第5話 ヒストリアンとビジョナリストの分離仮説

文字数 1,243文字

(ヒストリアンとビジョナリストの分離仮説では、ヒストリアンは、ビジョナリストにはなれないと考えます)


ここまでは、検討内容をヒストリーとビジョンに分けました。「最近の世界の変化の幅が増大しつつあります。過去のヒストリーは、部分的にも繰り返されなくなっています。そのためヒストリーに価値はなくなり、価値があるのは、ビジョンになっている」と論じてきました。

しかし、そのことは、人間をビジョナリストとヒストリアンに分ける理由にはなりません。ビジョンに価値があれば、ヒストリアンは、誰でも、自分が、ビジョナリストになれると思うはずです。

バラク・オバマ流に言えば、「Yes, we can (be visionalists )」と言えます。

しかし、「変わらない日本」が、30年続いている訳ですから、何か、出来ない(we cannot)訳があるはずです。

筆者は、その最大の理由は、「ヒストリアンはビジョナリストにはなれない」ことにあると考えます。この仮説を、ヒストリアンとビジョナリストの分離仮説(HV分離仮説)と呼ぶことにします。

HV分離仮説が正しければ、「変わらない日本」は、ヒストリアン中心の年功型雇用と老齢のCEOが生み出していると考えられます。

これは、非常に問題のある仮説です。

一般には、「企業の経営が傾いたときに、ヒストリアンの経験豊富なCEOが、努力すれば、企業の再生ビジョンを作ることができる」と考えられています。


しかし、HV分離仮説が正しければ、CEOがヒストリアンである限りは、再生ビジョンは、努力しても出来ないことになります。


企業が再生するためには、CEOの首を、ヒストリアンから、ビジョナリストに変えなければダメだということになります。

年功序列で、CEOの待ち行列に並んでいる人の9割はヒストリアンですので、通常の選手交代に、効果はありません。

こうした努力をしても、ダメだという発言は、反発をうけると思います。

「こうした努力をしても、ダメ」であると考える理由は、ヒストリアンがビジョナリストに絶対になれない訳ではないが、そのハードルは異常に高いということです。

例えば、陸上の長距離ランナーと短距離ランナーの違いのようなものです。この2種類のランナーは、走る時に使う筋肉の質が違います。切り替えるには、ゼロから、筋トレをしなおす必要があります。また、遺伝的な素質も違います。更に、加齢とともに、新しく筋肉を鍛えなおすことは困難になります。

似たような条件があてはまれば、60代のヒストリアンのCEOに、努力して、ビジョナリストになって、ビジョンを作ってもらうことは困難です。

HV分離仮説は、陸上のランナーのように、ヒストリアンとビジョナリストでは、使用する脳の部位が違うことを前提にしています。

HV分離仮説を支持するエビデンスがあるのでしょうか。

筆者は、認知科学は、HV分離仮説を支持していると考えます。

次回は、その説明する前に、準備として、カーネマンの二重過程理論を考察します。

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