第5話

文字数 2,468文字

 心咲が所属する文芸部は、これといった決まりもなく、各々が時間を潰すだけの集会と化していた。
 昼休みに心咲と組んだ、二年生の図書委員の高橋礼美も文芸部の一員だ。礼美は、活動場所の図書室に入ってきた心咲に目もくれず、貸し出しスペースで読書していた。
 心咲は礼美の隣には行かず、窓側の読書スペースに座った。三つ隣の椅子に座って読書していた、心咲と同じ普通科一年の山田(やまだ)珠子(たまこ)が気配を察して顔を上げた。
「畠山君、ちょっと」
 珠子が心咲の隣に移動してきた。右手にシャープペンシルとノート、左手に数学の教科書を持っている。
「今日の数学、ホントにわけわからなくて……。だから、勉強教えて?」
「いいよ」
 心咲にとっての文芸部は、〈復習部〉だった。その日に習ったことをクラスメイトと一緒におさらいする部で、読書する暇などなかった。
「つまり、どういうことなの?」
 珠子が右手でシャープペンシルを回しながら、開かれた数学の教科書を睨む。
「問題文をもう一度、読んでみよう」
 心咲は数学の教科書に手を伸ばし、問題文を指でなぞった。珠子の目が、一瞬だけ心咲に向いた。
「『ここに、ハート、スペード、ダイヤ、クローバー、それぞれ1~13枚の四種類のトランプ(合計52枚)があります。この中から絵柄のカードを一枚引く確率を答えなさい』」
「うん」
「ジョーカーは入っていないね。だから合計数が52枚だ」
「そうだね」
「絵柄のカードっていうのは、王や兵士などの絵が描いてあるカードのことだ。52枚の中にある絵柄のカードは、(ジャック)(クイーン)(キング)の三種類。それが四種類分(ハート、スペード、ダイヤ、クローバー)あるから、3(各種絵柄のカード)×(カケル)4(カードの種類)(イコール)12だ。なので、12(絵柄のカードの合計数)÷(ワル)/(スラッシュ))52(カードの合計数)(イコール)13分の3が正解だよ」
「絵柄って、そういう意味だったのね」
 時々、珠子から視線を感じた。解説ミスがあったのだろうか、と心咲が目を向けると、珠子はサッと目をそらす。
 後ろのほうからも視線を感じて、振り向くと、礼美が手に持っていた本でサッと顔を隠す。
 女子ってよくわからない、と心咲はつくづく思った。心咲が女子にときめかない理由は、男子よりもわかりにくい性格だからだ。
 二時間ほどで、文芸部の活動が終了する。
 心咲は珠子と校門まで一緒で、そこからは、バスに乗って一人、部落へ戻る。降りたバス停で、風に揺られまくって葉の髪が薄くなった〈長老〉に「ただいま」と言う。
 自分の家の前まできた心咲は、隣の、心吾の家に目を向けた。魚を焼いているにおいがした。夕飯時にお邪魔するのは、さすがに申し訳ない。心咲は先に自分の家で夕食を食べ、二十時頃に、心吾の家の戸を叩いてみることにした。
「ただいま」
 母親と一緒に、姉の心優(ここね)の「お帰り」も返ってきた。いつも帰りが遅い心優が、心咲より先に家にいるのは珍しかった。
 自室に行ってジャージに着替えていると、心優がノックもせずに戸を開けて侵入してきた。
「何だよ、姉ちゃん」
「あんた、今週の土曜日、暇だろ?」
 身長百五十センチの心優が壁によりかかって、心咲を見上げて偉そうな口調で言う。ちんちくりんの小学生に上から目線で話しかけられているような気分になる。
「暇だけど、何?」
「ウチの学校、文化祭だから」
「知ってるよ。姉ちゃんが毎日、家でペラペラ喋ってたから」
「うん。だから、


 きて、ではなく、


 強制参加かよ、と心咲はぼやいた。
「あれ? 嫌なの?」
「嫌だよ。姉ちゃんの高校って女子高じゃん。男一人で入りづらいよ」
「心吾誘えばいいじゃん」
 心優は心吾のことも、弟のように扱っていた。
 心吾も心優のことをココネーと呼び、実の姉のように懐いている。
「夕飯食べたらシンちゃん()行くから、そのときにきいてみるよ」
「絶対にこいよ。絶対だからな」
 念押しして、心優は心咲の部屋から出て行った。
 脱いだブレザーをハンガーにかけ、心咲は茶の間へ行く。先に定位置についていた心優の隣に腰を下ろす。
「姉ちゃん。今日、早いね」
「やること終わったから」
 一週間ほど前は文化祭の準備で「忙しい」を連呼して、その「忙しい」を理由にジュースやお菓子を心咲に運ばせていたが、今日は落ち着いていて、逆に心咲のほうが落ち着かない。
「姉ちゃん。夕飯どうする?」
「あんたが食べるなら、ウチも食べる」
 自分の分だけでなく、お姉ちゃんの分も持ってこい。……そう言われた気がして、心咲は立ち上がった。
 戸を開けて、隣の炊事場に入る。家に入ったときからすでに、においで察していたが、夕食はカレーだった。
 炊事場に母親の姿は無い。火の点いていないガスコンロの上に、カレーが詰まった鍋がある。蓋はひっくり返って、まな板の上にのせられていた。
「もうできてるよー」
 玄関のほうから母親の声がきこえた。カレーの日の盛りつけは、各自、行うことになっている。手間が減った分、母親はいつもよりゆっくり喫煙している。全開になった戸から家内に風で流れ込むキャスターの紫煙のにおいは生クリームのように甘いので、父親が吸うマイルドセブンの苦いにおいよりは好きだった。
 夕食は、準備ができた人から勝手に始めていい決まりが家にはある。後片付けも、食べた人から順々に終わらせていく。
 心優が使った食器を洗うのは、毎回、心咲の役目だった。心咲が食器を洗っている間、心優は茶の間で座椅子にふんぞり返ってテレビを見ている。お笑いがやっているとき、心優の笑い声が炊事場まできこえてくる。
 十八時頃に父親が帰宅した。父親は〈宝船〉というラーメン屋の店長だ。帰宅時、傍へ行くと焼けた油のにおいがする。「ほほう。今日はカレーかぁ」と鼻をひくつかせながら、ゴマ粒みたいな顎髭を手で擦る父親を、母親が両手で風呂場へ押し込んだ。
 心咲は洗い終わった食器を水切り台に立てかけ、濡れた手を収納ボックスの取っ手に引っかけてあるタオルで拭いた。
「ちょっと、シンちゃん家行ってくる」
 心咲は母親に一言いって、サンダルを履き、家を出た。
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