第17話 ヒストリーの中のビジョン

文字数 1,621文字

(ヒストリーとビジョンは、対立するだけではなく、交差することもあります。ここでは、ヒストリーとビジョンの交差の例を扱います)

つくば市は、都市計画の見本市なので、市内には、著名な建築家の建築が多数あります。

仮に人気投票をすれば、第1位間違いなしと思われる建築は、磯崎新氏の設計したつくばセンタービルです。

ウィキペディアには、「つくば市のランドマークで、建築家・磯崎新の代表作で、日本のポストモダン建築の代表的な作品」と書かれています。

つくばセンタービルは、1983年に竣工していますが、2020年にはつくば市から改修計画が出て、現状維持を支持する人との議論になりました。

ウィキペディアには、つくばセンタービルの特徴が、次のように書かれています。


「磯崎の得意とする幾何学的なデザインを多用するほかポストモダンの特徴である歴史引用を行い、隠喩や象徴をちりばめたマニエリスム的な作品である。ローマのカンピドリオ広場を反転した広場(フォーラム)があり、カンピドリオ広場は丘を登った場所にあり中心に銅像が建っているのに対し、つくばセンタービルでは広場が低い位置にあり中心は噴水である」

ここで、比較したいのが、つくばセンタービルの広場とローマのカンピドリオ広場です。

1)ローマのカンピドリオ広場

カンピドリオ (Campidoglio) は、ローマの七丘でも最も高い丘で、ローマ神の最高神であったユーピテルやユーノーの神殿があるローマの中心で、ローマ市庁舎もあります。

カンピドリオの丘の頂上には、ミケランジェロが1538年頃に設計着工したカンピドリオ広場 があり、広場は、のちに G.デラ・ポルタが 一部を変更して、1590年頃に完成させています。
ミケランジェロはカンピドリオ広場の設計で、複数の異なった形の建物をひとつの明快な対称軸線上に統合するバロック的広場を創案しています。

ミケランジェロは、1564年に亡くなっていますので、広場の完成を見ていません。G.デラ・ポルタは、1563年以降、ミケランジェロの設計案(ビジョン)に基づき、カンピドリオの丘の広場の再建を行って完成させています。つまり、カンピドリオ広場の価値は、ミケランジェロの設計案(ビジョン)にあります。

同じように、設計者の死後も、ビジョンが生き続けている例に、アントニ・ガウディのサグラダ・ファミリアがあります。

2)つくばセンタービルの広場

つくばセンタービルの改修計画に異議が出るのは、ビジョンを共有できていないためです。
つくば市内には、1978年の研究学園都市移転頃から、著名な建築家の建築が多数建てられましたが、現在、その多くは老朽化問題を抱えています。しかし、ビジョンを生かして、建築の世代交代をしたという話は聞きません。

3)まとめ

言いたいことは、ビジョンの有無の違いの重要性です。
ローマやバルセロナでは、ビジョンとしての建築が存在し、その価値はビジョンにあるので、補修や建て直しの範囲が明確になっています。

一方、つくば市にある建築は、著名な建築家が設計したというヒストリーになっているので、更新が、容易ではなくなっています。

これは、景観計画でも共通で、欧米では、歩道のデザイン(ビジョン)をガイドラインで、設定して、都市景観に、共通性を持たせます。

日本では、ゾーニングをして、緑地を一定の割合で確保しますが、歩道のデザインは、バラバラです。そこには、この街の景観はかくあるべきというビジョンが欠如しています。

ここまで、ヒストリーとビジョンは対立する概念として説明してきました。
しかし、カンピドリオ広場に見るように、ヒストリーの中に、ビジョンがある場合もあります。このビジョンは、ハードウェアのヒストリーとは独立して、生き続けます。

ただ、残念なことに、日本では、ヒストリーの中に、ビジョンをみることができる例は少ないので、2つを対立概念として扱っても概ね問題はないと考えます。
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