第15話

文字数 2,272文字

 少し、考える時間が欲しい。
 心吾からそう言われた後、心咲は、彼とは別方向に歩いた。時間をずらしてバスに乗り、家に帰った。
「あれ? 早かったね」
 茶の間で漫画を読んでいた心優に、心咲は何もかも終わったことを告げた。
「ウチの田川心に、変な尾びれをつけてないでしょうね」
「つけてない」
 心優は何故かムッとした顔になり、右手を心咲に向かってひらひらさせた。
「ちょっとこっちきて」
「何で?」
「化粧がとれてる。あんた、もしかして泣いた?」
「いや。自分で落とそうとして失敗した」
「なら、いいけど……」
 自室に行こうとした心咲を、「待って」と心優が呼び止めた。
「何だよ」
「ごめん」
「え?」
 何で謝ったのか理由をききたかったが、心優が漫画を読み始めたので止めた。
 田川心の件は、心優が納得できる形で完結したと思う。
 だが、心咲と心吾の関係は、たぶん、悪化した。感情の流れに任せて心咲が心吾に告白したからだ。心咲が、ホモだと心吾にはっきり教えたせいだ。
 自室に入って、心咲はジャージに着替えた。もう二度と、自分が女装することは無いだろう。カツラは心優の部屋に投げ入れ、脱いだ服はまとめて洗濯機にぶちこんだ。
 ふと、心吾のことが気になった。今、彼が何を想っているのか気になる。だが、会いに行こうという気にはならなかった。
 反省文に書いた文字を何度も消していたみたいに、心吾は今、自分の中の自分と相談し、考えている。どれだけ時間がかかるかわからないが、いつまででも待ってあげよう、と心咲は思った。



 平成十八年、九月。月曜日。
 心咲は〈長老〉の傍でバスがくるのを待っていた。
 ツトムとユカリがランドセルを揺らしながらバス停前を通過する。いつものように心咲と挨拶する。大きくなっても並んで歩けたらいいのに、と心咲は想う。
 風が吹き、〈長老〉の葉の髪が散った。太陽から降り注ぐ光がいつもよりも眩しい。半袖で過ごしてもいいくらい、気温が高かった。
 山鳩の鳴き声はきこえない。葉が減って枝ばかりの〈長老〉は、隠れ蓑としての役割を失っていた。次に季節限定の合唱大会が開かれるのは、来年になるだろう。
 コツ、コツ、と誰かの足音がきこえた。ツトムとユカリ以外で、この時間にここを歩く人は少ない。
 誰だろう、と心咲が顔を向ける。「よっ」と手を上げた心吾と目が合い、心咲はドキリとした。
「し、シンちゃん!?」
「ああ」
 心吾は心咲の隣に立って、視線を足元に向けた。
「今日は自転車じゃないんだね……」
「ああ。お前と話がしたかったんだ」
「話って、昨日の……?」
「ああ」
 心吾は大きく息を吐いた。
 どんな言葉が出てくるのだろう。心咲はドキドキしながら待った。
「オレは、友達として、お前のことが好きだ。お前の恋人にはなれないよ、悪いけど……」
 ショックは無い。心咲の中でフラれることは確定していた。心吾の恋愛対象が男ではなく女だと知っているから。
 でも、恋人のような関係にならなかった、その後の話をききたかったし、したかった。
「でも、でもさ……」
 まだ言いたいことがあるみたいだ。心吾が最後まで話すのを心咲は根気よく待った。
「だからといって、お前の想いを無視するのも、どうかなと……」
 無理しなくていいよ、と心咲は心の中でつぶやいた。
「……ああ、ちくしょう! 頭の中がぐしゃぐしゃだ!」
 心吾は自分で自分の髪をぐしゃぐしゃにした。
「もう、はっきり言うよ! お前がオレにしたように! オレもはっきりするわ!」
 心吾はいきなり心咲の腕を掴むと、自分のほうへ引き寄せ、胸に抱いた。
「……え?」
 胸に顔をうずめたまま、心咲は固まった。
 なんだろう。これは、自分が予想していた展開と違う。
 心吾の伝えたい想いがわからず、心咲は人形のようにされるがままになっていた。
「オレ、ホモじゃないから……。でも、嬉しかったんだ。男とか女とか関係無しで、誰かに、はっきり好きだって言われたことが、嬉しかった……」
 心吾は心咲から離れ、頬を少し赤くして、そっぽを向いた。
「だ、だから、その……。付き合って、やってもいいぜ……」
「え? で、でもシンちゃんは……」
「う、うるせえ! どうなんだよ、お前は! 付き合うのか、付き合わないのか、どっちなんだよ!?」
「え、ええ……」
 頭が混乱してきた。心吾はホモではないのに、心咲と付き合うと言っている。恋人の関係になってもいいと言っている。
「わ、わけわからないよ! シンちゃん無理してない!?」
「してないって言ったら嘘になる。でも、お前だって無理してオレに付き合っただろ。オレのために田川心を演じただろ。だから、その恩返しというか、期間限定でなら、お前のやりたいことに付き合ってあげようかな、と……」
「無理しなくていいのに……」
「う、うるせえ! 無理してねえって言ってんだろ!」
 もう滅茶苦茶だった。
 心咲は苦笑して、心吾にきいた。
「ちなみに、期間はいつまで?」
「えーっと……。じゃあ、お互いに好きな人ができるまで」
 心吾が田川心とは違う、実在する女子を好きになったら、恋人の関係は終了。
 逆に、心咲が心吾とは違う、恋愛思想が同じ男子を好きになっても、恋人の関係は終了する。
 互いの想いを尊重する、いい提案だと心咲は思った。
「わかった。それでいこう」
「よし」
「でも、お互いに知られたくない人がいるよね。学校の人とか、家族とか」
「ああ。だから、恋人として振舞うのは、二人きりでいるときだけにしよう」
「今が、そうだね……」
「ああ……」
 そっと伸ばしてきた心吾の手を、心咲は握った。(了)
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