第2話

文字数 2,260文字

 心咲を乗せたバスは町を三つ越えた。ここまでで、バス停は三つしかなかった。
 四つ目のバス停で、心咲は降りた。ここからは徒歩だ。
 歩道を十五分ほど直進すると、右前方にT県立浜守(はまもり)高等学校、通称〈浜高(はまこう)〉の校舎が見えた。
 徒歩通学の生徒たちに交じって、心咲は校門を通り抜けた。自転車通学の生徒たちが、校門を通ってすぐ、校舎脇にある自転車置き場に行く。
 一学年専用の自転車置き場に心吾のロードバイクが止められているのが見え、心咲はホッとした。心吾は今日も、事故にあわずに無事、ここまでたどり着けたようだ。
 昇降口で室内用のシューズに履き替え、運動靴をスチール製の靴箱に並べてしまう。心咲とほぼ同じタイミングで靴を履き替えた男子生徒が、増築された新校舎のほうへ歩き出す。
 新校舎には機械電気科の教室があった。心咲は旧校舎のほうへ行く。旧校舎には、普通科と情報処理科の教室が、校舎一階の端のほうに並んでいる。昇降口から一番近いのは情報処理科一年A組の教室で、心咲が目指す普通科一年B組の教室は廊下の最果てに位置していた。
「おはよう」
 教室に入ってきた心咲に、クラスメイトの何人かが挨拶する。きこえた声に一つ一つ返しながらショルダーバッグを肩から下ろし、窓際の、最前列の席に行く。
 椅子に座ってショルダーバッグから筆記用具入れなどを取り出していると、後ろの席の薬師神(やくしじん)(あきら)が「うっす」と声をかけてきた。
「おい心咲。ヤバいことが起こったぞ。機械(機械電気科)の奴らが喧嘩したってよ」
 心咲の頭に心吾の姿が浮かんだ。心吾は機械電気科の一学年のクラスにいる。喧嘩に巻き込まれていたらどうしよう、と心咲は心配になった。
「何年生の、誰と誰が喧嘩したの?」
 晃のほうに上半身を向けて、心咲は焦った声できいた。
「一年生。機械にいる、中学のときの同級生からきいた。ネコヅカって奴と、ゴトウって奴が、朝っぱらから教室でやりあったんだって」
 五十嵐心吾の名前が出てこなかったことに、心咲は安堵した。
「機械ってヤバいよな。悪い話ばっかりきこえてくる。やっぱり、統合は失敗だよ」
「そんなことないでしょ」
 機械科と電気工学科があった大弥里(おおやり)高校が浜高と統合し、今年の春に機械電気科という合体した科が誕生したことで、幼い頃からずっと続いていた心吾とのつながりが切れずに済んだのは、心咲にとって嬉しいことだった。
「いやいや、そんなことあるだろ。機械が悪いことするたびに普通科(おれたち)の評判まで下がっちまうよ」
普通科(おれたち)は別に悪いことしてないじゃん」
「統合のせいで浜高の全部の科が一括(ひとくく)りに見られてるって絶対。浜高(イコール)不良のたまり場みたいに他校から思われてるって」
 大弥里高校が不良のたまり場だと言われていたのは、心咲の父親が十代だった頃までだ。昔に比べたら、問題を起こす生徒が減った。しかし、先人たちの悪行が後のイメージダウンに繋がってしまったせいで、現在の浜高機械電気科の生徒たちは、同校の他科の生徒たちや、他校の生徒たちから不良のレッテルを貼られてしまっている。
 確かに、学校内で喧嘩をしたり、問題を起こす生徒はいる。だが、全員ではない。心咲は、機械電気科の生徒全員が不良だと思っていない。
 それに、晃は勘違いしている。別に、他校からどう思われようと、晃自身の評判が落ちるわけではない。気にしすぎだ。
 もっと言えば、今現在、浜高の評判を悪くしているのは、機械電気科を悪評する晃のような生徒たちだと思っている。
 ガラガラと音をたてて教室の戸が閉まった。同時に、予鈴が鳴った。担任の遠野(とおの)光俊(みつとし)教諭が教室の戸がしっかり閉まっていることを確認している。
 散らばっていた生徒たちが一斉に席につく。心咲は教卓のほうに上半身を向けた。
 語尾に小さい「ッ」が付くハキハキした声で、遠野教諭が出席を採る。欠席の生徒は、一人もいなかった。
 伝達事項を話した後、遠野教諭は戸を全開にして教室から出て行った。
 生徒たちが騒ぎ始める。心咲は一時間目の数学の準備を始めた。



 一、二、三、四時間目と授業を終え、昼休みの時間になる。
 心咲は母親が作ったハムカツサンドを食べ、男同士が恋愛する内容の小説をブレザーのポケットに忍ばせ、立ち上がった。
 旧校舎の二階にある、図書室に行く。心咲は図書委員なので、昼休みは図書室で貸し出しと返却の作業をしなければならなかった。
 図書室の貸し出しスペースに、二年生の図書委員の高橋(たかはし)礼美(れみ)が鎮座している。心咲は本が山のように積まれている木製の長机を半周し、礼美の隣の椅子に座った。
「畠山君のために残しておいたよ」
 礼美は本の山に顎をしゃくった。ぱっと見、五十冊以上はある。それら全部の返却作業を心咲にやらせるため、手をつけずに放置していたのだ。
 本来なら、生徒が本を持ってきた時点で即、バーコードを打って返却処理を済ませるのがルールなのだが、礼美はいつも、まとめて一気に終わらせている。……というか、やるのはいつも心咲だった。
 とはいえ、これにはメリットもある。どんな内容の本でも、誰にも見られず、借りて返却することができるのだ。
 心咲はブレザーのポケットから男同士が恋愛する内容の小説をそっと取り出し、バーコードをスキャナーで読み取り、図書委員専用のPCを操作して返却リストにナンバーを入力した。
 チラリと横目で見た礼美は、長机の下に手を入れて漫画本を読んでいた。どう見てもサボっているようにしか思えないが、注意して機嫌を悪くされると作業がし辛くなるので、心咲は見て見ぬふりをした。
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