第3話 タイムリープ

文字数 1,102文字

 アルコール砲の研究が禁止されて暇になって以来、部室で本を読んで過ごす時間が多くなった。

 夕暮れの化学実験室。僕がその時に読んでいたのは、ヤングアダルトむけのジュブナイル小説。特殊な能力を身につけた主人公が何度も同じ時間をやり直し、恋人の命を救おうとするサイエンスフィクションだ。

「先輩、読書ですか?」

 顔を上げると目の前に松田さんがいた。彼女は夕焼けが映える窓を背に佇んでいて、その姿はとても幻想的に見えた。

「どんな本を読んでるんです?」

 ふいに松田さんが本を覗き込み、彼女の顔が目前に近づいてきた。僕は恥ずかしさのあまり逃げ腰になり、立ち上がったとたんに椅子が傾いてひっくり返った。

「ひどい。避けなくてもいいじゃないですか」

 当たり前だけど、松田さんは気を悪くしたみたいだった。

「ごめん。でも急に近づいてくるものだから」

「もういいです、帰りますから」

 彼女が恨めしそうに言ったので、僕は反射的に叫んだ。

「こ、これはSF小説なんだ!」

 慌ててブックカバーを外し、タイトルを彼女の方にむけた。

「これって……タイムリープのお話です?」

 すぐに機嫌が直ったのか、松田さんは本を受け取ると、裏表紙の解説を読みながら言った。



 タイムリープとは、自分の意識だけが過去に遡って当時の身体に乗り移り、同じ時間を繰り返すような現象を指す。いわゆるSF用語だ。

「そんな言葉、よく知ってたね」

「だって私、科学研ですよ?」

 たしかに松田さんは昔、アルコール砲を作った経験があって、僕の研究にも興味を示してくれた。今になって思えば、彼女が科学研に入ったのは真関くんが目的ではなかったのかもしれない。

「私も読みたいです。あとで貸してもらってもいいですか?」

「いいよ、もう少しで読み終わるから」

 結局、高校三年間でこんなに自分を構ってくれた子は松田さんだけだった。なのに僕は振られるのが怖くて、彼女への好意を打ち明けることすらできないまま高校を卒業した。

 受験に失敗した僕は一浪の末に大学を諦めると、写真の専門学校に通い始めた。一年を無駄にしたので当然だけど、同じ教室で勉強する学生のほとんどは年下だ。去年まで後輩だった人たちが同級生になる違和感。聞けば真関くんは大学で彼女を作ったらしい。松田さんは現役で女子大に合格したという。でも自分には恋人どころか同期の新しい友だちすらいない。それが現実だった。

「それで今年の忘年会はいつやるの?」

 本当は居酒屋にいるだけで気分が悪くなるほどお酒が苦手だった。だけど松田さんと再会すれば、あの楽しかった時代にタイムリープできるような気がして、僕は忘年会に参加する意思を伝えてから電話を切った。









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