第8話

文字数 2,547文字

 土曜日がきた。学校は休みで、文芸部の活動もない。いつもの土曜日なら家で大人しく本を読んでいる心咲だが、この日は違った。絶対に拒否できない予定がある。
「絶対にこいよ。絶対だからな」
 心優は家を出る前に、心咲に最後の念を押した。ここで「やっぱり行かない」などと言ったら、心優に地味な嫌がらせを受ける予感がした。
 心咲は心吾を家まで呼びに行き、互いに準備を終えた後、バス停まで歩いた。
「ココネーって三年生だろ? 学校生活最後の文化祭だから、遊びにこいってことなんじゃないのか?」
 隣にいる心吾が、着ているスタジャンのポケットに両手を突っ込んで言う。
「ほら、記念だよ記念」
 最後の思い出作り。本当に、それだけが心咲と心吾を誘う理由だろうか。
「いや。たぶん、変なことする気なのかも」
 道路をまたいだ茂みにそびえる〈長老〉が、「そうだ」と答えるように葉を揺らした。
「姉ちゃん、三年生で生徒会長になったんだ。それで、学校内で好き放題やっているみたい。一日限定で生徒全員を男装させたり、先生全員に制服を着せたり……。だから今回も、おれとシンちゃんを使って、何か変なことする気なのかも」
「面白そうじゃん」
 心吾はあまり深く考えていないみたいだった。
「てか、浜高よりも楽しそうな高校だよな。羨ましいよ」
 浜高は主に勉学に力を入れている。イベントは少なく、内容も地味だ。心咲も正直、物足りないと感じている。
 そんな浜高を心優は「バカ高」と罵倒した。偏差値とは違う基準で、心優は県内にある高校に評価をつけていた。
「ココネーが通う花高(はなこう)花城(はなき)高校)って女子高だから、可愛い女の子見つけたら声かけとくか」
「勝手にすれば」
 心咲はぶっきらぼうに答えた。
「ノリ悪いな」
「別に……」
 シンちゃんを他の女にとられたくない、と口に出せなかった。心吾にとって心咲は男友達で恋愛対象ではないし、そもそも恋愛は個人の自由なので文句を言う資格は無い。わかっているのに、気持ちが態度に出てしまう。
「安心しろよ。お前を放置したりはしないから」
 心吾は心咲のことを、女の子と話すのが苦手な男子と思っているに違いない。だから二人でナンパみたいなことをしたら、心咲だけが取り残される。そのことを恐れて不機嫌になったのだと考えて、今みたいな発言をしたのだ。
「女子高で男子一人になるのはキツイよ……」
 心咲は少し嘘をくっつけて言った。
「まぁな」
 心吾は同意するが、実は、そんなことはないかもしれない。
 恥ずかしがり屋に、ナンパするという発想は浮かばないはずだから。
「おい、きたぞ」
 心咲が通学時に乗っているバスが到着した。心吾が、スタジャンのポケットから手を抜いた。心咲は心吾の丸みのある手を見つめた。好きな人が手のとどく距離にいるのに、その手を握ることすらできない心咲は、やはり、心吾が思う通りの弱い男子なのだろう。
 心吾と心咲は後ろのほうの席に並んで座った。心吾が窓側で、心咲は通路側だった。心吾の横顔が窓ガラスに映っている。何を見ているのかわからないが、口元は笑っていた。文化祭に行くのが楽しみなのだろうか。それとも、女子高で女子に囲まれることが楽しみで、エロい妄想をしているのだろうか。プライベートで心吾と一緒にいられることを喜んでいるのは、心咲だけかもしれない。
 ドアが閉まり、バスが走り出す。通学時とは逆方向に景色が流れる。心吾の視線はずっと窓の外に向けられていた。
「こっちのほうにくるの久しぶりだな」
「あんまり変わっていないね」
 部落を出ても景色に大した変化はない。基本的に、田んぼと三角屋根の家。海沿いを通ると、ウミネコが飛び交う漁港と、無数の漁船。もっと内陸に行かないと、景色の変化を楽しむことはできない。
「中学のとき、夏祭りでこっちにきたよな」
「自転車で、おれとシンちゃん、明人(あきと)龍司(りゅうじ)の四人で行ったね」
 上り坂を男子四人でぜえぜえ言いながら立ちこぎし、山を越えて人の多い町に行った。商店街の適当なスペースに自転車を止め、祭囃子を聴きながら射的屋で景品を狙い、型抜きで景品のゲームを狙い、ラムネとたこ焼きとお好み焼きを買って防波堤に腰かけ、両足を海に向かってぶらぶらさせながら、夜空へ打ち上る花火を眺めた。祭後の静けさに哀愁を感じながら、くるときに上った坂を一気に走り下りた。
「なんか、懐かしいね。シンちゃん、明人と龍司と連絡取ってる?」
「いや、中学卒業してから顔も見てないな。お前は?」
「おれも同じ」
 突然、心吾がクスッと笑った。
「てかさ、オレ、あのとき明人に貸した千円、返してもらってないわ」
「あー、型抜きの?」
「そうそう。あいつ、ゲーム欲しくて、二十回くらい型抜きに挑戦してたよな」
「最後のほう、上手くなってたよね」
「オレの次くらいにな」
「シンちゃん、細かい作業得意だよね」
「勉強できないが、手先は器用だ」
 綺麗に型を抜ける手を、人を殴り倒すために使うのがもったいないと感じる。
 だが、心吾の中では器用さは武器ではなく、真の武器は空手で鍛えた身体なのだろう。
「あいつら、元気にしてるかな」
「元気じゃない姿が想像できないよ」
「だよな」
 明人と龍司は中学卒業後、心咲や心吾と違う高校に進んだ。中学のとき四人で行き、夏祭りを楽しんだ町にある高校だ。
 中学のとき、何をやるにも一緒だった二人と、顔すら見えない関係になってしまった。進む道が変わると、環境が大きく変わるのは、当然だけれども悲しい。
 心吾とも、高校を出たら明人や龍司と同じような関係になってしまうのだろうか。
 差別的な考えだが、それは、明人と龍司がいなくなることよりも悲しかった。
「なんか、悲しいよな」
「え?」
「高校卒業したら、オレたち、会えなくなるだろうから……」
 心咲は、心吾と心が繋がった気がした。心咲が心吾と距離が広がることを想像し悲しむように、心吾もまた、心咲との距離の広がりを悲しんでいた。
 ……おれはどこにも行かないよ。いつでも、シンちゃんの会いたいときに、会いに行くから……。
 伝えたい言葉は心の中にしまった。口に出したら、男友達の心吾にホモだと言われてしまう。
 だから心咲は、別の言葉を心吾に返した。
「そんなことないでしょ。別に、死ぬわけじゃあないんだから」
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