第13話

文字数 2,268文字

 思い描いていた通り、心咲は心吾とバスに乗って一つ隣の町に移動し、図書館まで歩いた。心吾は「初めてきた」と言っていた。心咲は、ここへきたのは二度目だった。本が好きな心咲だが、借りる場所はいつも近場を選んでいた。保育園のときは実家にあった本を読み、小学と中学のときは、徒歩で往復が可能な学校の図書室に通っていた。高校生の今は、高校よりも図書館のほうが近いけれど、図書委員という立場を活かし、自分の好きなタイミングで貸し出しができる利便性を気に入って、図書室通いを継続している。地元の年寄りの休憩所と化している図書館よりも、自分と同い年の少年少女しかいない図書室のほうが好き、というのも理由の一つだ。
 心咲は図書館の白い壁を見上げた。鼻で息をすると、潮のねばついたにおいがした。海に近い町なので、図書館のざらついた白い壁が塩の塊のように見えてしまう。
「本読むの?」
 心吾にきかれ、心咲は首を横に振った。隣にいるのがいつもの姿の心咲だったら、「じゃあ何でここにきたんだよ」と心吾に突っ込まれていたはずだ。
「中に入ろうか」
 玄関で心吾が心咲の分のスリッパを取ってくれた。白いソックスと、足首まで隠すロングスカートを履いて男子の足を隠していたつもりだったが、心吾は心咲にぴったりのサイズのスリッパを選んだ。心咲の足は女子のようにすらっとしているが、指は男らしく骨張っている。注視すれば女子との違いに気づけるはずだが、心吾は気づかない。あるいは、何か違和感をおぼえつつも、気にしないことにしたのだろうか。
 ペタペタと足音を響かせて廊下を歩く。そのまま本館に入る。受付のお婆さんは、椅子にふんぞり返って競馬新聞を開いていた。入館を知らせずそこを素通りする。内部は体育館のように天井が高く、広い。迷路を形成するように、分厚い本棚が整然と並べられている。中央辺りに設けられた読書スペースでは、数人の老人が、耳が悪いことをアピールするように大声で喋っている。壁に貼られている、動物が人差し指を唇に当てている絵のポスターは端が切れていた。スケールよりも、自分は雰囲気を重視するタイプのようだ、と心咲は一人納得し、きてまだ五分もたっていないのに、もう図書館を出たいと思ってしまった。
「田川さんって、何系の本を読むの?」
 ラーメン屋にきてオムライスを注文するような図太さで心吾が言う。
 心咲と違って、心吾は空気にこだわりがないのだ。保育園のとき、外遊びの時間に心咲を室内遊びに誘ったように。小学生のとき、大雨の日なのに「今日はサッカーやらないんですか?」と先生にきいたように。中学のとき、修学旅行で行った都会で、田舎訛りの口調を恥ずかしげもなく続けていたように。心吾は変わらず、自分の世界を保っている。
 羨ましい、とは思わない。やりたくない、という気持ちのほうが強い。心咲と心吾は性格が真逆で、陰と陽の関係に近いかもしれない。それなのに仲良しの関係を築けたのは、一緒に過ごした時間が家族と同じくらい長かったからだろう。
 だから、言葉を交わさなくとも、心吾は田川心がやりたいことを察せられるのだ。見慣れた心咲の仕草で、田川心が求める答えを出せる。心吾は間違いなく、田川心と畠山心咲の姿を重ねて目に映している。それなのに、自分の目の前にいる美少女が、女装した心咲であることには気づいていない。心咲を参考に問題を解いているのに、解く問題がそもそもの答えであることがわからない、という、心吾が空気のよどみに鈍感であるがゆえに起きた、奇妙な現象だった。
「この本、見たことある」
 心吾が一冊の本を手に取った。懐かしいタイトルの本だった。保育園の本棚にもそれがあった。内容は、心咲はよくおぼえていない。
「これさ、昔友達と読んだことある。保育園のときだったかな」
 ペラペラとページをめくりながら、心吾が言う。
「オレ、文章読むの苦手なんだよ。でも、友達と一緒に読むと、不思議と内容が頭に入ってくるんだよな。……ていうか、たぶん、そいつの音読が心地よかったんだ。なんでだろうな? よくわからんけど、そいつの声は、すんなり頭に入ってくるんだよな」
 心吾の友達の

とは、きっと心咲だ。心咲にも、心吾に本を読みきかせた記憶がある。保育園のとき、という部分も記憶と一致する。
「この本も、読んだことある」
 持っていた本を棚に戻し、心吾は別の本を手に取って表紙を上にした。
「これ面白かったなぁ。この本は、友達に薦められて読んだ。確か、小学のときだな。文章が苦手なオレでも読める本なんだよ。めちゃくちゃ面白い」
 心咲は頷いた。それも知っている本だ。心吾に薦めたのも、たぶん、心咲だ。
 それにしても、心吾がこんなにも心咲を話題に使うなんて知らなかった。本の記憶も、心咲が必ずと言っていいほどセットになっている。
 しかも、話題も、心咲とこの場所に合っていた。心吾は、本を読まずに図書館で楽しむ方法を知っていたのだ。
 あるいは、自力で思いついたのか。
 ともかく、心吾のやっていることは、心咲を大いに楽しませてくれた。女装していなければ、話に乗って言葉を返していただろう。「こっちの本も、おぼえていない?」などと、心吾と珍しく本の話題で盛り上がっていただろう。
 心吾が楽しませてくれているのに、自分は何もしてあげられない。田川心は幽霊のように佇むだけの、つまらない存在だった。
 心咲は、散々心吾に頑張らせたあげく、悲しみのどん底に突き落とす酷いシナリオが最後に待ち構えていることが許せなくなってきた。
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