第14話

文字数 2,178文字

「そろそろ出ようか」
 心吾は話のネタが尽きてしまったらしい。心吾は誰かに薦められて本を読むタイプだし、相手は喋ることができない田川心なので、図書館にいる時間が短くなるのは当然だった。
 出口に向かいながら、心咲は心吾にバレないように溜息を吐いた。田川心の姿でなければ、もっとここにいられたのに……。心吾に面白い本をたくさん紹介してあげられたのに……。心咲は田川心を押しのけて心吾の隣に行きたかった。でも、それができないから悔しい。カツラを脱ぎ捨て、化粧を落として、服装だけそのままで心吾の前に立ったら、笑い事では済まされない事態になることが想像できる。心吾の青ざめた顔が、写真のようにはっきり見える。友達に裏切られ、騙された怒りと悲しみで絶望する心吾の顔は、現実で絶対に見たくなかった。
 ……ちくしょう。
 心吾のために何もできない。こんなものは、心咲の望んだデートではない。本心を隠したまま架空の美少女を演じ続けるなんて、しかも、心吾と別れることが決まっているのに……。こんなことをして得するのは心優だけではないか。
「……どっか、適当にぶらぶらしようか」
 心吾が控えめに提案する。
 心咲は無言で頷いた。気分が悪くても、田川心の演技は止められない。
 図書館を出て、潮風が吹くほうへ歩いた。そのまま行ったら海岸に着くだろう。見慣れた海の景色に感動など求めていない。
「お腹空いてない?」
 心吾にきかれ、心咲は頷いた。女装していなければ、「シンちゃんがお腹空いたんでしょう?」と返せていた。
 趣味をきかれても何も答えられない。学校での出来事も、楽しかった思い出も、田川心には無いのだ。心吾が語る思い出話に、適当にうんうん頷くだけの時間が流れる。心吾はあまりにも無口すぎる田川心に戸惑いながらも、元気な自分をアピールし続けた。
 海岸に着く頃には、心吾の口数が減って、声のトーンも下がっていた。「オレってつまらない奴だと思われてるのかな?」と心吾が落ち込んでいる気がした。「そんなことない」と返したいのに返せない。
「なんか、ごめん……」
 突然、心吾が謝った。何に対して謝っているのか、心咲にはわかる。
 田川心が喋らないのは、自分がつまらない奴だからだ。つまらない奴のために時間を使わせて申し訳ない。
 心吾の自虐が透明なナイフとなって心咲の胸に突き刺さった。
「もう、帰ろうか……」
 自分が呼んだのに、わざわざ地元までこさせたのに、楽しませてあげられなかった自分を心吾は呪っている。田川心のことが嫌いになったのではなく、心吾は自分のことが嫌いになったのだ。
 終わりがくる前に、心咲は心吾の心を折った。折ってしまった。
 心優にとっては理想的な展開だが、心咲は納得できない。心咲もまた、自分のことが嫌いになった。好きな人が悲しんでいるのに、その人が目の前にいるのに、何もせず見送る自分が許せない。
「バス停まで戻ろう……」
 心吾が心咲に背を向けた。その瞬間、心咲は右手で、心吾の右手を握った。
「えっ?」
 驚いた声を上げて振り返った心吾の胸に、心咲は飛び込んだ。ほどよく引き締まった筋肉質の心吾の胴体を、両腕で力いっぱい抱きしめた。
「ど、どど、どうしたの!?」
「……ごめんね。シンちゃん……」
 両手を上げてどぎまぎしていた心吾の動きが、ピタリと止まった。
 心咲は心吾から離れ、右手でカツラを掴んだ。そして、頭皮を撫でるように、ゆっくり取り外して、呆然と立ち尽くしている心吾を見つめた。
「ごめんね、シンちゃん。おれのせいで、こんなことになって……」
 嗚咽が漏れる。こぼれた涙が頬をつたって、顎の先に溜まって落ちる。
 心咲はもう、自分が悪人になってもかまわなかった。
 心吾を助けるためには、すべてが笑えない冗談だったと教えるほかなかったのだ。
「み、心咲、なのか……?」
 心咲は何度も頷いた。
「どうして、お前が……。な、何で……」
「おれが、シンちゃんを騙していたんだ……」
 涙をぼろぼろこぼしながら、心咲は説明した。文化祭で心優に頼まれて美少女コンテストに参加したこと。心吾が好きになった田川心は、心優に作られた架空の女子だったこと。心咲が、心吾の恋心を無下にできず、田川心として付き合う道を選んだこと。最終的には別れて、二度と会わなくなること。
 心咲が口を閉じると、心吾は怒りも悲しみもせず、冗談みたいに笑った。
「あー、なるほどね。そういうことだったのか。そういう事情があったって知らなかったから、勘違いしてたわ。オレのほうこそ、お前に嫌なことさせちまって悪かったな」
 ここで心咲も笑えば、いつも通りの日々に戻れる気がした。田川心が実在しないことを、心吾は誰かに言いふらしたりしないだろうから、心優の作った伝説は汚れることなく花高に遺る。心咲と心吾は、これまで通り、友達の関係で生きる。
 だが、心咲は、心吾に対して嘘をつき続ける自分を捨てることにした。
 さっき、説明しなかったことが一つだけある。田川心を演じていたのは、自分のためでもある。心吾と恋愛するために田川心を利用した、本心を口に出した。
「おれ、シンちゃんのことが好きなんだ。友達としてではなく、恋愛対象としてシンちゃんを見ている」
「……それって」
「シンちゃんが田川心を好きになったように、おれも、シンちゃんのことが好きなんだ」
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