第7話

文字数 2,357文字

 麦茶をお盆に載せて自室に戻ってきた心吾は、シャープペンシルの芯を折る勢いで原稿用紙に文字を書き込む心咲を見て、「こいつまたイラついてる」と呟いた。
「心咲。やっぱり、反省文は自分で書くよ」
「いや、おれが書くよ。ムカつくから」
 心咲の反撃文は始まったばかりだった。後二枚は最低でも書く気でいる。
「麦茶持ってきたから、ここ置いとく。後、お(かあ)が菓子も出せって言うから、煎餅持ってきた」
「ありがとう」
「そういえばお前、宿題とか大丈夫なの?」
「帰ったらすぐやるから大丈夫だよ」
 宿題よりも、何時まで心吾の家にいられるかのほうが心咲は心配だった。
 壁にかけられた時計に目をやる。今は二十時半だった。
「何時くらいまでいていいの?」
「何時でもいいよ。てか、お母が泊まってけって言ってるんだが、どうする?」
「えっ! いいの!?」
「いいよ」
 心咲は一瞬で反撃文がどうでもよくなった。最低一枚でいいみたいなので、一枚埋めたら心吾に渡す、と決めた。
「シンちゃんのお父さんとお母さんにお礼言ってくる!」
 心吾の部屋を出て一階へ階段を下っていると、後ろから心吾の笑い声がきこえた。
「おい心咲! お前これ、先生(センコー)に喧嘩売ってるだろ! 文句ばっかり書いてあるぞ!」
 書きかけの反撃文を見て心吾は笑っているようだ。結構、真面目に書いたのだが、そんなに面白い内容になっているのだろうか。心吾が嫌だというなら、泊めてもらうお礼に、ちゃんとした反省文に書き直そうと思った。
「すみません。今日はお世話になります」
 茶の間にいた心吾のお母さんとお父さんに心咲は頭を下げた。
「心咲ちゃんが泊まるの、いつぶりだろうね?」
 息子に似た素敵な笑みを浮かべて、心吾のお母さんが、隣にいるお父さんにきく。
 心吾のお父さんは返事の代わりに、グォと熊のように呻った。炬燵に下半身を突っ込んだまま、寝落ちしてしまったらしい。
「ちょっと、自分の親にも話してきます」
 サンダルを履いて外に出た心咲は、隣の家に直行した。
「母さん! 今日、シンちゃん家に泊まらせてもらうから!」
「おっ、よかったね」
 茶の間にいた母親は立ち上がって、煙草とライターをズボンのポケットにねじ込み、外に出た。心吾の家の両親に、一言いいに行ったのだろう。父親は座椅子の背もたれを倒し、静かに寝息をたてていた。
「ねえ心咲。文化祭に心吾誘った? 文化祭の話、ちゃんと言った?」
「言った言った」
 小鳥みたいに後を追ってくる心優に適当に返しながら、心咲は歯ブラシとコップ、タオル、学校の宿題を集めて、普段使っているショルダーバッグに詰め込んだ。
「絶対にこいよ」
「はいはい」
 ショルダーバッグを抱き、心咲は追尾してくる心優から逃げた。
 心咲が外に出た後、心優は「虫だ! 虫が入る!」と文句を言いながら玄関の戸をしっかり閉めた。
 心吾の家の前で、心咲の母親と心吾のお母さんが話し込んでいる。さすがに非喫煙者の前で堂々と吸うことはなく、吸いたい気持ちを我慢するように両手を組んで母親は喋っている。
「お邪魔します」
 心吾の母親にお辞儀して、家に入り、心吾の部屋まで戻る。
「おい心咲。続き書いてくれよ」
 原稿用紙を手に、心吾はまだ笑っていた。
「内容、そんなに酷かったかな?」
「いや、酷くない。これでいこう。これ読んだ先生(センコー)がどんな反応するのか楽しみだから、オレが書いたって言って提出するわ」
 心吾がいいなら、反撃文を完成させる。
 ただ、心吾の家に泊まれる嬉しさに怒りが上書きされてしまったので、クオリティは下がるかもしれない。
 文章は勢いで書き切ってしまうタイプなので、その勢いが消えた今の心咲には原稿用紙一枚が丁度よかった。
 完成した反撃文は、個人的にはイマイチだったが、心吾が嬉しそうに受け取っていたので、よしとする。
「風呂入るか」
 心咲が反撃文を書いている間、ずっと筋トレしていた心吾が、汗だくの顔で言う。
「じゃあ、シンちゃんの後に入らせてもらうね」
「別に、一緒でいいだろ」
「はい!?」
「オレん()の風呂、結構広いぜ。……って、言わなくても知ってるか」
 小学生のときは、泊まりにくるたびに、一緒に湯船に浸かっていたが、心吾のことを異性のように想い始めてから、心咲は裸体を晒すのが恥ずかしくなった。
「いや、お互い大きくなったし、二人だと狭いよ……」
「何気にしてんだよ。心配すんなよ、オレはホモじゃねえから」
 その言葉は、心咲の心にグサッときた。
 できれば心吾に

があってほしかった。
 いやしかし、健全な男子としての心吾でいてほしいという想いもある。
 今更だが、心咲が抱える恋愛感情は複雑だった。心吾と恋人の関係になりたいのに、それと同じくらい、友達としての関係も維持したいと思っているのだ。
「まぁ、嫌だったらいいぜ。交互に入ろう」
 心吾が心咲を風呂に誘うのは、修学旅行で友達を温泉に誘うのと同じことなのだろう。自分がホモではないことをアピールする心吾は、心咲と違って、

な男子高校生だった。
「おれだって、ホモじゃないし……。一緒に入ろうか。身体洗ってあげるよ」
 前半と後半で、まったく違う人物のセリフだった。
「あ、洗うって……! 何言ってんだよ、バカ!」
 どっちつかずの心から生まれた言葉は、自分だけでなく、きいた心吾も混乱させてしまった。
「お前、いつから変態になったんだよ!」
「いや……」
 変態。心吾に恋心を持つほうの心咲は、変態なのだろうか。
「冗談だよ」
 友達の心咲が、心吾の求める言葉を出した。
 恋心を持つほうの心咲は、小さなミスを連発した後みたいに、心の隅で落ち込んでいた。
「これ使えよ」
 心吾が投げ渡してきたバスタオルを受け取る。
「ありがとう」
 ここにいる間だけは、友達としての心咲を徹底しよう、と決めた。
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