本人と光咲から聞いたことくらいしか知らない。
 なのに――、

から、おかしいと思った――?
「一真君!?大丈夫!?」
 肩を軽く揺さぶられて我に返る。
 望が真剣な顔で覗き込んでいた。
「何か……、視えるんですか……?」
「え?いや、なんにも……」
 妙な違和感と焦燥が消えていく。
「オレも風邪かもな……」
 ごまかすように笑うと、緊張した様子の琥珀の瞳がまじまじと見つめた。
「悪い、もう何ともねェから」
「……本当に?」
「ちょっと店番とかはりきりすぎたかもな」
 望は少し考え、
「……一真君。この部屋、夕方まで借りててもいい?」
「いいけど……。何かやんのか?」
 望は腹の右側に手を当てた。
「一真君が言った通り、お腹もやられてるんですよ。ちょっと痛いから休ませてもらおうかなって。傷が二つも開いて帰ったら、隊の皆に怒られちゃうし」
「そりゃそーだろな……」
 青白い顔で肩と腹から血を流して帰れば、仲間は心配するどころではないだろう。
「今日はもう店閉めたし、寝ててくれよ。この部屋って客用の布団が……、お、あった」
 押し入れから布団を引っ張り出すと、望が慌てたように止めた。
「そこまでしなくても……!お布団まで借りたら悪いですよ……!!」
「いーって。怪我してる時って、消耗してるから寝てたほうがいいだろーし。それにさ、前も……」
 その続きがぷつりと途切れた。
 何かを言おうとしていたのに、飛んでしまった。いや、消えてしまった。
(わからねェ……?)
 たった今、何かが浮かんでいた。
 何を――、視ていた?視えていた?
「一真君?やっぱり……、何か視えてるんじゃ……」
 背後からかかった声に思考が呼び戻される。
「や、なんでもねェから!」
 妙な浮遊感を紛らわせるように手早く布団を敷いた。
(……なんだ、この感じ……?)
 ただ布団を敷いているだけなのに、妙に懐かしい。
 以前、確か同じようなことを何度も――。
 ブツッと電源を引きちぎるように浮かびかけた何かが消えた。
「あ……れ……?」
「一真君!?やっぱり、何かおかしいですよ!」
「なんでもねェって!ちょっと風邪かもしれねェけど、先輩よりは元気だって!」
「……そうかもしれないけど……」
 納得していないのか、望は何やら考え込んだ。
「あ~~、そこの鳩時計壊れてんだ。何時に声かければいい?」
「……十八時半でお願いしてもいい?」
「りょーかい。ゆっくりしててくれよ。隣の部屋の冷蔵庫に客用のコーヒーとかあるから、好きなの飲んでいいからさ」
 望が何かを言う前に、逃げるようにその場を後にした。
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