第6話

文字数 2,617文字

「おう。どうした」
 呼び鈴の音がしてすぐ出てきた心吾は、学校で会ったときよりも不機嫌そうだった。目が垂れていて情けなく、声も低い。
「え、えっと……」
 心吾に言わなければならないことが色々あるのに、心咲は何から話せばいいのかわからなくなった。くるときは心吾と二人きりで話せるシチュエーションを楽しみにしていたのだが、心吾のほうはそういう気分ではなかったみたいだ。
「シンちゃんごめん。いきなりきて、迷惑だよね……」
「いや、別に……」
 心吾は心咲と目を合わせず、言った。
「お前、今日の昼の

、おぼえてるか?」
「ネコヅカさんとゴトウさんの喧嘩のこと?」
「そうそう」
 心吾はサンダルを履いて外に出た。心咲と一緒に、庭の花壇のほうに行く。
「あの後、オレとネコちゃんとゴッちゃんの三人、反省文書くことになった」
 心吾の視線は枯れた花のほうに向いていた。
 やっぱり、心吾は機嫌が悪い。心咲だけ反省文を免れたことを卑怯だと感じているのだろうか。
 心咲は返事に困った。「反省文だけで済んでよかったね」、「大変だね」、「どのくらい書けた?」、などなど、何を言っても心吾には嫌味にしかきこえないかもしれない。
「お前、怒ってる?」
「え?」
「機嫌悪そうだから」
 心吾の目が心咲にチラチラ行く。心吾から見た心咲も、不機嫌そうなのだと今知った。
「いつも通りだけど、なんで?」
「そっか……」
 心吾は枯れた花に話しかけるように言った。
「お前を喧嘩に巻き込んじまって、悪かったって思ってる」
 心咲は首を横に振った。
 違う。悪いのは、身に合わない役に出しゃばった心咲のほうだ。
「ごめんね。おれが邪魔したせいで、シンちゃんが悪者みたいになっちゃって……」
「邪魔? いや、違うだろ」
 心吾は本気で困惑している顔になった。
 心咲はなんだか、互いを知らない人同士で会話している気分になってきた。
 心吾も気持ちがかみ合っていないことを不思議に思ったらしく、確認するように心咲のほうを見た。
 目が合った瞬間、心咲と心吾は同時に笑った。
「まぁ、その……。もう終わったことだよな」
「そうだね」
 喧嘩の件は、もうおしまいだ。色々あったが、関わった全員が結果を認めている。
 今なら、反省文について思ったことを口に出せそうだった。
「反省文、どのくらい書いた?」
「一文字も書いてない」
「マジで。いつまでに提出するの?」
「明日」
「何枚書くの?」
「最低一枚」
「楽勝じゃん」
 心吾が溜息を吐いた。
「手伝ってあげようか?」
 その言葉を待ってました、と言わんばかりの笑顔で、心吾は「半分くらい頼む」と言う。
「半分でいいの?」
「じゃあ全部」
 反省文を書くのは、心咲にとって苦ではない。むしろ、心吾と同じ空間にいられるなら、それ以上のこともしてあげてもいいと思っている。
 心咲は心吾と一緒に家に入った。「お邪魔します」と言った心咲に、心吾の父親の野太い「おう」と、母親のはきはきした「いらっしゃい」が返ってくる。
「心咲ちゃん、久しぶりね」
「お久しぶりです」
 茶の間と廊下を隔てる襖越しに、心咲は心吾の母親に言葉を返した。両親ともに茶の間でテレビを見ているのだろう。心優がよく見ている番組の司会者と同じ男性の声がきこえてくる。
 心吾の部屋は二階にある。木製の階段を上る心吾と心咲の足音がミシミシ響く。
「そういえば、姉ちゃんが文化祭に

って言ってた」
「珍しいな。てか、初めてじゃね? ココネーが文化祭に誘うなんて」
「そうなんだよね。だから、何か企んでいるのかも」
「どうだろうな」
 心吾が襖を開けて中に入る。心咲は一歩入って、部屋内を見渡した。
「それ、まだ使ってるんだ」
 心咲は苦笑して、心吾の勉強机の上に置かれたシャープペンシルを指差した。中学一年のとき、心咲が心吾にあげた物だった。
 中学から鉛筆ではなくシャープペンシルで勉強するようになる理由は、今でもよくわからない。でも、周りがみんなシャープペンシルを使い始めたので、心咲も真似した。
 周囲に染まらない心吾が、一人だけ鉛筆を使っている姿を先生がからかっていたのが気に入らなくて、心咲が一本あげた。それから心吾はずっと、今日までそれを使い続けてくれていたみたいだ。
「シャーペン、それしかないからな」
 シャープペンシルは一本しかないが、本棚に並べられた漫画本は前きたときよりも増えている。隅に設置されたガラスケースに保管されているトロフィーや、額縁に収められた賞状も、知らない大会の物が増えていた。
「今年の夏に、お(とう)の知り合いが主催する大会に出て優勝した。県外の小さな大会にも出て優勝した」
「すご」
 凄いことを成し遂げたのに、心吾はちっとも嬉しそうではなかった。それでもトロフィーや賞状をきちんと飾っているのは、空手に対する心吾なりの敬意の表れだろう。
「飲み物取ってくる。麦茶でいいか?」
「うん」
 心吾が部屋から出て行った後、心咲は一本しかないシャープペンシルを手に取った。指で押さえる部分のゴムが完全に無くなっていて、ずっと使っていたら指先が拳ダコみたいになりそうだった。
 机の上に広げられた四百字詰め原稿用紙には、何度も書いて消した跡がある。周りには消しゴムのカスが散らばっていた。
 椅子に座り、シャープペンシルを構える。一行目から厳しかった。楽勝ではない。この作文は誰に対して書くものなのか、そこからわからない。
 そもそも、心吾が書く必要はあるのだろうか。先に手を出したほうが相手に対して謝罪文を書くならわかるけれども、心吾はどちらかというと被害者側で、反撃だって正当防衛みたいなものだ。散々、殴る蹴られたのだから、一発二発やり返しても別にいいはずだ。ネコちゃんとゴッちゃんも、それをわかっていたから心吾に対して恨みを抱いていなかったのだ。……というか、あの二人は喧嘩したことなど、あって無いようなものみたいに扱っていた。拳でコミュニケーションをとる人の話をきいたことがあるが、それと似たようなものだろう。ネコちゃんとゴッちゃんは拳で語り合って、互いに打ち解けたのだ。それ以上の追及は必要無いはず。
 周りにいる人たちに迷惑をかけたことを謝罪する文を書く、としても、意味がわからない。勝手に集まってきて喧嘩を見物していた人たちに何を謝る必要があるのだ。
 心咲はイライラしながら、反省文ではなく、こんなものを書けと言ってきた先生に対する反撃文を書きなぐった。
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